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猫神  作者: 角野のろ
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序ノ五

 帰り道、栄ちゃんとは途中の道で別れた。

 そして、このままそれぞれの家に向かう。

 時間は暮れ六つ。人通りに自分以外に姿はなかった。

 道の横に生えるまたたびがふわり、とお辞儀をするように揺れる。

「榊紅葉……」

 一体、何だというのか。俺の心を捉えて離さない、この不思議な気持ちは。

 まさか、一目惚れって奴か? ありえない。姿をしっかり見た訳でもないのに……。

 ぼんやりと、そんなことばかりを考えていた。


 そのために、四輪を駆動させる鉄の悪魔の接近にも、俺は気付かなかった。いや、気付くのに遅れた。

 そして、気付いた時にはもう間に合わなかった。

 目前に迫る、大型トラック。

 もし、あれに当てられたとしたら一溜りもないだろう。

 それを稼働させる運転手は進む先に、俺がいることをまだ知らないようだった。

 叫び声を上げる暇もない。

 俺はこのまま死ぬのか。何とも虚しい、下らない、情けない、十五年の人生。

 最後に思い浮かんだのは、家族の顔でも、榊さんの後ろ姿でもなく、何故かオカルトを楽しげに語る栄ちゃんの笑顔だった。

(マジかよ……。)

 パンッ。

 思ったより、小さな炸裂音。そして、後にグシャリと何かが潰れるような音が続いた。




(……あれ?)

 というか、俺は何故こんなにも冷静に音なんて聞いていられるんだ?

 確か轢かれた当人のはずなのに。

 体を起こそうとすると、左半身に鈍い痛みが走った。

 しかし、思ったより酷くない。何というか、思い切り突き飛ばされた時のあの感じに似ている。

 見回すと、俺がいたのは道端で、そこにはまたたびの群集が近くに生えている。

 つまり、轢かれたはずの場所からそれほど離れてはいない。けれども、一瞬で移動するには不可能な位置。

 慌てて道路の方を見る。すると、そこには。

 猫の死体があった。

 黒い、美しい毛並みの老猫。首輪は付いていないので、野良猫だろうか。

 今や、血に塗れた無残な姿に変わったとはいえ、その漆黒の老猫は長い年功に伴った威厳を、未だそこに留めていた。

「……まさか、俺の身代わりになってくれた……のか?」

 名も知れぬ、野良猫。

 与えた恩義などない、と思う。それなのに身を呈して庇ってくれたのか。

 足をゆっくりと踏み出す。自分の不注意によって起きた悲劇を知る。何とも、居たたまれない気持ちになる。

「悪い……、俺が、考え事なんてしてなければ――お前は今も生きていたはずなのに――」

 両の掌を合わせて目を瞑る。お経の文句は知らないので、心の中で南無阿弥陀仏と唱えた。



「……見たな」

 その時、背後から声がした。聞く者を捉えるような鮮烈な声色。

 慌てて振り返ると、そこには長い黒髪の少女がいた。

「榊……さん?」

(いや、違う)

 瞬間的に、それが榊さんではないことが分かった。

 身に纏うのは、改造した和服のような全身黒衣の姿。その下に穿くのも袴に近い物だ。

 背丈は俺の首辺りに辛うじて届くというくらい(確か、榊さんは俺と同じくらいか、もう少し背が高かった)。

 緑色に光る瞳が放つ、剣山のような鋭さ。

 まるで、自分の全てを審美眼で見定められているような違和感に、俺は戦慄する。

 憤怒の表情を向けたまま、少女は威厳のある深みを持った声で言う。

「貴様……ワシが九度目の死に所を見たな」

「お前は……誰だ?」

 浮かんでくる、当然の疑問。

 すると、少女の表情はますます、ムッとしたものに変わる。

「貴様……ワシが、何者か分からぬのか? このワシに命を救われたというに」

 ……コイツは一体、何を言っているのか。俺はお前に助けられた覚えなんか――。

(ハッ……!?)

 その時、少女に感じたもう一つの違和を発見する。

 長い黒髪の間から生える、二つの突起を。それは通常、人間が持つはずのないもの。

 動物の耳。

 黒髪に紛れて分からなかったが、よくよく見れば、そこには、確かに存在した。

 身近にペットとして飼われるような哺乳動物が持つ、ふわふわとしたビロードの毛並みの耳。色は髪と同じ、漆黒だった。


「――やっと解したか。ワシは猫神、猫神権左衛門ねこがみ ごんざえもん

 少女は、そう名乗った。

「権左衛門……」

 そして、彼女はそのまま言葉を繋いでいく。

「ワシはずっと待ち侘びてきた――九つの命を生き、天上界へ行くことを」

 猫は九つの命を持つと聞いたことがある。どうやら、本当のようだ。

「時代を越え、各地を転々とし、ワシは悠久の流れを見てきた……。それも全ては神が暮らすと言われる、天上界へ行くため」

 猫耳の少女は恍惚したように、しばらく空を見上げる。

 だが、次には、俺の方に鋭い眼光を向け直し、

「しかし、全て貴様のせいでその計画は潰れた!」

 ……何? 俺のせいだと? 一体、どうして――。

「まず、ワシが貴様を救うことは必然だった。天に行くには生前に善行をすることが必要じゃからな」

「それは……何となく分かる」

「だが、猫にはそれ以外にもう一つの約束、ルールがあったのじゃ。死に場所を他人に見られてはならぬという――」

 そうか、それでコイツは俺のことを睨んでいたのか。

「……つまりはこういうことか? お前は目的に合った逸材が現れることをずっと待っていた、助けを必要とし、それを求める者を。だが、予定通りには行かなかった。俺がお前を見たから。助けたのは目的のため、けれど、そのせいでお前は天上界に行けなくなった。だからお前は俺のことを怒っている」

「そうじゃ」

「そんなの自分の勝手にやったことでキレてる、単なる八つ当りじゃねえか!」

 当然のように頷く権左衛門に、俺は激昂した。

「五月蝿い、黙らぬと呪うぞ!」

全く無茶苦茶だぜ。

「あのな、命を助けてくれたのには感謝しよう。だがな、俺にいきなりキレるのは見当違いってもんだと思うぞ?」

「フン、誰も貴様の考えなど聞いておらぬわ。自分を中心に世界は回っておる、それがワシ基盤じゃ」

 天上天下唯我独尊、とことんいらつく野郎だ。いや、女か?

「……だが、ワシが天上界に行く方法はまだ辛うじて残っておる」

 権左衛門はすると、キセルから吸った煙を吐くように溜息をする。

「貴様、名は何と申す」

「……名前?」

「早くせい、でないと――」

「わ、分かった! 言う、言うから落ち着け」

 怪しげな目の光を、強め始めた猫神に俺は慌てて答える。

「俺は、猫飼修治!」

 あぁ、クラスの自己紹介もこれだけ上手く言えてたらな……。

 そんな、俺の気持ちなど露知らず、権左衛門は、

「ほう、猫飼家の者か……不幸中の幸いと言った所じゃな――」

 一人で何事かブツブツと呟き出す。

「よし、お主にはこれからワシの手助けをして貰うとしよう」

 二、三本だろうか、美しい髪を一房抜き、

「腕を貸せ」

 そう言ってきた。

 俺は右腕を躊躇いなく出そうとしたが、しばし考える。利き腕をこんな簡単に差し出して、良いものか?

 相手は猫神という、正体も訳分からぬ存在。出した腕に何をされるかも知れたものではない。

 まさか、天上界に行くには見た者の血と肉を生け贄にしなきゃならないとか、そういう奴か?

「どうした、早くせい」

 権左衛門が迫る。背水の陣、万事休す。

 仕方ないので、まだどちらかと言えば使う率の少ない、左腕を差し出した。

「よし、それでよい」

 猫神はニンマリと笑みを浮かべる。そして、差し出した左腕の上に先ほど抜いた髪の毛を載せた。

 そして、目を瞑り、呪文のような物を唱える。

「神よ。ワシが名は権左衛門……今、我が一部を相手に与え、その約束を果たさんとす――」

 すると、髪が生命を持ったように腕の上で蠢いた。更に熱を帯び始める。

「――相手の名は修治、猫飼家の子。制約により約束を果たすべく――」

 熱い、熱い、熱い……。全身の血が逆流しているような奇妙な感覚。

「今、ここで! これにて、ワシと修治の盟約は結ばれた!」

 急速に髪から熱が失われていく。まだ左腕が疼いている。

「これは……一体?」

 気が付くと、腕に巻かれた髪はミサンガのような深緑色の紐に変わっていた。感触は絹に近い。

「契約の証、そう、強いて言うなら猫紐じゃな」

「なるほど、猫紐か……って、ちょっと待った! その前に何だ、契約って!」

「そのままの意味じゃ。主には、これからワシが天上界に行くための手助けをしてもらう」

 俺が予定していた、学校での普通の高校生活。しかし、このままでは前途多難なものになりそうだった。それは俺の前にいる、この門左衛門が無言で約束しているかのように思えた。

 ようやく、これの題名でもある猫神様を登場させることができました。やっとこさ、土台が完成かな? 後はこれをガシガシと踏み固めて、色々な話を紡いでいけたら、と思っております。遅筆家ではありますが何卒、何卒〜……。

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