序ノ三
長い黒髪の少女が登場します。ほとんど後ろ姿だけですが、彼女の正体は一体……?
教室に入ってから、数分。
俺は今、クラスメイトと共に担任となる男性教師の話を聞いていた。HRという奴である。
新調のスーツに有り余るエネルギーを貯蔵した、見た目はさわやか好青年。話し方もやけにハキハキしていて、非の打ち所がない新米教師。
学校生活に精神を毒される前の数少ない良心だろう。彼に幸多からんことを。
一通りに五人ずつ、六列並ぶ所の真ん中、その左側の四番目が俺の席だった。希望は窓側だったが、まあ仕方ない、二学期に期待しよう。
そんなことを考えて、軽いため息を吐く俺の斜め後ろには栄ちゃんが着席。無言の笑顔光線を放っている。
もしかすると神様はいるのかも知れないな。いや、実際、祈ったりはしてないのでクラスが一緒になったことはただの偶然だろうが。
「よーし、みんなちゃんと席に着いてるな。俺はこれから君たちの担任になる赤松、赤松聡だ」
黒板のど真ん中に大きな文字を書いて、
「担当は国語、現代文を教えることになるが、実は現代文よりは古典の方が好きだ」
更に続けて、
「でも古典は佐藤先生が教えてるみたいだからなー、何れは後釜を狙っちゃおうかな、なんて考えてたりする。あ、これ佐藤先生には内緒ね」
一応、彼なりのギャグなのであろう。周りに合わせて、俺もとりあえず失笑しておく。
「今年から本当に教師になった訳だから、一生懸命頑張ろうと思ってる。だからみんなも文化祭やらクラスマッチなんかではバリバリ活躍してくれよな!」
ばっちり、親指を立てる。……。
ある意味において、凄まじく微妙な空間が形成された所で、
「さて、俺の自分紹介も一通り終えたから今度は君たちの番。廊下側から順に自己紹介していってくれるかなー?」
赤松先生の話は進み、こうして、緊張の一瞬が始まる。
自分の名前と昔いた中学校名、それにある者は好きな音楽、食べ物、芸能人などをプラスαで紹介していく。
更に、その内の何人かは一発ギャグなんぞをして教室の室内温度を地味に下げる。
俺も事前に準備していた言葉を心の中で反復し始めた。
「僕は宗道栄徳、出身校はまたたび中学です。中学では栄ちゃんって呼ばれてました、趣味はこの世ならざる魔化不思議なもの、つまりオカルトなんかが大好きです。だからみんなも僕のことをオカルト博士って呼んで下さい!」
言い切った顔をして、栄ちゃんは席に着く。
流石だよ、周囲はどっ引きだぜ。それでも、裏表のない性格とあの悪意のない笑顔に惹かれてしまう。何れはみんなからもクラスの一員に認められるだろう。いや、間違いなくそうなる。
何故断言できるかって? それは小学校と中学校がそうだったからという理由に他ならない。それだけの人間的魅力が栄ちゃんにはあるのだ……と、誰かが言っていた。
とはいえ、便乗して自分を明かそうという勇気ある者はなく、その後は当たり障りのない自分紹介が続いた。
俺の番まで、あと二人……一人。
しかし、その一人、俺の目前の少女が声を発した時、それまで頭の中で用意していたボキャブラリーは全て消失した。
「榊紅葉です。出身校は緑ヶ崎中学、趣味は本を読むことです」
自己紹介自体は至極、平凡だった。ちょっと大人しめな優等生といった様子。だが、それだけではない何かを俺は一瞬に感じ取った。
長めの黒髪に、きちんと整えて着こなした制服。場所的には後ろ姿しか見えない。
が、その声には深みのような、ある種の鮮烈さを伴っているように感じた。
何故、そんなことを思ったのだろう。たかが、自己紹介に過ぎないのに。
唐突に生まれたその疑問に対する答えを俺は持ち合わせていない。悩んでいる内に、彼女が座ったことにも、俺は全く気が付かなかった。
「あれ、次は?」
赤松先生の声に我を思い出すと、時、既に遅し。クラスメイトたちが俺を、不審気な目で見ていた。
慌てて、立ち上がる。
「おおおお俺は……猫飼修治! えぇと――」
(クソッ、しくじった!)
周りのある一人が吹き出すと、それに釣られてまた一人、また一人というように。しまいにはクラス全員の笑いを買うことになってしまった。
栄ちゃんまでもがいつもの無邪気なだけの笑顔ではない、嘲笑の目で俺を見ている気がする。呪われてしまえ。
右手を石の形に握り、それを口元に当てて榊さんも笑っていた。抑えようとして押し殺した笑い、には違いないのだが、何やら無償に腹が立つ。
「……よろしくっスー」
頭を掻きながらトボトボと座る俺に掛かる、笑いの嵐。それはしばらく納まりそうになかった。