次ノ十一
遅筆なりに週一更新を目標にしています。
次の日、栄ちゃんは学校に来なかった。
HRの時間、赤松教諭の話によると欠席の届けも出ていないらしい。漠然とした不安が俺の心を支配していた。
また人が一人、消えてしまったんだ……。
何事もなく過ぎていく時間がただ不安を増幅させていく。
なんで、居ないんだ。
なんで、みんな何事もなかったように平然としていられるんだ。
なんで、誰もおかしいと思わないんだ。
なんで、なんで、なんで……。
一刻一刻がもったいないと感じた。
「栄ちゃんの奴、合わせ鏡に呑まれちまったに違いないんだ!」
「慌てるでない、修治よ。栄徳は消える前に何か残したのではないか?」
そうだった。
権左衛門に問われるまで、そのことを思い出せなかった自分に腹が立つ。
「そうだ、日記……!」
栄ちゃんは、別れる前に俺に伝言を残していったじゃないか。
「日記じゃと?」
権左衛門は訝しげな表情を浮かべる。
俺は権左衛門に昨日の電話で、栄ちゃんが最後に日記と口にしていたことを伝える。
「何故それを早く言わぬ」
権左衛門はそう言って、叱咤してきたがそんなことを気にしている余裕はなかった。
日記のヒントを見つけるために校内を走り回った。自分が狼狽していることがよく分かった。かっこ悪いとかみっともないとか、なりふりは構っていられなかった。
もし、日記が落ちていればそれは栄ちゃんが消えた場所に他ならない。誰かに拾われてからでは遅かった。
大切な友人が消えることが一番怖かった。葵さんの友人もきっと今の俺のような気持ちを抱いていたに違いない。だから、俺が話しかけた時、俺に頼む時も必死だったんじゃないか。今なら葵さんが消えて、沈んでいた彼女の気持ちが理解出来る気がした。
「あった……」
ただ一つ残された希望を見つけた。
シンプルなデザインのノートを拾い上げて誰のものか氏名を確認する。日向……葵、そう、消えた彼女のもので間違いない。栄ちゃんの残してくれた唯一の手がかり。彼の居場所を見つけるためにもそれは必要なものだった。
絡まった糸をほぐすように、それはお釈迦様から下ろされた天の助け、蜘蛛の糸のような僅かな希望だった。
「ふむ、僅かではあるが妖気の残滓があるな」
彼女の日記が落し物として、教務部に渡っていなかったことは幸運だった。一度、忘れ物として届いた物が改めて落し物として届く。また、その持ち主が必ず消えているということが分かれば奇妙な話になってくる。もし、それが知られた場合、再度、この日記帳を手にするのは困難になってしまうだろう。今重要なことは中身よりも、この日記帳がどこにあったか、ということだった。
手掛かりがないか通路を見比べる。すると窓の反対側に校内で使用するための用途で置かれているにしては随分と古びた鏡があった。
表面はくすんだような色をしている。周囲が青銅のような錆色に縁取られた複雑な紋様になっており、まるで縄文土器のようだ。値段は分からないがかなりの骨董品に見えた。
何か呪術的な事柄に用いそうな剣呑な様子をその鏡は携えていた。
しかし、その鏡の前方は窓ガラスであり、合わせ鏡になってはいなかった。
「じゃあ、栄ちゃんがいなくなったのはこの辺りで間違いないんだな!」
「急かすでない。おそらくは、じゃ」
権左衛門は鏡の表面に人差し指でそっと触れながらさらに続ける。
「今は反応しておらぬようじゃ。ふむ、今までに消えた者たちとは条件が違っているということかも知れぬ……うぅむ。どうやら、これは時間がこの事象の引き金になっておるのかも知れぬ」
今までに消えた栄ちゃんや日向さんがどの時間帯に居なくなったのかを思い返してみる。いずれも放課後を過ぎたくらいの時間だった。
「なら放課後を待たなきゃ、駄目ってことか」
「おそらくはそういうことじゃろう」
淡々とした言い回し。そう、権左衛門にとってこの事件の解決はあくまで真の猫神になるための試練のひとつであり、ただそれだけなのだ。感情が入らないのも当然ではあった。人でなしと言いたくもなるが実際に猫神は人ではないし、現時点では力を貸してくれている。そこには感謝してもいいはずだ。
権左衛門の立てた作戦はこうだ。放課後になるまで待機し、合わせ鏡の条件が成立するのを待つ。推測では妖力が最大になった時に鏡側の世界とこちら側の世界の境界が繋がるらしい。その境界が繋がっている間に俺が鏡の中に入って閉じ込められた人たちを助け、戻ってくる。
その後、合わせ鏡の危険をなくすために壁から外す、あるいは鏡を割り、次の事件が起こることを防ぐというものだった。
しかし、鏡の中がどのくらい広いのか、繋がっている時間はどのくらいあるのか。予定外の事態が起こる可能性はないのか、など不安定な要素が多々あった。
だが、準備をかけている間に鏡に閉じ込められてしまった人がどうなってしまうのか分からない。
その中に栄ちゃんもいるのだから、他人事とは言っていられなかった。
この際、リスクは仕方がない。傍若無人だが、特別な力だけは確かにある権左衛門を信じるしかなかった。
何もしないでいると落ち着かなかったので教室に戻った。戻ってからも授業には集中できず、ただ時間ばかりが過ぎていく。
放課後になるまで、その感情は俺の中を廻っていた。
そして、夕暮れ時になった。
「修治よ、左腕を差し出すが良い」
言われるままに差し出すと、権左衛門は猫紐の付いた左腕を手に取った。そして、何事かムニャムニャと呪文を唱える。
すると、猫紐が生き物のように震え、次の瞬間、大蛇の如し、帯へと姿を変えていた。濃緑色の帯はとぐろを巻きながら、俺と権左衛門、それぞれの腰に巻きついた。おそらく救助ロープということだろう。
「ワシと話をしたい時には腰帯を引きながら、帯に向けて声を掛けるのじゃ。さすればお主らの使っておる電話と同じ用途として使える」
「何か糸電話みたいだな」
「糸電話……? まぁ、よくは知らぬがそういうことにしておけば良い。皆を助ける合図が出来次第、この猫紐を三度引っ張った後、構えておれ。うむ、これにて準備は万端。さて、そろそろのようじゃぞ」
権左衛門がそういって窓の日差しを目を細めて見やる。ほぼすぐ後に窓越しに見える空が暗くなり、日が沈むのが分かった。
改めて鏡の様子を確認する。すると、表面が一瞬煌めき、続いて呼吸をしているかのような波紋が発生した。
更に、窓側にも異変が起きていることに気がつく。前方の窓ガラスに鏡がぼんやりと浮かび上がったのだ。
「合わせ、鏡?」
「そうか……窓ガラスが反射することで鏡の代わりになっておったのじゃな。それゆえに学校が明るい内は何事もなかったのじゃろう」
権左衛門は一人腕を組んで勝手に納得していたが、
「ふむ、であるならば本来の合わせ鏡よりも虚像の在り方が不安定やも知れぬ。この現象が一時的なものなのか、あるいは暮れ時になれば長く続くものなのか。調べる猶予はないのう、時は有限じゃ。修治よ、心の準備は良いか?」
俺に覚悟の同意を求めてきた。
「……ああ。あんまり良くないけどな」
「安心せい、お主が消えたらワシが助けてやる」
「消えたらって……確実に助けられるのか? なんの保険もかかってないような気がするが」
「……? さぁの……まぁ、その時はその時じゃ、ワシに任せよ」
不安がいっぱいだった。
「危険と分かっていても仲間のためなら、危険をかえりみず進んで飛びこんでいくのがお前の血筋であろう? ワシのことをただ信じるのじゃ。修治、お主なら出来る。任せたぞ」
権左衛門は血筋を理由に俺のことを諭してくる。
「いや、ご先祖様がどんな人だったかとか知らんし。それに任せろと言ってたのに瞬きする間もなく任せてくるお前をあんまり信用出来ない。あと任されても、俺はあくまで一般人」
「うだうだ抜かしおって。猫紐の苦しみを忘れたようじゃな」
そういうと権左衞門は何やら妙ちきりんな呪文を唱え出した。
「あれ、腰になにやら、妙な締め付けが、あ、あれ、うっ、息が……」
息苦しい。帯の縛りが心なしかきつくなっている気がする。アナコンダに腰を締め付けられているような、あるいはまるでミキサーで圧搾でもされているようだ。
「か、勘弁してくれぇ!」
「ならば、無言で了承せよ。栄徳や同じく消えた者らを見つけるため、鏡に潜ることを」
「分かった! いや、本当は分かった訳じゃないんだが、ウッ、我慢の限界……グゲ」
意識が薄れてきた。
「む、ちとやり過ぎたようじゃな。カッカッカッ」
全く悪びれた様子もなかったが、悪神権左衞門は俺に対しての猫紐の締め付けを弛めてくれた。
「で、どうすればいいんだ?」
「紐の端をワシに」
「で、どうすりゃいいんだ?」
「修治よ、この状態で、この合わせ鏡の前に立つのじゃ」
「おう」
そして、俺は合わせ鏡の正面に立った。
次回で一旦、一区切りになります。次話以降の展開はプロット組み立て中につき、更新が遅くなるかもしれません。