大雨
放置してすみませんでした。
あの出会いから、次の日も、そのまた明くる日も、わたしたち三人はずっと一緒に遊んだ。かくれんぼや鬼ごっこ、缶けりに川遊び、街を探検したりしたし、セミの抜け殻を集めたりもした。夏でしかできないことを中心に色々遊んだ。
楽しかった。
あのときわたしは、三人でなら何でもできるんだって思った。
わたしの世界は家と通学路、公園と学校だけの閉じられた世界だった。でも、たったの数日で世界は広がりを見せて、積極的になれるようになった。
三人だったらどこでも行ける。
三人だったらどこまでも行ける。
小学一年生の和泉宙は、そう固く信じていた。
この日は三人で憩いの森に来ていた。ここは家に近い公園の中でも最大の広さと数多の施設や遊び場があり、休日には大勢の人で賑わいを見せる。家族で来る人もいれば、カップルでデートに来る人もいる。この頃のわたしはあまり恋愛には興味がないどころか、恋愛なんて知らなかったので憧れも何も抱かなかった。
ここに来たら大体遊具で遊ぶけれど、今日は草原のとある範囲に限定されたかくれんぼをやった。
鬼はじゃんけんで決める。勝ったのは宙と香で、当然鬼は宗一が担当することとなった。宗一が百を数える間に、一気に目的の場所まで宙は駆けて行った。
二分くらい掛けてやってきたのは、公園内で一番のお気に入りの場所である大樹だった。木の根元には宙がすっぽり収まるくらいの空間がある。涼しくて静かで、暑い季節において最良の場所といっても過言ではない。最初ここを見つけたときは、宙自身、よくみつけたなぁ、と思っていた。
三人で決めた範囲からも外れていない上に、格好の寝場所である。宙は見つかるかもしれないという緊張感と、簡単には見つからないだろうという期待を感じながら、じっと宗一を待っていた。
足元に変な違和感を感じ、宙はゆっくりと起き上がった。足が冷たい。ぼやける視界を目を擦って拭いきり確認すると、宙の足首あたりまで何故か水で浸かっていた。いつの間に水が出て来たのか、そもそもいつの間に寝てしまっていたのだ。驚いて目を覚ますと、すぐに辺りは不自然な程暗くなっているのに気が付いた。
宙の視線が外へ移る。数メートル先も見えない、土砂降りの雨が視界を遮っていた。
「雨だ」
ここは大樹の根元。上からの雨は凌げても、下から来る貯まりこんだ雨水は凌げない。
「つめたい……」
宙の靴下はもちろん、スカートのすそも既に被害を受けていた。これ以上濡れてもあまり変わりない。いっそ公園を突っ切って東屋まで走ろうかと宙は考えていた。しかし壁のように立ちはだかる大雨がその試みを断念させた。
意味はほとんどないけれど、宙は樹の根元から出ると、大きな根の上に立ち、雨を凌ぐことにした。幸い枝が広範囲に手を伸ばしている上に葉が茂っていたので、雨が直撃することはなかった。それでも風に流れてくるので徐々に濡れていくという状況に変わりはなかった。
スカートのすそを絞り、ある程度水を切ると、宙はひたすら誰かが迎えに来るのを待った。
「ここにかくれなきゃよかったなぁ」
一人木の下で宙がそう呟く。その声は雨の音に掻き消され、発した本人以外誰も聞いてはいなかった。
何分そうしていただろう。宙は変わる気配のない状況に不安を覚えていた。
きっと宗一が見つけてくれる。お姉ちゃんが見つけてくれる。
そんな淡い期待が時間と共に、雨水と共に流れていく。
同時に膨れ上がる心細さが宙にまとわりつく。
いつしか期待を不安が覆いかぶさり、自分でも分からない間に宙は泣いていた。
お姉ちゃん。宗一。と叫ぶような声が草原に響く。
世界にたった一人取り残されてしまったのではないか。自分以外のみんな、大切な人も何もかも消え去ってしまったのではないかという想像が、一層宙の心を地の底まで落としていった。
しばらくして、泣きつかれた宙は、ただただぼんやりと空を眺めていた。何の表情もない、生気の感じられない空が広がっている。
このまま誰にも見つけられずに死んでしまうのではないか
地面を見つめ、そんなことを考えていると、また涙が滲み出てくる。
「みつけた。来るのおそくなってゴメン」
しかし涙があふれ出ることはなかった。
顔を上げると、そこには宗一がいた。宗一はやっと見つけたと安堵の表情を浮かべ、宙に近寄った。寒かっただろ、と自分が着ていた合羽を脱ぎ、宙に着させた。
冷たくなった体が少しづつ温まっていくと、自身の身体がどれほど冷えていたかを感じ始めた。
「なんでここってわかったの?」
宗一が駆けつけてくれたことが嬉しかったが、誰にも言っていないこの場所を何故見つけられたか宙は不思議に思った。もしかしたら永遠に見つけて貰えないかも、と考えていたのだから尚更だ。宙の問いに対する答えは短かった。
「宙がいるから」
さも当然のように宗一が言った。言葉の意味が分からず思わず宙は首を傾げてしまった。
「俺は今鬼だからな。香も宙も、どんなに時間かかっても、どんなところに遠くに隠れても、絶対見つける」
自信満々にそう答える宗一は無邪気な笑顔を見せ、
「それに宙は大切な友達だ。宙を見捨ててどっかに行ったりしない。だから安心していいぞ」
宗一は晴れ晴れとした笑顔で宣言した。その瞬間、宙に胸が締め付けられるような感じがした。しかし決して悪いものではなく、心地の良いもので。
世界から取り残されても、宗一はわたしを待っていてくれるんじゃないか、もし動けなくなったら迎えに来てくれるんじゃないか。
宙は、そんなことを想った。
「じゃ、帰ろっか。香が心配してたぞ」
宙はその差し出された手を取る。温かく、優しい気持ちが心を満たす。
「うん!」
宙の顔に、自然と笑顔をが浮かぶ。
いつしか雨が止み、空には虹が掛かっていた。
わたしの初恋は、きっとここから始まった。