9月16日(1)
「そういえば噂で聞いたんだけど」
九月十六日。夏の空気が秋のものへと変わっていく時期。大雨が頻繁に降る季節でありながら、ここ数日は天気が崩れることなく清清しい青空を展開していた。唐突に文が切り出してきたのは、朝食を普段通り摂っている時であった。咀嚼していたものを無理矢理胃の中に押し込み、先を促す。
「うわさ?」
「そう。今日学校に新しい子がやってくるんだって」
「へぇ。男? それとも女?」
「女の子。すごく可愛い子なんだって。あと一学年下」
一学年下の可愛い子、か。ふと八月末に出会った少女の顔が思い浮かぶ。和泉さんだっけ。無事暮らしているかな。また道端で倒れていない事を祈るか。
「ま、どうでもいいや」
「どうでもいいやって。興味ないの? 可愛い子だよ?」
「噂だ、ってのもあるけど違う学年だから、あまり関わりとかなさそうだしね」
「ふ~ん。そうなんだ」
俺が全く興味がないことを示すと、文はよく分からないが、途端に機嫌が上向く。
「何で嬉しそうにしてるんだよ。特に喜ぶような内容じゃなかっただろ」
「分からないなら分からないでいいよ」
「意味がわからん」
女の子はよく分からない生き物です。特に、男子にとっては。
その後、妙に機嫌のいい文と軽く談話しながら、箸を進めた。
「ごちそうさま。食器は俺が片付けておくから、朝の占いのチェックを頼む」
「え? うん、わかった。いつも確認してないのに珍しいね」
「今日は何だか、な」
キッチンの窓から空模様を見る。雲一つ無い綺麗な青空が広がっていて、今日も平和に過ごせそうな、そんな気がした。
「ちゃんと鍵かけた?」
「かけたよ。それじゃあ行こうか」
「うん」
小鳥の囀りが耳をくすぐる。空気は暑さのためか多少歪んで見えるが、そんなものはこの澄み切った青空が消し去ってくれる。
歩き始めて数分後、俺はふと今朝お願いしたことを思い出し、文に例の結果を教えてもらう事にした。
「それで、占いの結果だけど、どうだった?」
「あ、そういえば伝えてなかったね。えっと、『今日平穏に過ごせるでしょう。但し女の子には要注意』だって
「女難の相が出ているのか。楓辺りに蹴り飛ばされるのか」
「楓ちゃんは優しいから軽く蹴ってくれると思うよ」
「蹴る事は否定しないのな」
はぁ、溜息を吐く。案外当たりだったりして。また痣を作るの嫌だぞ。痛いことはなるべく避けたいんだ。
更にしばらく歩く。横断歩道を渡る直前で、運悪く目の前で赤信号に変わってしまった。最近多いな。
「あ~。捉っちゃったね」
「別に遅刻寸前ってわけじゃないし、いいじゃん」
「そうだね。宗くんは休日以外はとても早起きだから、私助かってるよ」
「いつも迷惑かけてすまないな」
「ううん。そんな、私は勝手にやってるだけだから気にしなくてもいいんだよ?」
「でも奏とかに変なあだ名を付けられてるし」
「通い妻? 別に気にしてないから大丈夫。むしろ嬉しいし本望かなってやだ何言ってるんだろ私」
俺のことを気遣ってか、文はそんなことを言う。通い妻と呼ばれて嬉しがるやつはいないだろう。
「あ、今日も置いてある」
軽い自己嫌悪に陥っていると文が不意にそう言葉を漏らした。文の視線の先を見ると、そこには一つの植木鉢が置かれていた。
小さな茶色の植木鉢、そこに咲いていたのは淡い青紫色の花だった。二センチくらいの可愛らしい花。
「アマか」
「よく知ってるね。花にそんな詳しかったっけ」
「いや、なんとなく。テレビか何かで見たのかも」
「へぇ。もっと早く訊けばよかったなぁ。ほら、この花可愛いでしょ? ずっと家で育てたいと思ってたんだ」
尊敬の眼差しで見てくる文から目を逸らしつつ、アマを盗み見る。何故か温かく、懐かしく、それでいて悲しい、そんな感情が胸の中で渦巻く。
「信号、青に変わったよ」
「あ、あぁ」
文の呼びかけに俺は意識を現実に戻す。横断歩道を渡り、学校を再び目指した。
後方を再度見る。相変わらず植木鉢が鎮座している。そこに何か大切なものを置き忘れてしまっているような気がした。
担任からの連絡が早く終わり、朝のHRは早く切り上げとなった。終わるや否や、数名のクラスメートが早足で教室を出て行った。多分井戸端会議でもするのだろう。よく長時間立って話そうと思うよな。呆れを通り越して尊敬する。
さて、今日の授業は何かな。鞄から時間割表を見る。やべ、化学じゃねぇか。公式の証明するの忘れてた。今からでは到底間に合いそうもない。何かいい打開策でもないかと考えていると、突然後ろから背中を叩かれた。
「よ! 何難しい顔してんだよ」
「・・・・・・いきなり叩くな。びっくりするじゃねぇか」
少し恨めしそうに後ろを向く。そこにいたのは軽薄そうなオーラを持つ、小学生時代来の悪友、木原 和志だった。
「いきなりやるからこそ意味があるんじゃないか。やるよと宣言してからやって誰が驚くか」
「お前の行動に意味を感じたことは一度たりともないけどな」
「何を言う。この世に意味のない事なんて一つもないんだよ、ワトソン君」
和志がチッチッチと人差し指を突きたて、左右に振る。その指、バキボキに折ってやろうか。
「誰がワトソンだ。それじゃあお前、さっきの理由を言ってみろ」
「暇だから☆」
「理由になってねぇよ馬鹿野郎。あと語尾に星っぽいの付けるな、キモイ」
コイツの頭を叩き割ってやりたい今日この頃。
「まぁ落ち着け。人生色々あるさ。というわけで行こうぜ」
「意味ありげな事を言われた上に、何の脈絡もなく来いって言われて行くやつがいるか!」
「意味ありげな事を言わなければいいのか」
一理あると、和志は納得した顔で頷く。
「どっちにしろ行かねぇよ」
朝から何このハイテンション。毎回和志のノリには着いていけていないのは、普通であるという証拠なのだろうか。そうだと思い込みたい。
「ん、その様子だと聞いてないみたいだなあの噂」
「噂?」
「聞きたい? 聞きたいか。よし言ってやろう」
「転校生が美少女ってことだろ」
「なんだ。知ってるのか」
今さっき思い出した。
「聞いたところ、すごく可愛いらしいな」
「そう! そうらしいんだよ。これはさ、やっぱ男として絶対確認しておきたいよな」
「別によくね。いつか見れるだろ」
「おいおいマジかよ。何その興味ないですよ的な態度」
「そんな態度、初めて聞いた」
今朝の文との会話と同様、興味のない風体を貫く。気にならないわけではないが、わざわざ確認しに行くような事ではない。第一、今は化学の授業にする言い訳を考えなくてはいけない。こちらの不注意を認めつつ、いかに罰を軽減できるか、そこに重点が置かれる。あの教師は一筋縄ではいかないからな。何とかいい案を思いつかないと。
俺のその対応がいけなかったのかもしれない。にやりと和志は笑うと「一つ質問しよう。お前は男か? 女か?」と訊いてきた。
何当たり前の事を訊いているのか疑問に思ったが、素直に男だと答える。計画通りとさらににやりと顔を歪ませる。どこの悪人だよお前。
「よし、なら興味あるという事になるよな。そうなるよな」
「ならねぇよ」
「全く、お前も男だな。宿命には逆らえぬか」
「ぶっ飛んだ宿命だな」
「さて、テンションも上がってきたところで行くぞ!」
「は? テンション上がったって、ちょ、何故手を持つ」
「いぃぃぃぃぃいゃふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
「ちょと待て。お前今日は一段とおかしい・・・・・・って放せ、引き千切れる! 文! 助けてくれ!」
俺の叫びは虚しく教室に響き、引き摺られるようにして教室を後にした。この時は思いもしなかった。まさかこんな形で和泉宙と再開するなんて。
「ぜー、ぜー、ぜー」
「着いたか。お、ターゲットの所在を確認。現在クラスメートと談笑中」
和志に連れられ辿り着いた場所は一年生の教室前だった。和志は空想上のトランシーバーに何やら戯けた事を吹き込んでいる。とうとう脳の回路がいかれたのかと、俺は嘆息した。辺りを見る。廊下を行き交う人々は全員一年生。当然といえば当然だ。この空間の異分子である俺たちは奇異の視線が注がれる。正直ここには居づらい。
「ほら見てみろよ。すっごく可愛いぞ」
和志はほらほらと非常に興奮した様子で、例の女子を見るように促してくる。
「わかった。わかったからそこまで慌て、る、な」
和志が指差す方を見て、俺は言葉を失った。教室の一番後ろの、手前から四番目の席。そのクラスに在籍しているのであろう女子たちが周りを囲み、座っている子に矢継ぎ早に話しかけている。座っている子が人垣の隙間から見える。そこに居たのは、
「な? どうよ宗一」
和泉宙だった。あの艶やかな黒い髪と、オレンジのリボン、可憐なその横顔を見間違えるはずがない。桃色の頬、明るい笑顔は以前は見れなかったもの。良かった。体調は無事、改善したらしい。
「おーい、どうした。あまりにも可愛いから見惚れちまったか」
和志の軽口を無視する。脳の処理が追いつかない。一人の少女を救えた事による安堵? それとも運命的とも言える再開に感動している? 違う。恐らく違う。どう言葉で表現していいのか分からない。きっと、多分。
何かが起こる前触れ、それを直感的に察知しているのだろう。
ふいに、何かに気付いたかのように和泉がこちらを向いた。視線と視線がぶつかる。目が合った。相手は目を丸くし、俺と同様硬直した。やはり、彼女は和泉宙なのだ。彼女の反応からそう断言できた。数瞬の後、和泉が席を立ち、こちらに駆けてくる。和泉の表情は先程の俺とは違い、再会を感動しているようなものだった。ただ、ちょっと顔が強張っているのは何故だ?
俺の前に辿り着き、和泉は上目遣いで俺を見る。期待と不安が入り混じった目。緊張した面持ちで、
「神崎、宗一先輩、ですか?」
と言った。
「そ、そうだけど」
どもりつつも返答する。和泉の顔が晴れ晴れと輝く。不安という要素が瞳から抜け、期待が歓喜へと変わっていく。
そして。
「先輩、会いたかったです!」
次の瞬間、俺は和泉に思いっきり抱きしめられた。ぎゅっと、二度と離さないとばかりに。
意見・指摘・感想などがありましたら感想の方まで宜しくお願いします。
皆さんに笑いと感動を届けられますように。
では(・ω・)ノシ
奏「次回は私の登場だね☆」
宗「ついにトラブルメーカーが来た」
奏「なにおぅ! トラブルじゃなくて、私が作り出すのは笑いと騒動! その違い、お分かりかな?」
宗「それがトラブルだって言ってるんだよ。文を見習え」
文「え、私!?」
奏「文っちも奥手だからね。宙ちゃんに抜かれないよう、今からアタックアタック!」
文「あ、アタック? こう?」
宗「ぐふっ!」
奏「・・・・・・誰もタックルかませとは言ってないよ?」
和「俺、完全に忘れられてる?」