(2)
「ただいま」
玄関の戸を開け、帰宅を告げる。毎日繰り返している行為だからか、普段より遥かに疲労の蓄積した状態であっても、すっと自然に発せられた。いつもは文の声か、耳が痛くなるような静寂が俺を迎えるのだが、今日はそのどちらでもない。
「お帰りなさい。せーんぱい♪」
タッタッタと軽快なリズムで駆けてくる音。リビングから宙がひまわりのような笑顔を咲かせ出迎えてくれた。そのまま目の前へ寄ると何かを期待した目をし、口を開いた。
「今日はご飯にしますか? ディナーにしますか? それともゆ・う・しょ・く?」
「ごは……どれも同じじゃないか」
決まり文句を発すると思いきや、注意しないと聞き逃しそうなボケをかましてきた。眼前に来るまでの短い時間で考えたのか。宙の頭の回転が速いのか、とただただ感心した。本能の赴くままに発言した可能性は考慮しない。
「もちろんお風呂の準備、わたしの心の準備も終えているので、計五つの中から選んで下さい」
「じゃあ先に食事を済ませる」
「遠慮はいりませんよ」
「遠慮せずに沢山食べる」
「色気より食い気という訳ですか。奏先輩ばりに、ぼっきゅんぼんでないと駄目なんですか」
宙が悔しそうに何かをぶつぶつ呟いている。奏という言葉が聞こえてきた辺り、奏に余計な事でも吹き込まれたのだろうか。
「やはり一筋縄ではいかないです。では、もう少ししたら出来上がるので、椅子に座って待っていて下さいね」
来た時と同様に、宙はサイドポニーを揺らし、急ぎ足でキッチンへ戻って行った。台風少女の名に恥じない素早さと騒々しさだ。もう少し落ち着きがあればいいのに、と深く溜息をついた。
「ねぇ先輩。九時半からスローウォーカーってドラマやるんですけど、一緒に観ませんか?」
風呂から上がった後、ソファーでくつろいでいると、隣でクッションを抱えて顔を埋めいている宙が突然訊いてきた。
「いいよ」
「やったぁ! 飲み物用意しましょうか。先輩は何がいいですか?」
「オレンジジュースで」
「では不肖和泉宙。先輩に精一杯ご奉仕して差し上げましょう」
妙にテンションが高くなった宙は、湖上を舞う妖精のように軽やかな足取りでキッチンに向かった。その一連の行動に俺はただ呆然としていたが、早々に立ち直ると俺はテレビをつけ、スローウォーカーを放送する番組に切り替える。丁度画面には件のドラマのCMがやっており、中々興味のそそられる内容だった。
「どうぞ、先輩」
宙がグラスを二つ載せたお盆を、ソファーの前のテーブルに置くと、またソファーに座った。今度は俺と密着する場所に。
「近い」
「わざとです」
ならば仕方がない。諦めるしかない。
ドラマを見終わり、しばらく宙と歓談していると、いつの間にか十時を回ってしまった。朝早くに俺の家から出ていくと言っていたし、もうそろそろ寝た方がいいだろう。これを提案すると、宙は「確かにもういい時間になってますね」と寂しさを含んだ声で返答した。
「今日で最後なんですね。同棲生活」
「単なるお泊りだろ。でも、そっか。結構早かったな」
これで心置きなくゆっくり出来ると考えつつ、また家が静かになってしまうという寂しさを感じていた。心が休まる場もないと、最初は微妙な心境であったが、何だかんだ言って、宙との時間は非常に楽しかった。
「でも安心して下さい。学校でもまた会えますし、こうしてくっつけます」
宙は肩を寄せ、俺の腕に頬を当てた。柑橘類のさわやかな香りが鼻腔をくすぐる。
その匂いにどぎまぎしつつも、この二日間を思い返した。短い間ではあったが宙には家事全般をやって貰っていた。料理に掃除、そして洗濯。三つ目に関しては一悶着あったが、助けられた面がかなり大きい。
そう考えている内に、何か恩返しをしないと気が済まなくなり、その旨を伝える。
「恩返し、ですか」
「俺に出来る事なら何でもするよ」
世話になりっぱなしでは俺の立つ瀬がないし。
「何でも……何でも……にゅふっ」
「待て。今の笑いは何だ。すごくおかしかったぞ」
「せ・ん・ぱ・い。それならそうと言ってくれればいいのに」
「何言ってるのか理解出来ないんだけど」
「あ、でも先輩の理性が崩壊したら困るので、一時間抱き付くというのはどうでしょう」
「どうでしょうって言われても」
「悪いようにはしません」
「されたら困るからな」
結局宙の要求を呑む事になった。
「あとどれくらい?」
「もう少しです」
「すでに三十分経ってるし、寝た方がいいんじゃないか?」
「わたしの体内時計ではまだ十秒しか経ってません」
随分と狂った時計だな。
「そうだ! 隣で一緒に寝て貰えば、わたしは寝れる、先輩に抱き付ける、まさに一石二鳥です!」
「願い事は一つだけじゃなかったっけ」
「一言も言ってないですよ?」
言ってなかった気がする。
結果的に計一時間、宙の体温を間近で感じ続けた。その間、脳内から悪魔を追い出すのに必死だったのは言うまでもない。
そろそろ調子が戻ってきた気がする。
地の文が少ないのは、追々直していく予定です。
さて、学園祭本番まであと一週間ぴったし。
この間に宗一達の仲はどこまで発展するのか。
全ては僕の腕にかかっていると言っても過言ではありません。
頑張って、目標として夏までに完成させるように、ピッチを上げていきたいです。
感想、意見、「こんな話を書いてほしい」などの要望があれば、
感想フォームまで。
では(・ω・)ノシ