(2)
慌ただしい朝を迎えた今日。通学路の風景は普段と変わらず穏やかな様相を見せていた。雲一つない青空の中を自由に飛び回る小鳥。森林はざわざわと涼しげに揺れ、小鳥のさえずりが一層清々しさを強調している。吹き渡る風は冷たくて、さらさらとして、秋風とは何かを直に感覚的に伝えてくる。
そんな心地の良い秋の朝、一限目に、まさか轟々と吹き荒れる嵐が俺達の教室を襲うとは、この時の俺は知る由もなかった。
「なぁ、宗一。桜木の姿が見えないんだけど、遅刻? それとも休みか?」
欠伸を噛み殺しながら教室のドアを潜り抜け自分の席に着くと、和志がそう言いながらヘッドロックをかましてきた。喉仏に丁度和志の腕の骨が当たり、ぐえっと不愉快な苦しさが口から音として吐き出された。命の危険が迫っていると俺の脳、主に本能を司る部分が勝手に判断した。反射的に堅く結ばれた右拳を和志の顔面に打ち込まれる。手の甲に和志の顔面の凹凸がはっきりと分かるくらい密着し、急速に離れていった。一秒に満たない離合であったが和志に絶大なダメージを負わした。
「痛いじゃねぇかぁ、そーいちぃ」
「ごめん。だけどいきなり人様の首を締め付けるな」
「あぁ、俺も悪かった。次からはソフトに締め付ける」
反省の色なし。次は右ストレートを意識的に打ち込んでやる。
「んでどうした? まさか別れたのか。夫婦の縁が切れたのか」
「奏みたいな事を言うな」
毎朝俺が文と一緒に登校している事を和志は既知である。文と俺の家が隣同士なのだから当たり前と言えば当たり前だが。文の姿が見えない、と言う事は何らかの事情で遅れているか来れないのか、どちらかだろうと和志は予測したのだろう。その事情はいつも隣にいる俺が知っている筈だとも推測したに違いない。
「休み。今朝熱出してな。三十八度五分だと」
具体的な温度も告げると和志の目が驚きで開かれた。せいぜい微熱程度だと思っていたんだろう。心配そうな瞳は文を気遣うようで、彼の優しさが伝わってきた。
「高熱だな。意識はあるよな」
「気を失う程だったら俺はここにいない。大丈夫。意識はちゃんとしてるし、今頃お粥でも食べてるんじゃないのか」
「そうか・・・・・・」
「宗やん。文っちが体調崩したの?」
和志との会話が聞こえたか、聞いていたのか、奏と宙が輪に加わった。奏がそわそわと落ち着かない様子でいる。
「風邪引いて熱出してぶっ倒れた」
「文先輩が休み・・・・・・ちょっと寂しくなりますね。どれくらい休むのですか?」
「多分三日、長くて五日掛かる」
俺の言葉に一同の顔が陰った。不安を煽るような事を漏らしてしまった事に気付き、すぐに「でも薬を飲んで安静にしていれば治るだろ」と明る過ぎずわざとらしさが出ないように言った。
「でも心配だよね。今こうしてる間にも文っちは熱でうなされてるんだし」
皆それぞれ文の体を気遣っている事、文がどれ程想われているのか伝わってくる。文、おまえの周りは全員友達思いの良い奴だぞ。
「皆さん。放課後、文先輩のお見舞いに行きませんか?」
宙が恐る恐るといった様子でそう提案した。
「いいね! 宙っち、宗やん、変態。早速千羽鶴折らない?」
一番に賛同したのは奏であった。さすが決断力、実行力では他の追随を許さない。だが、千羽鶴とはどういう事だ。
「奏先輩。文先輩は別に不治の病に掛かったわけではないのですから、千羽鶴は必要ない思います」
「貰うと嬉しいと思うのに」
「リアクションに困るんじゃないですか」
「宗やん、今日の宙っち、いつもと違って冷静だよ」
「宗一先輩を見習いました」
「俺って冷静なのか?」
和志に訊く。
「テンションの上がり下がりは激しいよな」
「マジか」
なるたけ一定に保つよう心掛けよう。
「皆の顔を見せれば文先輩もすぐに元気を取り戻すはずです」
いつになく真剣な宙の物言い。一週間の短い期間でこれ程の信頼関係を築けたのは宙の皆と平等に接する姿勢によってか、文の人徳よってか、それとも両方か。何にしろ良好な仲である事に俺は嬉しく思った。
「あ、用事があるのでしたら無理にとはいいません」
「俺、用事があるからパス」
和志が即答した。
「今日発売のグラビア写真集を買わなきゃいけないから」
「文先輩小なり写真集なのですか!?」
あまりに突飛な発言に宙は衝撃を受けた様子だった。俺は俺で、小なりを日常会話で使われる所を初めて見て、衝撃とまではいかないが驚いてはいた。大なりを含めて数学以外で聞く事ないからなぁ。よくネットで越えられない壁関連のネタで使用されるけれど、あの表記が果たして正しいものなのか疑問だ。小なりとか大なりが十個も連なっていいのだろうか。暇があったら調べてみよう。
今は和志に真っ当なコメントをしなければ。
「和志。今すぐ校舎裏で穴掘って埋まってこい。頭だけ地上に出してな」
雑言しか出て来なかった。
「その哀れな姿は奏特性カメラでカシャリと撮ってあげるね」
「桜木にシュールな写真をプレゼントか。次から俺を見る桜木の目が変わりそうだぜ」
「って事は、全員お見舞いに行けるんだよね。なら皆何を持ってくか決めておかない? 被ると嫌だし。」
珍しく奏がまともな発言をした。さっきから驚愕の連続だ。明日辺り赤い雪が降るんじゃなかろうか。最低霰が降りそうだ。
「宗やん。今失礼な事考えてなかった?」
「なかった」
お前は超能力者か。
「それではわたしはメロンとバナナを持っていきます」
「ん~、ベタだけど貰うと凄く嬉しい物を選んだね、宙っち。よし、わたしはゆずリンゴにしよう。体が暖まるんだよね」
「ゆずリンゴなんて初めて聞きました」
「じゃあ、文っちの分と一緒に皆の分も持ってくるよ」
「本当ですか? ありがとうございます。楽しみにしてますね」
「楽しみにし過ぎて逆立ちしないようにね!」
「どういう状況ですか、それ」
宙は両手を後ろ、丁度腰の位置に回し、期待が溢れているかのように軽く体を上下させる。宙の纏う雰囲気が柚子のような明るめの山吹色に変わった気がした。表現は微妙かもしれないが、俺の感覚としては結構的を射ている。仄かに香る柑橘系の匂いもそう感じさせる要因の一つになっているのかもしれない。
「俺は勿論グラ・・・・・・ンド百周を余裕で走り切れると言われるスタミナジュースを用意する。野菜と果物がふんだんにあしらわれた絶品です、えぇ、はい」
さすがにグラビア写真集と最後まで発する勇気は持ち合わせていなかったようだ。別に写真集を買う事に対して、俺自身引いたり気持ち悪がったりはしないが、女子の面前で話すのは少々頂けない。事実、奏はともかく宙がドン引きしていた。和志の言動に慣れるにはもうしばらく掛かりそうだ。
「案外難しいな。・・・・・・じゃあ、俺はCDでも買ってくる。文が好きなアーティストの新曲が出たみたいだし」
ずっと部屋の中にいるから退屈だろう。気分転換に音楽を聴けば気持ちも晴れていくに違いない。
「えー。ナンセンスだよ、宗やん。そこは宗やんの熱い想いが吹き込まれたピロトークCDでしょ」
「ふざけるな」
「君を二度と、放さない」
「誰の声真似だよ。ってか普通に買ってくるだけだっての」
「わたしも反対です! 先輩のピロトーク、先輩の吐息、耳元で囁かれる熱烈な愛の言葉。そんなの、わたしが貰ったら熱が上がっちゃって指一本も動かせなくなって、もう色々看病してもらわないといけない身体に・・・・・・! 先輩なしでは生きていけなくなる事間違いなしです」
「間違いだらけだよ!」
「宗やんの言う通りだね。二人とも思春期の真っ直中。もし何か起きちゃったら、くっ、鼻血が出てきたよ」
「お前ら、人を獣扱いするんじゃねえ!」
鼻を押さえ、やられたぜ、みたいな顔を向ける奏に、正直殺意が沸いてきた。教室中から受ける白い視線、好奇の眼差しによる精神的ダメージを物理的なものに変換して叩き込んでやりたい。
「では、そういう事で」
「どういう事だ」
「場所は校門前。四時半までに集合!」
奏が面々を順々に見、そして自信に満ち溢れた瞳で言い放った。
「ミッションインポッシブル!」
不可能でどうする。
で、その後冷静になった俺らは、一気に全員押し掛けたら返って文に負担を掛けてしまうので、時間帯をズラして訪問する事に決定した。和志は急用が出来てしまったようで、スタミナジュースだけ奏に預けていった。奏と宙は先程の決定通り、四時半に校門で待ち合わせして桜木家に向かうみたいだ。
俺は六時にお邪魔するとしよう。夕飯の時間は確か七時だったし、長く居座るわけではないから構わないだろう。
CDのついでに何か買っていこうと考え、それからLHRでの学園祭会議の途中や、二限目の数学の授業中における思考の大半をそれに費やしたのであった。
ネタ尽きかけ。
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では(・ω・)ノシ
奏「ゆずリンゴ持ってきたよー」
和「美味しそうだな。いっただきまーす」
宙「おいしいです! 今度作り方教えて貰えませんか?」
奏「いいよ。結構簡単なんだよ」
宗「甘いのにさっぱりしてていいな」
奏「おっと、宗やん。わたしに惚れちゃあ駄目だべ。
宗やんの嫁はすでに決まってるんだ・か・ら・ね♪」
宗「……疲れる」