(7)
今回は非常に長いです。
「くそ、災難だ」
大幅なロスタイムを強いられた俺は第二の試練へ急行していた。
宙と文との差は歴然としている。それもそのはず、先程まで奏の手当をしていたのだから。
「いったああぁぁぁぁぁい!」
先頭二人が海から出た後、次の障害物へと進むべく陸に上がった丁度その時、突然奏が頓狂声を発しそのまま右足を押さえ転倒してしまった。どうやら足を攣ったらしい。苦痛に顔を歪ませ足を抱え込む奏に、俺はこれはまずいと、すぐに処置を施した。
「何処を攣ったんだ」
「ふくらはぎ!」
「了解」
上体を起こさせ、攣った方の足を伸ばしたまま持ち上げる。踵を固定し、つま先を前へ押していく。数十秒が経過すると、奏の表情は次第に穏やかになっていき、結果として弛緩に成功したようだった。
「ありがとう、宗やん」
「どういたしまして。とりあえずパラソルまで運ぶからじっとしてろ。すぐに動いたらまた攣るからな」
「いいよ。レースの途中だよ? 宗やんが負けちゃう」
「関係ない。このままお前を放置したら、熱中症になってぶっ倒れるだろうし」
「わたしは動けるから無問題だよ」
「動いたら駄目だって言っただろ。大人しく運ばれておけ」
「う、うん・・・・・・」
珍しく随分としおらしい奏に若干驚きながら、俺は奏を持ち上げた。
「って、宗やん! これ、これ!」
「何かあったか?」
「どういうつもり!? これ、お姫様だっこ!」
やたらと慌てた様子で、奏が俺の運び方に文句を付けてきた。一体何処に問題があるのだろう。おんぶだと体が密着し過ぎるし、普通の抱っこや肩車なんて論外だ。一番密着度が低く、且つ相手に負担を掛けずに移動させられるお姫様抱っここそ、効率的で最善の方法だと思うけれど。勿論多少の恥ずかしさは感じるが、先程言った通り、奏の体調を悪化させるような真似はしたくない。
「気にするな」
「気にするよ! 宗やんはどうして使用すべき相手を間違えるかな。ほら、フラグを立てるべきなのは文っちとか文っちとか文っちだよ」
「お前の言いたい事はよく分からん」
「分かってよ」
無茶を言うでない。
ギャーギャーと騒ぐ奏をパラソルの下にまで持っていく。すると、楓が紙コップ一つとタオルを一枚持って立っていた。足下には楓のものだろうか、タオルがグルグルに巻かれて置いてあった。
「宗一。そこに寝かせてあげて」
「OK」
即席枕の上に奏の頭が乗るように横たえる。奏は騒ぐ代わりに暴れていないので、容易に寝かせられた。
「さっきまであんなにはしゃぎ回ってたのに、何で攣るのよ」
「わたしの足に訊いてよ、メープル」
「メープルって言うな。とにかく、ほら、水分を採りなさい。死んで貰ったら堪らないわ」
紙コップにストローを差し込み、奏に手渡しした。ストローを差したのは、多分寝ながらでも飲めるようにとの配慮だろう。何だかんだで優しいからな、楓は。
「ありがとう・・・・・・」
奏が紙コップを受け取り、チューチューと吸い始めた。
「んじゃ、俺はレースに戻るから、後は頼んだ」
「任せておきなさい。さぁ、奏。さっきのお返し、たっぷりしてあげるから」
真っ黒な笑みを浮かべ奏を見下ろす楓は、悪魔という表現さえ生易しく感じる程に邪悪であった。
「宗やん。わたし、宗やんと離れたくない。ずっと傍にいて支えて」
「頑張れ」
「宗やんの薄情者!」
自業自得だ。
断末魔を聞き届け、俺は再度炎天下の砂浜へと舞い戻った。
さっきまで俺は負けは確定したものと考えていた。一位は取れず、必死になってようやく二位を奪取できるかどうか。そんな思考が丁度旋毛辺りに浮かんでいた。だが、間違いだったと今なら断言出来る。
「宗くんはわたしを嫌いになんかならないよねでももし嫌われたらどうしよう太ったわたしを愛してくれるのかなそうだ宗くんは優しいからきっとううん念の為食べる物を厳選すればあっベジタリアンになればいいんだ白菜レタス人参トマトピーマンセロリブロッコリー色んな野菜とドレッシングがあれば生きられるよねでもパンはありだよね最低限の炭水化物を採らないと死んじゃうし死んだら宗くんに二度と会えない嫌だわたしは宗くんと一生一緒にううん駄目だよ宗くんに好きな相手が出来たら応援しなきゃ宗くんの幸せはわたしの幸せなんだからうん幸せそうだよ幸せなんだ」
何故なら目の前で文が虚ろな目で不思議な呪文を唱えているからだ。しかもかなり病んでいるときた。
「な、なぁ。文?」
「今宗くんの声が聞こえた気がする。あ、宗くん元気? わたしこれからベジタリアンになるの」
文が弁当に向かって菜食主義者宣言をしていた。恐ろしい事この上ない。
俺は何も言わずおもむろに弁当を手に取ると、無心に全てを食い尽くした。
「文、お前の事は忘れない」
様々な想いが詰まった涙を散らし、俺は前へ前へとひたすら走った。
第三の試練、かき氷。弁当の時と同様にテーブルの上に配置してあった。テーブルに近づく。そこにあるのはかき氷だったと思われし赤色や黄色、青色といった如何にも科学によって生み出されたような色の液体が綺麗に並べられていた。さらに詳しく言えば、四つある内の一つの皿に液体はなく、テーブルの下には女の子が一人転がっていた。
「宙、返事しろ」
「・・・・・・」
返事がない。ただの屍の様だ。器の中をよく見る。一つは綺麗に飲み干され、少し濡れている為太陽の光を反射しキラキラ光っている。だが底に緑色の物体が点在しており、この容器がハズレであった事を瞬時に理解した。
「奏、わさびを投入したのか」
俺は青い液体を飲み、ゴールへと向かって駆け出した。俺の予想は、青はブルーハワイ、緑はわさび、そして赤はタバスコだ。まず間違いないだろう。
結局今回のレースは被害者が多数出た為無効となった。楓はレースの詳細を聞くと、即座に「バカね」とばっさり切り捨てた。当然の反応だな。けれど文句を言いつつも楓は一緒に片付けを手伝ってくれて、俺の心に暖かな気持ちが咲いた。ただ見返りとして学園祭準備をお願いと脅迫紛いの依頼をされたのは正直堪えた。命令権が無くても変わらないな、と自分の情けなさに泣き掛けたのは後々いい思い出になるだろう。
あれだけ俺達に厳しい熱光線を浴びせていた太陽は勢いを減退させ、橙色に輝きながら海に埋没していく。海も空も黄昏の色に染まる。砂浜が金色に輝く。その様を眺めながら俺達はそれぞれの帰路を辿り、長いようで短い一日に別れを告げた。
少々憂鬱だった時間もあったが、過ぎてしまえば何て事ない、逆に物足りなさ、寂しささえ覚える。全く、奏のやつ。場を掻き乱すだけ乱しておいて、結局皆を満足させるし、楽しかったと思わせるなんて。あいつこそ真の策士ではないのか? もしかしたら俺だけ楽しいと思っているのかもしれないけれど、今はその可能性は外しておくか。
宙と途中で別れ、俺と文が並んで歩く形となった。文は魂が抜け落ちたように覚つかない足取りであり、かなり危なっかしい。仕方がなしに文の片手を握り、安全な道へと導き、桜木宅に到着した。
インターフォンを鳴らすと、「はい、桜木です」と聞き慣れた若い女性の声が流れた。
「神崎です。ただいま帰りました。文も一緒です」
「まぁ。エスコートありがとうね。ちょっと待っててね」
しばらくして玄関から文の母、千代さんが出てきた。俺達の姿を見て何故かニヤついた顔をし、「ありがとう」と視線をある一点に集中させながら言った。視線を辿った先には繋がれた俺と文の手があり、そこで初めてまだ手を繋いだままだった事に気が付いた。途端に手のひらから感じる柔らかく温かな文の手を意識してしまったのは無理もないだろう。
「本当に仲が良いわねぇ。将来が楽しみだわ」
両耳がかあっと熱くなっていくのがはっきりと分かったので、俺もまだまだ擦れてないなと内心で嘆息した。
親子丼を作り腹を満たしてから三十分後、ソファーに座り心身共にリラックスしていた。久々に自分で料理を作ってみたのだが、案外美味く完成した。今度はカツ丼に挑戦するか。
インスタントコーヒーをコップにスプーン二杯分入れ、ポットで沸かしたお湯を注ぐ。透明が茶色に侵食されていき、やがて黒色へと変化していった。言いようのない不安が胸奥から湧き出てくるけれど、一体何故なのか検討も付かなかった。多分疲れているんだろう。寝れば忘れるだろう。果たして完全に拭い去る事が出来るのか、それもまた不安ではあるが、寝れば忘れるだろう。そう、睡眠だ。惰眠でもいい。睡眠は精神面を現状維持または回復させるのに自分にとって効果的だ。最近頻繁に感じる不和は棄ててしまった方がいいに決まっている。
カップを持ち、ソファー前に設置されてある小さなテーブルに置いた。前方にはテレビがあり、現在面白味の感じられないトーク番組が流れている。芸能人同士のカップル、熱愛、不倫、離婚、暴行、詐欺、再婚等等、プライベートに土足で踏み込む馬鹿げた放送。訂正、面白味を感じられないのではなくて、単に下らないだけだ。単に不愉快なだけだ。多局の番組すら見る気が起きなくなり、テレビの主電源を切った。
気を失うかのように真っ黒になる画面。耳が痛くなる程無音の室内。いつもなら文がいて、この冷え切ったリビングを色鮮やかにしてくれたのに。両親が海外へ出張すると決まった時、一人を望み喜んでいたのに、今では他人と数時間会わないだけで人恋しくなるようになった。いや、元からそうだったのか。悪くない。むしろ自分らしいとさえ思う。
余計な思考と複雑な心境を洗い流すかのようにコーヒーを飲み、ふぅと一息着いた。薄いな。でも不味くはない。
ソファーに身を委ねると、自然と顔が上を向き、真っ白な天井と若干眩しい照明が視界に入った。太陽と違って、部屋の照明は熱光線を発さないからいい。気温を上昇させないからいい。もし発していたとしたら、俺は、少なくとも夏の間延々と暗闇の部屋に引き籠もり続けるだろう。しばらく外出は控えたい気持ちだ。いや、でも暑いと言っても九月の下旬、寒くなりつつあるのだから、いっそ暑さを堪能してしまえばいいんじゃないだろうか。いや、やはり止めておこう。今度こそ焼け死にそうだ。
無意味に時間が過ぎていく。一日中海で騒ぎまくっていた所為か体に疲労感が蓄積され、また満腹による満足感も相俟って、眠気はピークに達していた。うとうとと船を漕ぎ始める。もうそろそろ風呂に入って寝た方が良さそうだ。早速風呂場へ向かおうと重い腰を上げた。
『Amazing grace. How sweet the sound. That saved a wretch like me』
その時、ケータイが聞き慣れた曲を奏で始めた。着信。背面の液晶には「桜木 文」と表示されていた。一気に目が冴えた。
すぐさま反応し、通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
『宗くん? 文だけど』
今回は文本人からの電話だった。今年に入って何回目かの電話。和志達とは違い、文とはいつも学校のみならず自宅でも顔を合わせているので、ケータイ越しで話する機会がほとんどない。あるとしたら緊急連絡や頼み事をする時だ。
「うん、どうした」
『夜遅くにごめんね。あと今日晩ご飯作りに行けなくてごめんね』
「そんな気にしなくていいよ。今日親子丼作ってみたんだけどさ。結構上手くいったんだよ。今度作ってあげるよ」
あれは快心の出来であったと自負している。とろとろの卵、少し歯ごたえのある鶏肉がほかほかのご飯の上に乗せられ、醤油のいい香りが鼻腔をくすぐる素晴らしき一品。是非とも文に味わって貰いたい。最も、振る舞う際に今回程上手く作れるかは分からないが。
『本当? うん、楽しみにしてるね』
朗らかな声色で返答する文の期待に応えて、渾身の出来のものを供応しおう。そう心に誓う。
『あ、それで、あと二週間くらいで学園祭だよね』
「もうそんなに迫ってたか。ってか相変わらずスケジュール詰め過ぎ、この学園。いつか生徒が過労死するんじゃないか?」
『あはは。まぁ校風だし仕方ないよ』
死と隣り合わせの校風なんて嫌だ。
「確か明日のLHRで具体的に出し物を決めるんだよな。文は何かやりたい事あるか?」
向こうから、う~んと考え事をする声が聞こえてきた。顎に人差し指を当て賢明に考える姿が浮かぶ。
『わたしは、そうだなぁ、人形劇とかお菓子屋みたいな事やりたいけど。宗くんは?』
「俺はお化け屋敷以外だな。去年と被るのは何としてでも避けたい」
『毎年違う事やった方が得だもんね。楽しめるし』
「喫茶店とかもいいよな。紅茶やコーヒー出して、ケーキとかクッキーとか作ってさ」
『それいいかも。うちのクラスには渚ちゃんもいるし、お菓子作れる人、結構多いんだよ?』
「メンバーに不足はないな。よし、明日のLHRで提案するか」
『珍しいね。宗くんが意見出すなんて』
「学園祭はやる気あるからな。今年も本腰を入れて取り組まないとな。今週はかなり忙しくなるし、こうしてのんびりとしてられないと思うし」
この学園の不思議な部分その一、日程が明らかにタイトである事。山上学園は行事が数多くあり、入学式、体育祭、学園祭、マラソン大会、遠足または修学旅行、スキー教室、ざっと挙げただけで五つを越える。授業日数が足りるのか心配にさせる程行うので、確かに楽しくはあるのだが、果たして大学に進学出来るのか、この授業進度で受験に間に合うのか、と本来なら抱く筈がないような不安を掻き立てる。
『えっとね、話が凄くズレるけどね』
「うん」
ここまでで突然話が二回切り替わったな。仲間内でする会話って、速攻で話題が変わるか、だらだらと続くかのどちらかな気がする。別に落ちや内容を求めているわけではないけれど、やっぱりこのままでいいのか気がかりだ。社会で欲されるもの、例えば知識、学歴、判断力、責任能力など多数ある中で、最も大きなウェイトを占めている言われるコミュニケーション能力が、果たして自分に備わっているのか。自分で思ってる程備わっていないに違いない。もっと他人と接しなければいけないのか。年齢や地位、在住地域に関係なく幅広い友好関係、人脈を築き上げる。それが今すべき事なのでは? 自分を変える、人見知りのきらいがある俺を変える。
……いや、焦る必要はないか。無意味に突っ走って自分を見失うようでは本末転倒だからな。
文の応答を待つ。
無言。
無音。
数秒の間をおいて、文が、
『宗くんって、好きな人いる?』
久々に爆弾を投下した。
「え?」
『え、いや。そうじゃないの。ほら、学園祭で誰と回るのかなぁって。それで、その、恋人とか仲の良い人と行くんじゃないかなぁとか』
徐々に声が小さくなり、最終的に蚊の鳴く程になった。そうか。そうだよな。女の子だし恋愛には興味あるよな。でも残念だったな。俺には恋人どころか好きな人さえいないんだ。もし学園祭で一緒に行くとしたら……。
「好きな人はいないけど、一緒に回るとしたら文かな」
『ふぇっ!? ほ、本当に? 嘘じゃないよね』
ガタンと音を立てながら慌てた様子で真偽を確認する文。なるほど、椅子に座りながら話してたのか、と俺は無駄な推測を立てた。次は飛び跳ねて天井に頭をぶつけるかもしれない。なったら面白い。
「なんでそこまで驚いてんだよ。あまり親しい女子いないし、唯一知ってる女子は奏と宙、そしてお前だけ。この中で回るんだったら文しかいないだろ」
『えっと、何でわたしを選んだのか、理由訊いてもいい?』
一番一緒に居て疲れないからと言おうと思ったが、この発言はかなり相手に対して失礼な上に、人格を疑われかねないので取り下げる事にした。他に理由があるとしたら、
「一番一緒に居てほっとするから」
『ほっとする?』
「うん。よく自分でも分からないけどほっとする」
『ふーん……。わたしもよく分からないけど。うん、いいかな』
「何がいいんだ?」
『大した事じゃないから。じゃ、じゃあわたしと、学園祭回ってくれる?』
「いいよ。一緒に楽しもうぜ、学園祭」
『うん! 約束だよ』
「おうとも。俺は約束は守る主義だからな。破った事なんて滅多にないだろ?」
『守って貰う為にゆびきりげんまんしようよ』
「出来ないじゃん。今からお前ん家に行くのか?」
『言葉だけでもいいと思う』
「適当だな」
『いいの! こういうのは雰囲気だと思うし。せーので一緒に言おう?』
「はぁ。分かった。それじゃ、せーの」
ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーばすっ。ゆびきった!
ようやく海水浴編終了!
次回からお待ち兼ね学園祭編始まります。
ここで宗一が誰と付き合うのかが決まります。
さて誰と結ばれるのでしょうか。
お楽しみに。
奏「楽しい楽しいがっくえんさーい」
和「マジで楓が怖い」
楓「どう使おうかしら」
宗「早いところ決めないとな、出し物」
文「宗くんと一緒に出来るんだったら、わたしは何でも……!」
宙「先輩、わたしのところ、見に来てくださいね!」