8月31日(1)
君が隣に居たならば、どんな未来を迎えていたのだろう。
君が傍に居たならば、どんな日々を過ごしていたのだろう。
アマの花が風に揺れ、有り得た未来が遠くへ飛んだ。
さよなら僕の懐かしき日々よ。
未来の僕が目覚める日まで。
白い光が目に飛び込んでくる。
眩しい。
まず最初に抱いた感想はそれだった。まだ働いていない脳に喝を入れ、時計を確認する。時刻は午前六時四十五分。もうそろそろ目覚ましが鳴ろうかという時間であった。一瞬このまま起きるか、はたまた二度寝をするか。どちらの選択肢を取るか迷った。しかし、この問題はすぐに片づいた。
「寝るか」
布団にもう一度くるまると、静かに眠りに落ちていった。
午前七時。夏休み最後の日。茹だる暑さに耐え切れなくなり布団から飛び出したのは、二度寝という選択肢を取ってから数分後のことだった。こんなことなら素直に起きれば良かったと後悔する。きっと寝起きと暑さの所為で思考回路が上手く繋がっていなかったからだろう。身なりを整え、階下に行く。下っている途中、リビングから何やら香ばしい良い香りが漂ってきた。右折し、すぐ近くにある左手に位置する部屋の中へ入る。
右前方で、一人の女の子が背を向け、鼻歌を奏でながらキッチンで料理をしていた。その後ろ姿が誰のものかは知っている。
桜木 文。
小学生の頃からの付き合いで、俺の家の隣人でもある。いわゆる幼なじみだ。
「おはよう、宗くん。今朝は早いんだね」
ドア付近で突っ立っていると、物音で気づいたのか、文はこちらに振り向きにっこりと微笑んだ。お玉を片手に台所に立つエプロン姿の幼なじみは、なんだか様になっていて、まるで熟練した主婦みたいだ。
「おはよう。今日はベーコンエッグか?」
「そうだよ。もう少しで完成するから待っててね」
文はそれをフライパンから皿へと移すと、手際よくサラダ、果物を盛りつけていく。十秒も経たない内に見事朝ご飯の準備を終えた。
「それじゃあ食べようか」
「あぁ、そうだな」
二人とも席について頂きますと言った。
これはかれこれ五年間続いている光景だ。俺の両親は仕事柄、海外へ出張することが多く、一年の大半は現地暮らしとなった。そのため俺は一人暮らしを余儀なくされる事になる。別段不満も特になく、むしろ一人暮らしをしてみたいという数ある願望の中の一つが叶えられ舞い上がったのだが、それはぬか喜びであった。重大な欠点があったのだ。
俺は、料理が、できない。
練習すれば出来るかもしれないけれど、やる気が出ない。最後に料理したのは小学六年生の時の調理実習以来だ。包丁の握り方? そんなのあるの? というレベル。とてもじゃないが、料理なんて出来そうになかった。
紆余曲折あり、文が家に来て料理を作りに来てくれることになったのは、両親が初めて長期の出張に出る二日前の事。妙に張り切った様子で「宗くんの健康、体調管理はお任せください!」と宣言したのは今でも忘れない。
それから二年半、こうしてほぼ毎日来てくれ、大半の家事を任せてしまっている。俺の心の中は言葉で言い表せきれないほどの感謝の念でいっぱいだ。今は大した恩返しは出来ないけれど、いつか必ず返したい、そう強く思っている。
「どうかな。今日はいつもより上手くいったんだけど」
「うん。焼き加減も塩加減もばっちり。すごくおいしいよ」
「本当? よかった。喜んでもらえて」
えへへと笑う文は本当に嬉しそうで、見ているこちらまで幸せな気持ちになってくる。将来文は良い嫁さんになるなぁ、とぼんやりと考えた。
「夜もよろしくお願いします、文さん」
「了解。いつか宗くんが私にごちそうしてね」
「特製サンドイッチをごちそうするから、期待して待ってろ」
「ピリ辛の? うん、楽しみにしてるね」
文の笑顔に少しどぎまぎしながら、これからもこんな日常が続いていって欲しいと願った、とある朝のことだった。
昼過ぎ。昼食を済ませた後は特にやる事もなく、俺は適当に街中を散策していた。街は人で溢れかえっていて、雑多で。賑やかというより騒がしいという印象を持たせる。人込みは幼い頃から苦手だけど、この程度なら我慢できる。出来なかったら今頃病院か道端で野垂れ死んでいる。
角を曲がり、あと三メートル弱のところで信号が赤に切り替わった。運が悪い。夏の蒸し暑い外気に晒されながら立って待つなんて拷問に等しい。熱中症対策はしてきたものの、今日に限ってはあまり効果は期待できなさそうだ。
小さな陰すら見当たらない。辺りには花壇や電信柱といった街でよく見かけるオブジェクトが点在し、老若男女、多種多様な服を身に纏う人々が大きな波、集団を形成している。特に目の引くものはなく、何の面白みもない光景には多少なり嫌気が差した。
仕方なしに横断歩道近くで待機していると、ふらっと、足取りの覚束ない一人の女の子が視界に現れた。小柄な、髪をサイドポニーにまとめた活発そうな女の子。しかし、それは外見の話。顔色が青く、体調が非常に優れていないのが遠目でも見て取れた。
大丈夫なのか。いや、決して大丈夫なんかじゃない。
心配になってきた俺は少女の傍に駆け寄ろうと足を一歩踏み出した。その時。
少女がふらっと道路に躍り出る。
右側から迫る大型トラック。
少女に気付いた様子はない。
気付く余裕はない。
頭の中を駆け巡る一つの映像と、巻き戻しなど出来ない現実が一致しようと徐々に近づいていく。
そこから次に起こりうる事を理解したか、していないかの曖昧な瞬間に、俺は全力で駆け出していた。思考が一つに束ねられる。頼む。間に合ってくれ――!
トラックが前方を通過する。キーッという甲高いブレーキ音が辺りに響く。歩道待ちのところで倒れこむ俺。その横で倒れている少女。
良かった。間に合った。
すぐさま立ち上がると少女を抱き起こす。
「大丈夫か? 意識はある?」
少し揺さぶり少女に問いかける。本来はあまり衝撃を与えない方がいいのだが、今はそんな事に構っていられない。軽く三度ぐらい揺すると、少女は薄っすら目を開け、「はい」と、蚊の鳴くような声ではあるが返事をしてくれた。意識はある。何処か、日陰のある場所はないのか? 前方の市営公園が目に付いた。あそこなら横にもなれるし、体力も回復するだろう。大分楽になるはずだ。早いところ行かなきゃ。
少女をお嬢様抱っこの要領で持ち上げると、青になり騒がしく行き来する人並みを避けつつ目的地へと向かった。
それにしても、何故少女が轢かれそうになった時も、その後も、誰一人として俺たちを見もしなかったんだ? 関わりたくないという理由だけでは不十分過ぎる。不自然過ぎる。人が危うく死にかけていたんだ。大騒ぎになって当然だというのにこの様子。何かがおかしい。けれどいくら考えたところで解決されそうにない。
なぁ、世界ってここまで薄情だったっけ?
さぁ、早速シリアスですよ。
冒頭からハイテンションを期待していた皆さん。すみません。
どうも、この凡骨作者はシリアスを入れたがる癖があるっぽいです。
次回、次々回くらいから冒頭のあれ何なの? といわれるくらいぶっ壊しますので、どうか見捨てないで下さい。
意見・指摘などがありましたら感想の方まで!
では(・ω・)ノシ