焦る過去、芽生える現在
王都の屋敷で、アドリアンは机を叩いた。
「なぜ、そんな報告になる!」
差し出された書類には、はっきりと書かれている。
――辺境領地、収益安定。領主エリス、管理能力良好。
「……無能令嬢、だったはずだろう」
側にいた恋人は顔をしかめた。
「視察団にいた騎士が、かなり高く評価したみたいよ」
「騎士?」
「第三隊のレオン・グレイ」
その名前を聞いた瞬間、アドリアンの眉が動いた。
(王都でも、真面目で有名な男じゃないか……)
さらに追い打ちのように続く報告。
「……そして、税務調査の予告も来ています」
「なに?」
「辺境との取引と比較して、こちらの帳簿に不自然な点があると」
アドリアンは唇を噛んだ。
(あの女のせいで……)
彼の胸に浮かぶのは、かつて切り捨てた婚約者の姿だった。
◇
その頃、辺境の村では。
エリスは畑の前で、土を見つめていた。
「ここ、少し水はけが悪いですね」
「溝を深くしますか」
隣に立つレオンが、鍬を持って言った。
「騎士なのに、農作業まで……」
「剣と同じです。使い方を覚えれば、役に立つ」
そう言って、黙々と掘り始める。
その背中を見て、エリスは思った。
(王都の人たちは、結果しか見なかった。
でも、この人は……過程を見てくれる)
「レオンさん」
「はい」
「どうして、ここまでしてくれるんですか」
彼は少し考えてから答えた。
「……あなたが、誰も切り捨てないからです」
エリスは驚いた。
「土地も、人も、無理をさせない。
そういうやり方をする領主は、王都には少ない」
彼は土で汚れた手袋を外した。
「私は、強い人に仕えるより、
正しい人に仕えたい」
その言葉が、胸に染みる。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることでは」
だが、彼の耳は少し赤かった。
◇
昼休み。
村人たちが二人を見て、ひそひそ話す。
「領主様と騎士様、仲がいいね」
「お似合いだ」
エリスは顔が熱くなる。
「ち、違います」
「仕事です」
同時に言って、目が合った。
「……」
「……」
どちらからともなく、視線をそらす。
◇
夕方、王都から手紙が届いた。
封を開いたエリスは、静かに息を吐いた。
「元婚約者の家が、正式に調査されるそうです」
「……そうですか」
レオンは、短く答えた。
「あなたは、どうしたいですか」
「……もう、関わりたくありません」
エリスは、はっきり言った。
「私は、ここで生きます」
レオンは頷いた。
「では、私はここを守ります」
「……守る?」
「あなたの領地と、あなた自身を」
その言葉に、胸が強く打たれる。
「騎士として、ですか?」
「……個人的にも」
一瞬、風が吹いた。
沈黙の中で、エリスは小さく笑った。
「それは……心強いですね」
◇
同じ頃、王都。
アドリアンは、調査官に囲まれていた。
「不正な契約について、説明していただきます」
「違う、これは――」
言い訳は、誰にも聞かれない。
彼の脳裏に浮かんだのは、
辺境で穏やかに笑う、かつての婚約者だった。
(……なぜ、あの時)
後悔は、もう遅い。




