静かな騎士と、噂の令嬢
辺境の領地に、王都から正式な視察団が来ることになった。
「王都騎士団も同行するそうです」
報告を受けて、エリスは一瞬だけ表情を固くした。
(……また、王都の人間)
だが逃げるつもりはなかった。
ここは、もう彼女の居場所なのだから。
数日後、視察団が到着した。
役人たちの後ろに立っていたのは、黒髪の若い騎士だった。
「……」
無駄な動きも、無駄な視線もない。
彼だけが、周囲の貴族とは違って村を見ていた。
畑の土。
水路の流れ。
働く人々の表情。
「あなたが、領主のエリス様ですね」
低く落ち着いた声だった。
「騎士団第三隊所属、レオン・グレイと申します」
「エリスです。視察の案内をいたします」
歩きながら、役人たちは数字と報告ばかりを気にする。
だがレオンは、エリスにだけ問いかけた。
「この水路、魔法で作り直したのですか」
「ええ。大規模なものは無理なので、少しずつ」
「……無理をしない設計ですね」
その言葉に、エリスは少し驚いた。
「大きく変えればいい、とは思っていません」
「正しい判断です」
彼はきっぱりと言った。
「この土地に合ったやり方をしている。
それは“才能”です」
王都では、聞いたことのない評価だった。
「……才能、ですか」
「ええ。魔力量の話ではありません」
彼の視線は、まっすぐだった。
「あなたは、人と土地を見る力を持っている」
胸の奥が、きゅっと熱くなる。
◇
その夜、視察団の宿舎で事件が起きた。
役人の一人が、帳簿を勝手に持ち出そうとしたのだ。
「この収益、王都管理に切り替えるべきだ」
「勝手なことを――」
エリスが言いかけた瞬間、前に立ったのはレオンだった。
「それは不正行為です」
剣には手をかけていない。
だが、その声だけで場が凍りついた。
「この領地は正式に、エリス様の管理下にあります」
「しかし王都の――」
「命令書は、どこに?」
役人は黙り込んだ。
「……ない、ですね」
レオンは冷静に続ける。
「つまり、これは横領未遂です」
その場で、役人は拘束された。
◇
翌朝。
「……ありがとうございました」
「当然のことをしただけです」
レオンは少しだけ視線をそらした。
「王都では、あなたのことを“無能令嬢”と呼ぶ者もいます」
エリスは、もう傷つかなかった。
「気にしていません」
「……私は、そうは思わない」
彼ははっきり言った。
「あなたは、王都よりも誠実な領主です」
その言葉に、エリスの頬が少し熱くなる。
「もしよろしければ」
レオンは、少しだけ言いよどんでから続けた。
「任務が終わった後も、この領地を手伝わせてください」
「……騎士が、ですか?」
「ええ。剣しか使えませんが」
「十分すぎます」
エリスは、笑った。
「あなたがいるなら、心強いです」
彼も、わずかに微笑んだ。
その頃、王都では――
アドリアンの家が“正式調査対象”になったという知らせが出回っていた。
「辺境の成功」が、
彼らの失敗を浮き彫りにしているとは、
まだ気づかぬまま。




