あたしとお姉さん
キャス島の市街地は、土地があるところに建物を建てて作られている。そのため、都市設計などあるはずもなく、雑多な建造物と入り組んだ街路が、まるで迷路のようだ。
少女を追いかけながら、エヴァは小さく舌打ちをした。地の利がないと、こんなにもイライラするのか。
あと少しで少女を捕まえるところまで来ては、この複雑な街の作りに邪魔される。
先回りなど当然できるはずもなく、このままでは見失ってしまうのがオチだ。
しかも、思った以上に後ろからついてくるミゲルの足が…早くはない。
「ミゲル!もうちょっと頑張れない!?」
「エヴァが早すぎるんだよ!」
決して遅くはないのだが、今の状況ではヤキモキする。
ああもう、とエヴァは走りながら声に出した。
「じゃあ、あなたは広場に戻っていて!私一人で捕まえる!」
「危ないだろ!」
「あなたを一人にしておく方が危ないわよ!」
エヴァよりもミゲルのほうが、防衛手段が少ない。そして、実戦経験は皆無だろう。
そんな彼を初めて来る土地に一人にするのは不安だったのだが、なりふり構ってはいられない。
「だったら財布くらい諦めたっていいんだ!」
「良いわけないでしょ!飛行船の鍵!」
「あっ」
ーーすっかり忘れていた。
呆れたような視線を感じる。これはどうしようもない。
ミゲルはエヴァの背中を叩き、足を止めた。
「ーー悪い!任せた!」
「任せなさい!」
エヴァは足を止めることなく、一気に加速して街中を駆けていく。
「あーあ」
その背中を見送って、ミゲルは悔しそうに声を出した。
夕食はリクエストを聞いた方が良さそうだ。
*
ここの市街地は、入り組んでいるようで、実はほとんどの道が中央広場に繋がっている。
それを知らないのは、外から来た人たちだけ。最近は住民の服を着ている人も増えたけど、道を知らないってことは、そういうことだ。
中央広場。さっきまであたしが隠れていた場所。
ここは絶好の隠れ場所で、しかも逃げた先にもちょうどいい。雨も風も凌げるから、夜を過ごすことだってできる。
耳障りな自分の呼吸を整える。
それにしても、今日のあのお姉さんはしつこかった。撒くまでに時間がかかったし、なんなら捕まるかもと何度も思った。
でも、なんとかなった。今日の夜は何か食べられそうだ。
お兄さんから奪い取った財布を開いてみる。
うーん、特別多くはないけど、まあいいや。キャス島の大人たちより余程持ってる。
お金の他に、身分証と何かの鍵。さすがにこれは返した方がいいかなあ。広場に置いておけば拾うかな。
「…これ、なんだろ」
何かの鍵についている、これまた何か。
ビー玉のような透き通った球体に、不思議な柄が彫られている。文字なのか、魔法陣なのか、どちらも知らないあたしには分からない。
でもなんとなく、これは持ち主に返したほうがいいかもしれない。
球体を空に透かして、その輝きに目を細める。
いいなあ、本当はこれもほしいなあ。
そんなふうに思っていたから、油断した。
あたしの首の後ろを、誰かが掴む。さっきのお姉さんだ。
「見つけたわよ、おチビさん…!」
あたしは息切れしていたのに、お姉さんは呼吸ひとつ乱れていない。
おかしいな、ちゃんと撒いたと思ったのに。
「よくも走り回らせてくれたわね。しかも、結局さっきの近くじゃない」
でもこれは、怒っているというよりどこか楽しんでいる、ような気もする。
だって、怒った大人はもっと怖い。
じっとお姉さんを見つめていると、お姉さんもあたしの目を見た。
「意外と捕まるときは大人しいのね」
「…殴らないの?」
「はい?」
「好きなだけ殴らせてあげると、大人は満足して離してくれるから」
お姉さんの眉間に皺が寄る。もったいない、美人なのに。
なにか変なことを言ったかな。わからない。
「殴るわけないでしょ。あんたみたいな子供」
お姉さんの小さな声。何で泣きそうなんだろう?泣きたいのはこっちだ、お夕飯が逃げて行ったんだから。
「あんた、名前は?」
え、と今度はあたしが驚く番。
そんなことを聞かれたのは初めてだ。ここでは、お互い名乗ることなんてないから。
なにかされるのかな、と不安もあるけれど、このお姉さんは酷いことはしない気がする。あたしの直感はよく当たる。
あたしは、数年ぶりに自分の名前を口にした。
「ティエリー。苗字は知らない」




