ひとつめの島①
ランス帝国のキャス島は、もともとは小さな無人島だった。
帝国の発達とともに、処理しきれなかった廃棄物が捨てられるようになり、その嵩が増すほどに肥大化していったのだ。
そしていつからか、この島には人が住み着くようになった。彼らは捨て子を育て、まだ死んでいない傷病者を癒し、徐々にその人口を増やしていった。
しかし元は無人島、まともな自治体が存在するはずもない。この島はランス帝国の中にありながら、帝国の影響をほぼ受けない社会を形成している。
一方で、社会福祉などはどうしても行き届かず、ランス政府の目下の課題は、キャス島で生まれた子供達の戸籍問題の解決だ。
自由と混沌を併せ持つこの島は、驚くほど門戸が開かれているにもかかわらず、ランスの国民が観光や興味で訪れることはない。成り立ちを踏まえれば当然だ。
そして、政府の人間もなかなか入らない。
エヴァやルイはもちろんのこと、政府の大臣でも、ここに足を踏み入れたことのある人間はいないだろう。
そんなキャス島に、一隻の飛行船が降り立った。
「飛行船と訪問者の登録をお願いします」
係留地の管理人だろうか、特徴的な模様の服を着た男が近づいてきた。
飛行船の登録など想像もしていなかったミゲルは面食らう。
「ええと、俺の名前はーー」
言いかけたところで、エヴァがすっと前に出て、ミゲルを遮った。
「飛行船【旧型】、私たちは【名無し】よ。それでも問題ないわよね?」
すると、管理人らしき男は一瞬驚いたような目をして、やがてにやりと笑う。
「この島のことをよくご存知なんですね」
「初めてだから自信はないけれどね」
「いいえ、充分ですよ。【名無し】様、キャス島へようこそ。少々お待ちくださいね」
そう言って、男は奥の小屋から小さな箱を持ってきた。
中を見ると、男が着ている服と同じ柄の上着が二着入っている。
「この島の住人は、見分けがつくよう、この服を着ています。ぜひ、ご着用ください」
ありがとう、とエヴァは礼を言い、着替えるために一度飛行船の中へ戻っていく。ミゲルは眼を白黒させながら、訳もわからずエヴァの後ろについていった。
飛行船の扉を閉めると、エヴァはふう、と一息ついてミゲルを振り向いた。
「何とかなったわね、よかったよかった」
「どういうことだ?あの人はエヴァの身分に気付いたってこと?」
「どうかしら。ひとまず一時的な住民として迎え入れられたはずよ」
「どういうことだよ?」
尋ねると、エヴァはうーん、と言葉を選びながら答える。
「ここに来る人間は、大抵何かしらの事情があるのよ。借金取りから逃げてきたとか、罪を犯して逃亡中とか。ただ、ここでは一度過去をリセットして、一から名無しの人間として人生を始めることができるの。戦闘機能のない飛行船は、持ち物としてカウントされる」
旧型はなおさら無害だしね、と彼女は付け加えた。
なるほど、故にランスの法が通じない可能性があるのか、とミゲルは理解した。
名無しと名乗ることは、この島におけるある種の住民登録なのだろう。
「キャス島の住民が似たような服を着ているのは知られているわ。だから、違う服の人間はよそ者。よそ者は殴られても盗まれても文句は言えないのが、ここのルールよ」
「ランスはそれでいいのか?」
「いいわけないでしょう。でも一応、これで秩序は保たれてるのよ。住民同士では争わない、絶対に助け合うのもルールだから」
国の法とどう折り合いをつけるかなのよね、と彼女は言う。それがどれほど骨の折れることなのか、ミゲルには想像もできない。
はい、とエヴァは彼に服を渡した。
「まずは着替えて、街中に行きましょう。ルイからもらった資料も必要最低限しかなかったから、私たちでアップデートしてあげるつもりで」
大臣の悔しがる顔が楽しみだわ、と悪い顔をしてみせるが、その表情の後ろには知的好奇心もあるのだろう。
それはミゲルも同じだ。旅に出てこんなにも早く、一人では行けなかった場所へ行くことになるとは。
二人は街に出る準備をするべく、自室へ向かうのだった。




