あたしとお姉ちゃんとお兄ちゃん
「へえーーっ!こんな風になってるのね、この街」
飛行船の中。
エヴァは先ほど連れてきた少女と共に、熱心に机に向かっていた。
「じゃあ、もしかしてこっちの道も広場に繋がってる?」
「直接は繋がってないの。ここに井戸があるんだけど、水が入ってなくて、降りるとそのまま地下に行ける」
「地下道まで網羅されてるのね…!すごい、よくこんな道まで覚えてるわね」
ティエリーと名乗ったその少女は、エヴァに褒められたのが嬉しいのか、瞳をキラキラさせて自分が描いた地図を見る。
「あたし、こんなに褒めてもらえるの初めて」
彼女は覚えている限りのキャス島市街地の道を教えているのだが、確かに、年齢にしてはしっかりした記憶力だ。
ミゲルは盛り上がる二人に、紅茶を差し出した。この紅茶はエヴァの持ち物で、王室御用達とあってとても香ばしい。
しかしティエリーは一瞬肩を強張らせ、ミゲルを見上げる。
「…くれるの?」
「冷たい方がよかったか?」
「そうじゃなくて…お兄さんのお財布…」
「戻ってきたし、気にしてないよ」
その言葉を聞いて、ティエリーはほっとしたように息をついた。
ミゲルはエヴァと別れたあと、来た道を戻って広場を目指した。途中道に迷い、やっとのことで財布を取られた場所に着いたと思ったら、そこにはすでにエヴァとこの少女がいたのだ。
なんでも、キャス市街地の道は順序さえ守れば全て中央広場に行き着くらしい。
キャス島の自警団へ引き渡さない条件として、エヴァはこの入り組んだ道の説明をティエリーに求めたのだ。
ティエリーは生き生きと街の説明をした。なんでも、彼女が潜んでいた場所は穴場らしく、隠れるのにも、夜を過ごすのにもいいそうだ。
そう、ティエリーは夜を外で過ごしていた。
この島で生まれたのか、島に捨てられたのかは分からないが、ちゃんとした家はないらしい。そういった子供は、キャス島では珍しくないそうだ。
彼らはティエリーと同じように、必然的に盗みを生業とするようになる。
彼女はまだ8歳というが、よく今まで何事もなく生きてこられたものだ。
みげるはそうおもいながら、紅茶のカップを両手で持ち、冷ましながら飲んでいる少女を眺めた。
「でも、よく今まで捕まらなかったな」
「捕まっても平気。殴ればスッキリしてくれるの。スッキリしてお財布のことを忘れてくれるなら、それが一番」
さらりと返された言葉に、二人は絶句した。
もちろん盗みを働くティエリーにも非はあるのだが、それを踏まえてもここの住人は、思った以上に直情的らしい。
「…お友達とか、仲間はいるの?」
「いない。いないほうがいい。喧嘩になるもん」
ティエリー曰く、子供同士で物の取り合いになると、必ず大人が介入してきて、取り合っていた物全てを奪っていくそうだ。
大人にしてみれば、取り返した、のだろうが、そうやって生活している子供たちにとっては死活問題である。
なので、いつしか子供達は仲間を持たず、お互いのテリトリーを守りながら一人で盗みをするようになったらしい。
思った以上の治安の悪さに、エヴァはうっすら嫌悪感を滲ませた。
ランス帝国の手が届かないことは、予想以上にこの島に悪影響をもたらしているようだ。表面的なキャス島の治安や思想が悪くはなかった故に、彼女の衝撃も一段と重い。
エヴァの眉間の皺がどんどん深くなっているのを見かねて、ミゲルは席をたった。
「…甘いもの、出そうか」
「いいの?」
真っ先に反応したのはティエリーだ。
やはり甘いものには目がないようで、その子供らしさには安心する。
ミゲルはティエリーの隣に座るエヴァを見た。そして、自分の眉間をぐいっと伸ばす仕草をする。
「考えすぎだ。すぐ解決できないのは悔しいだろうけど、エヴァ一人でどうにかできる問題じゃない。わかってるだろ」
むむ、とエヴァが反論に詰まる。
悔しいけれど、彼女たちもまだ、政治の面では子供なのだ。
ミゲルは、つい数時間前にエヴァが言っていた言葉を思い出した。
ーー私ね、人間が生きていくために一番大切なのは教育環境だと思っているの。
ティエリーもまた、環境さえ整えばこんなことをせずとも生きていけるようになるのだろう。
そういう社会になるには、キャス島はまだまだ多くの課題を抱えていそうだ。
*
「お姉ちゃんとお兄ちゃんは恋人なの?」
お兄ちゃんが出してくれたクッキー(とても美味しい)を頬張りながら、気になっていたことを尋ねてみる。
するとお姉ちゃんは笑い出し、お兄ちゃんは紅茶に咽せてしまった。
「参ったなあ、そう見える?」
「ううん、見えない」
見えないけど、お友達でもなさそう。
でも、この飛行船で一緒に暮らしてるんだよね?
「ティエリー、このお姉ちゃんが誰かはわかるのか?」
「お姉ちゃん、有名人なの?」
「有名かもねえ」
まだ笑いが止まらないお姉ちゃんを小突いて、お兄ちゃんが言う。
「こちら、ランス帝国の第一皇女です」
お兄ちゃんの言葉に、あたしは目を丸くした。
いくらあたしが学がなくても、この国の王家は知っている。そこのお姫様?お姉ちゃんが?
当のお姉ちゃんは否定しない。
なんだか、想像していたお姫様とは違うけど、お姉ちゃんがお姫様ならそれもいいなと思ってしまう。
「…じゃあ、まさかお兄ちゃんは家来?」
「やっぱりそう思うよなあ」
一緒に旅は無理があるって、とお兄ちゃんが参ったように呟く。
文句言わない、と今度はお姉ちゃんがお兄ちゃんを小突く。そして、私を見てにっこり笑った。
「ミゲルはね、私の恩人」
「なんで?」
「一人で旅はつまらないでしょ? ミゲルがいると案外楽しいのよ」
ふうん、あたしにはまだよくわからない。恩人とお友達の違いってなんだろう?
「楽しいなら、お友達じゃないの?」
「友達にはまだ早い、俺の心臓がまだ無理」
「こんなこと言うのよ、ひどいわよね」
でもそうか、お姫様とはお友達になるのは、ちょっと難しいかも。あたしとお兄ちゃんは、あれだ、庶民だから。
考えていると、そうだ、とお姉ちゃんは何かを思いつき、あたしの手を握った。クッキーまみれなのに。
「ティエリー、私とお友達になりましょう!」
「へっ?」
「いえ、もうお友達よね。こうしてたくさんお話しして、一緒にティータイムしてるんだもの」
あ、わかった、お姉ちゃんはちょっと押しが強いんだ。
あたし庶民です、と言いそうになる。お兄ちゃんの気持ちがよくわかった。
混乱している間に、お姉ちゃんは満足そうに笑い、優雅に紅茶を飲みはじめた。こういう仕草は確かに、お姫様だ。
助け舟を求めてお兄ちゃんを見たけれど、諦めろ、と目で言われた気がした。
まあいっか、多分、お姫様のお友達と思っていた方が、キャス島で楽しく生きていられそうだから。




