繚乱編 第一話『霊刀を佩く喧嘩者』
「応、よくぞいらした。」
大声というわけではないが、妙に通る声とその覇気に、よく知る者なら震え上がるだろう。
江戸南町奉行、越前守――大岡忠右衛門。
現代では“大岡越前守”と呼ばれる人物である。
かの者もまた、江戸幕府を脅かす妖異と戦う衛士の一人であった。
「んで、アイ殿を通じて己に何用よ? 忙しいんだがな」
無頼を気取っているわけではないが、着流しに草履、腰には大小を佩き、ハルはぞんざいに言う。
「いや、大事ないのであれば良いのじゃ。この間の退治の報を、まだお主から聞いておらなんだからな……」
「はん。この間の“なにがあったか?”だと? 何も無かったさ。文字通り、聞こえ通り、何も無かった」
ハルは耳をほじりながら返す。
妖異が出たと報を受け、南町奉行の要請で向かったものの、そこには何もいなかった。
人を食う悪鬼も、畑を荒らす畜生も、影も形もない。
ただ静かなだけだった。
「左様であるか……田沼殿からの伝達であったのでな。何かあるとは思ったのだがの」
「はん、守銭奴の田沼殿からであれば、金になる事だったのだろうよ。算盤を弾いて江戸の平和が守れれば良いのだがな」
皮肉気に答えるハル。
田沼意次とは馬が合わない。
二言目には“銭がかかる”と抜かすあの男とは、どうにも水が合わず喧嘩腰になりやすい。
「しかしながら、アイ殿の予見は“彼の地に異変あり”と出ておる……南光坊様も同じくじゃ。疾く向かい、異変の解決を頼む」
南町奉行のお偉方である大岡が、深々と頭を下げる。
「よしてくれ旦那。守銭奴や生臭坊主の言い分は聞くに値しねぇが、アンタの言い分には乗るって決めてるんだ。早々に向かうさ」
「アイ殿と勇一が伴にと申し出ておる。是非に連れて行ってくれ……」
「ユウイチ……御影家の剣客だったな。 ヤツなら手足程度にはなるだろう……しかしアイ殿は……」
大岡は首を振る。
「そうは言いましても、もう準備万端なのです」
奥の襖が静かに開き、旅装束に身を包んだアイが現れる。
霊山の巫女――暁丸をハルに継承した銀髪の少女は、すでに旅支度を整えていた。
「アイ様……やはり危険ですよ」
後ろから、同じく旅装束に大小を佩いた剣士が現れ、アイを制するように声をかける。
「おう、御影のユウイチか。相変わらず堅ぇな……アイ殿の護衛は任せたぞ。どれ」
ハルは手にしていた串を、御影へ向けて投げ放つ。
顔面めがけて一直線に飛んだ串を、ユウイチは人差し指と中指で挟み止めた。
「お戯れを……奉行所で刃傷沙汰は宜しくないでしょう」
チリッ、と空気が張り詰める。
勇一から剣気がほとばしる。
「ふむ……」
ハルも刀を手に立ち上がり、同じく剣気を放つ。
その剣気は、静かに――しかし確実に空気を震わせた。
物音一つで剣戟が始まりかねない。
「いい加減になさい!」
少女の声が、張り詰めた空気を一瞬で霧散させた。
「いい年した大の大人が、刀を振り回して喜ぶんじゃありませんよ! ハルどの!」
思わず姿勢を正すハル。
「いやいやアイ殿……おれは此奴の腕前を見ようとだな……」
バツが悪そうに言い淀む。
「言い訳は結構! 優一殿もでございます!」
くるりと振り向き、勇一に鋭い視線を向けるアイ。
「いや……拙者はアイ殿を守護するお役目を……」
「何故二人して言い訳をなさるのですか! “ごめんなさい”です!
幼子でも出来ることですよ!」
ふんす!と鼻息荒く腕を組むアイ。
巫女としての威厳はどこへやら、年相応の少女の顔だった。
一気に空気が弛緩し、場の緊張感が雲散霧消する。
「ごほん……続けてよろしいか? 至急、異変を感知した無野村に向かってくれ。馬はこちらで用意してある」
大岡が咳払いをし、場を締め直す。
「無野村ね……了承した。徒歩なら二日、馬なら……まぁ精々一日半って所か」
ハルは顎を撫でながら地図を思い浮かべる。
「ふむ、無野の手前に宿場があったな……よし、まずそこに向かうとしよう」
「直接向かわないので?」
アイの疑問に、ハルはニヤリと笑う。
「なぁに、情報収集も必要よ」
快活に笑いながら厩へと向かう。
ペコリと頭を下げ、アイと勇一もそれに続く。
「ふむ、やはり良い組み合わせだな」
三人の後ろ姿を、大岡は感慨深く見送った。
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あぁ、この夢か。
無頼のハル、巫女のアイ、剣客のユウイチ――
この三人で妖異を退治する夢だ。
最初に見たのは小学六年の頃だったか?
妖怪を退治して日銭を稼いでいた頃、
銀髪の少女の護衛依頼が来て……
そうだ、暁丸という刀を彼女から譲り受けたんだ。
江戸に戻ってからも、何度もこの三人で依頼を受けて退治して。
これは、一緒に依頼を受けるのが三回目か?
この依頼で―――
*******
「いやぁ、いい湯であったなぁ」
頭に手ぬぐいをのせ、湯屋から出てくるハル。
「ハルどの。あまり気を抜かず……」
「わかっておるわ。ユウイチ殿はかったいのぉ」
同じく風呂上がりなのだろう、ユウイチも体を上気させて隣に並ぶ。
無野村まで凡そ半里のこの宿場は、そこそこに栄えていた。
湯屋まであるとは予想外だったが、
先ほど到着した一行にとってはありがたいことこの上ない。
「しかし……なぜ無野に直接向かわず、この宿場に?」
「だから言ったであろう? 情報収集だと。……おっと、ちょうど良い。そばやがあるじゃないか」
「まだ日も高いのに、お酒ですか?」
同じく肌を上気させたアイが、二人の間に割って入る。
そばやと言えば、食事処というより酒場の意味合いが強いこの時代。
アイのジト目は、実にもっともだ。
けれど、その瞳の奥には確かな不安が揺れていた。
「酒かぁ……それも良いがな。こういったところには“集まる”もんだ」
腕を組み、顎に手を当てながらハルは笑う。
「集まる? 情報がですか?」
ユウイチが疑問を口にし、ハルの横顔を覗き込む。
その笑みは、獰猛な獣を思わせる凄惨なものだった。
「いや――荒事さ」
その瞬間、そばやの引き戸が弾けるように開いた。
中から、青い顔をした少年が転がるように飛び出してくる。
「ち、ちげぇだ……オ、オラは助けを求めようとしただけだ……!」
「うるせぇんだよ、糞餓鬼が! 俺らが卍党と知っての狼藉か?」
柄の悪い、任侠とも言えぬ傾奇者が赤ら顔で出てくる。
「ろ、狼藉って……オラはお前さん達に話しかけただけだ……」
「だから“うるせぇ”って言ってんだろ糞餓鬼!
負けが混んでて虫の居所が悪いンだよ!」
さらにもう一人、大男が野太刀らしき大きな刀を担いで現れる。
「また卍党の連中ね……」
「博徒衆がまた面倒を起こして……」
「あの子、無野村の……?」
「あぁ、可哀想に……」
周囲からヒソヒソと声が漏れる。
「これは“当たり”だな」
ハルはボソリと呟き、獰猛な笑みをさらに深くした。
「ハルどの……やりすぎぬようにしてくださいませ」
「アイどの! 止めないのですか?!」
「止めても無駄にございます」
ハルは首を鳴らし、指を軽く鳴らした。
まるで、これから始まる喧嘩を心待ちにしているかのように。
「ひぃ! た、たす……助けてくんろ!」
少年が野次馬に助けを乞う。
待ってましたと言わんばかりに、ハルが間に立つ。
「ンだぁ? お前がこの糞餓鬼の代わりに殺られるってのか?」
小柄な男がハルに凄む。
「あー。一応言っておくがな……ソレを抜くのはお勧めしねぇぞ?」
ハルは男の腰の刀を指差し、忠告する。
「ソレを抜いたら取り合いになっちまう。そこまでの事じゃあねぇだろ?」
「んだと!?」
小柄な男が腰の刀に手を掛けた、その瞬間。
「やめておけ」
野太刀を担いだ大柄な男が、静かだが迫力のある声で制した。
「命を捨てるほどの事じゃねぇ……そうだろ、お侍さん」
「ハッ! 俺ぁお侍さんなんてもんじゃねぇよ。お前さん等と同じ様なモンさ」
「そうかい」
大柄な男は野太刀を地面に放り投げ、構える。
徒手空拳での喧嘩という意味だろう。
「潔いじゃねぇか……」
ハルも同じく暁丸をユウイチに渡し、構える。
そばやの前は野次馬で溢れ、ちょっとした決闘場になっていた。
ドンッ、と地面が揺れたかと思うと、大柄な男が低い姿勢で突っ込んでくる。
まるで角力のぶちかましだ。
「八卦良いってか」
ハルは腰を落とし、正面からぶちかましを受け止める。
体格差から吹っ飛ぶのはハルだと誰もが思った。
だが――その場に止めきった。
「そら、残った」
腰帯を掴み、ギシリと音を立てる。
筋肉が軋む音が響いた。
卍党の大男は、冷や汗が流れているのを自覚した。
(何だこの男……岩か、大樹に組み付いたみたいだ)
「ほれ、どうした?」
ハルが軽く力を込めると、大男の身体が後ろへ押し返される。
野次馬からどよめきが起きた。
「なんだ……ただの木偶か」
何が起きたのか、固唾を飲んで見ていた野次馬にも分からなかった。
ハルが体を沈めたかと思えば、大柄な男が背中から地面に叩きつけられていたのだ。
「なっ……」
かろうじてユウイチだけが見えていたのだろう。
古式の投げ――相手の力を使い、大男を宙に回したのだ。
どしん、と重い音が響き、その顔面の真横にハルが踏み付けを行う。
「で、お前さんは今ので死んだわけだが、どうする? 続きやるかい?」
獰猛な笑みを浮かべ、大柄な男に尋ねる。
「……いや、俺の負けだ」
男はどこか諦めたような顔を浮かべる。
「て、てめぇ!」
その勝敗を見届けた小柄な男が腰の刀を抜こうとする。
が、抜けない。
ユウイチが柄頭に手を当て、抜きの動作を止めたのだ。
「やめておきましょう。それこそ命の取り合いになりかねません」
「その兄ちゃんの言う通りだ。俺達は喧嘩に敗けたんだ。みっともねぇ真似するな」
のそりと体を上げながら大柄な男が一喝する。
憑き物が落ちたように、穏やかな顔をしている。
「それでは、仲直りに食事でも致しましょう!」
パンと手を叩き、アイがその場を仕切る。
呆然としているのは小柄な男か、村の小僧か……
はたまたハルだったかもしれない。




