84.開戦
俺たちはやっぱり甘かった。あとから考えれば翌朝からではなく、夜の内から動き出すべきだったのだ。
町がすっかり寝静まった頃、俺たちが泊っている青がえる亭の周りに黒い覆面をした男たちが集まっていた。
雲一つない真っ黒な空の上で、怪しく光る丸い月が辺りをひっそりと照らしている。時折そよぐ風があたりの木々をざわざわと揺らす。
はるか遠くの小さな物音さえ届けようと、冷たく澄んだ空気がさらに耳をすましているかのように、この周囲に広がっていく。
しかし彼らはそんなことは知らないとばかりに、世界の眠りを妨げることなく、暗闇の中を動き回る。まるで音が切り取られたとでもいうかのようだ。
これは一体、魔法の力なのだろうか。
リーダー風の覆面が、手振りだけで仲間たちを指揮し、宿の玄関、裏口など出入り口を固めていく。もしもその姿を見ていたとすれば、どこか手慣れたものを感じただろう。非常に良い手際であった。
言葉にならないような声で合図を送り、それにほとんど無言で答えて動き出す者たち。
月明りがあるとはいえ、遠くまでしっかり見渡せるというほどではない。それでも何の躊躇もなく、まるで明るい日差しのもとでもあるかのように、彼らは素早く、しかし確実に配置についた。
宿の扉が音も無くこじ開けられ、黒い影がその中へと吸い込まれていく。もちろん突入したのは全員ではない。中には出入り口付近にそのまま留まる者、窓の下などに隠れ潜む者もいる。
彼らの覆面の下の顔には、特筆するような表情はなかった。ただひたすら獲物を追い込み、捕らえ、その息の根を止める。彼らにあったのはそんな狩人の暗く光る瞳だけだった。
その夜、俺は何となく目が覚めた。
何かおかしい、そんな感覚はまったくない。もしかしたら心の奥底で何かが警告をしたのかも知れないが、まったくそんなものは感じていない。
考えられる可能性は、いつもように横でシロが寝ながら暴れていて、寝苦しかったんじゃないか、ということだけだ。
部屋の中はほぼ真っ暗闇、自分の手も見えないほどだ。首に下げた魔法ランプで豆球のような黄色く小さな灯りをつける。
明るくしすぎるとみんなを起こしちゃうからね。自由に明るさが切り替えられる魔法ランプは本当に便利だと思う。
「ああ、もう。暴れすぎだぞ……。」
シロ……やっぱり原因はこいつか……。
いったいどんな寝相なんだか、完全に上下が入れ替わって枕に片足を乗せている。こいつの寝てるところを動画にとって、早回ししてみたら面白いだろうな。スマホなんてないから無理なんだけどさ。
シロを抱き上げ、ちゃんと頭を枕の上に乗せてやると、蹴飛ばされてふっとんでいた毛布を拾ってかけてやる。
これで大丈夫、と思ったのも束の間、シロが俺の腕に抱きついてきた。
あら、起こしちゃったか? いや、これは便所のパターンかな。
シロはなかなかに良い子で、おねしょをしたりしない。その代わり、夜中に便所に叩き起こされることはあまり珍しいことではない。毎晩ってわけじゃないけどね。
俺たちは探索者なので、どうしても生活が不規則になることが多い。こうして宿で寝るのではなく、野宿することだって少なくない。特に最近は昼間に寝て夜起きる生活を続けていたこともあり、いろいろバランスが崩れているはずだ。
こんな生活は小さい子には良くないんだろうけどね。それじゃあ孤児院に預けちゃった方が良いのかと言えば、なんかそうじゃない気がする。あまりよくわかってないけど。
黄色い薄明りの中で、眠そうに目をこするシロ。
ああ、もう。ほら、大丈夫だから。
豆球の明るさだと、ちょっと足元がおぼつかない。俺は胸元の魔法ランプに手を伸ばし、明るめの懐中電灯ぐらいの光量に上げた。
すると、部屋の扉のところに二つの黒い人影が。
え? 何?
誰? なんでこんなところに?
「て、敵襲~っ!」
突然の事態に混乱し、俺はシロを突き飛ばすのと、大声を上げることしか出来なかった。
声を出すことも無く、まったく躊躇なく襲い掛かって来る二つの影。手にした短剣が魔法ランプの光できらめいた。
「うわ~ん、ぬしぃ~!」
「シロ、叫べ! 二人を起こせ!」
俺はそれだけ言うと、向かってくる覆面に向かって足を踏み出す。
相手は覆面、表情は見えない。でも、なんとなくだけど「勝った!」と思っている、そんな感じが伝わってくる。まずい……。
……なーんてね。短剣程度で俺がなんとかなるわけがないだろうが、この阿呆どもめ!
刺されはしたし、めちゃくちゃに痛かったが、そんなことはお構いなしに、さらに足を踏み出す。
「アチョ~~~ッ!」
カウンター気味に覆面の顔面にパンチが入った。相手も痛かろうが、俺も手が痛い。なんていう石頭だ。
この騒ぎで、やっとハヤトとダイキが目を覚ました。
「う~~ん、なんだぁ?」
「ふわぁ。どうかしたか?」
「敵襲だ!」
俺は叫びざまにさらに前へと踏み出した。
しかし今度のパンチは当たらない。しっかり避けられて、反撃のナイフが向かってくる。
くっそ痛い!
「くそ、そういうことか! 」
ハヤトが付けた魔法ランプの光が、室内をあかあかと照らしだした。
「任せろ!」
飛び起きたダイキが大きな掛け声をあげ、それが建物中に響きわたる。そしてその一撃が急な明かりに戸惑っているもう一人の覆面野郎に襲い掛かった。
ハヤトも回り込んで、俺が対峙する覆面に横から剣を叩き込みにいく。
「遅れた、すまん!」
それはいいけど、ハヤトもダイキも、なんで鎧を着こんで寝てるんだよ……。訓練にしてもほどがあるよなぁ……。
室内はどうやら乱闘の様相へと移り変わろうとしていた。
~~~~~
一方女子部屋では……。
向こうの部屋から大きな声が響き、そしてドタンバタンという戦闘音が聞こえてくる。
この物騒な物音にホムラとマヤはパッと飛び起きた。サキとチヅルも眠そうに目をこすりながら起き出してくる。
それはタカシとは違う、初級とはいえ完全に探索者の動きだ。
感覚を研ぎ澄ます。しかし敵の気配が良く分からない。でも、なぜかこの部屋のすぐ外に『いる』という気がする。
いや、間違いない。この扉の向こうには、確実に敵がいる。すぐに扉の前に移動し、短い剣を抜く。長剣は駄目だ、取り回しが悪い。
ホムラには室内戦闘の経験は無かったが、騎士見習だった昔に、机上の講義を受けたことがあった。
数の問題。
扉の向こうには少なくとも二人。室内では数を集めてもそれほど役には立たない。二人一組で動くこと。たしかそんな講義内容だった。
今、こちらの室内には四人、普通にぶつかればこちらが勝つ。しかし室内ではそうはいかない。同時に扉をくぐれるのはたった一人。その瞬間、必ず一対二、または一体多の状況が生まれる。
これは身方だけではなく、相手も同じだ。こちらが眠っているならともかく、目を覚ましてしまえばそう簡単には入って来れない。
「みんなは先に鎧を着て、装備を整えて。」
「ほーい、了解。」
ホムラが声を掛ける前から、マヤは鎧に着替え始めている。うん、それが正しい。
「宿の外、囲まれてる。」
そんなマヤの声はかなり緊張を含んでいた。
「敵の人数は?」
「部屋のすぐ外に二人、他にも宿の中に数人。外はいっぱい。」
さて、どうするか。それが問題だ。
「ハヤトたちは放っておいて大丈夫よ。あれはそう簡単に死なないから。」
「それより、こっちの装備をしっかり整える方が先だよね。」
二人の声は少し震えている。まるで自分に言い聞かせているようだ。
そう彼らには、特にホムラには苦い経験があった。
雷雨の中で襲撃されたとき、ホムラは一人、前に出た。あの時のホムラは、後ろがついてきているかどうかなんて、全く確認していなかった。そして危機に陥った。
あの時と状況は異なっているけれど、やらなければいけないことは同じはず。下手に一人で前に出るのは危険。確実に準備をして同時に行動しないと、反対に危機に陥ってしまう。
相手がどう出るか? それはもちろん大事だが、こちらはしっかり落ち着いて、確実に戦闘準備を整える。それが今やるべきこと。
ドタバタいう音はまだ途切れていない。それはつまり、彼らはまだ生きているということ。
じりじりと時間だけが過ぎていく中、こんな中でもまだぐーすか眠っている、少し前までの護衛対象の二人の寝息だけが、緊張を含んだ部屋に響いていた。




