07.巨大な湖
巨大カマキリを犠牲にすることで、怪鳥からの攻撃を辛くも逃れた俺は、また藪を掻き分けて進む作業に戻った。
それにしてもこの異世界、いきなり難易度が高すぎなんじゃないだろうか。これがゲームだったらクソゲーもいいところだぞ。
こっちはまだ来たばかりで武器も何も持っていないというのに、巨大な口とかカマキリとか鳥とか、そんな化け物どもを相手に出来るわけがないのだ。
ほんと、もう少し手加減して貰えないだろうか。無理かな?
さらに進み続けていると、藪の草の種類が少し変わってきた。地面もなんだか少し柔らかくなってきた感じがする。靴を履いていない素足だから、今の俺は地面の微妙な変化にも敏感なのだ。
それに何だか水の匂い? そんな匂いがかすかに漂ってくる。この先に川か何かがあるんじゃなかろうか、そんな気配が濃厚だ。俺は思わず足を早める。
この異世界に来てからというもの、俺はまだまともに食事を摂ったことも無ければ、水を飲んだことも無いのだ。もちろんかなりの空腹を感じるし、喉だってカラカラだ。
普通だったら飢えて行き倒れていたはずだけれど、魂がタワシだからか、それとも健康スキルのお陰か、なぜかはわからないけれど、俺は元気に活動できていたし、我慢できていた。
でも目の前に水がある、食べ物がある、そうなれば話は別だった。
進めば進むほど、地面がだんだん濡れてくるのがはっきりとわかる。土になり、泥になり、ぬかるみ始めて、ついには歩くとピチャピチャ水音が立つまでになった。
水の中から生えている草を掻き分けながら、さらにジャバジャバと進んで行くと、ついには草むらが途切れ、目の前に大きな湖が広がった。
「うっひょ~! 水だぁ~!」
かなり大きな湖だ。対岸は見えているがかなり遠いので、泳げと言われても泳ぎ切れる自信はない。そのぐらい大きな湖だった。水はそれなりに澄んでいて、濁った様子はない。
これなら十分飲めそうだし、魚だって獲れるかも知れない。
俺はザブザブとそのまま湖の中に突貫していく。水はすぐに腰の高さになり、肩までつかる深さになった。
俺は澄んだところを目掛けて泳ぎ始め、泳いでは水を飲み、水を飲んでは泳ぐ。さらにはタワシを取り出して、体をこすりながら泳いだ。とても快適だ。
軽く潜ってみると、魚が群れをなして泳いでいるのが良く見えた。まさに魚の宝庫だ。食べ放題だ。森や草原と比べたら、ここはまるで天国のようだった。
しかし俺はそこではたと気が付いた。この大量の魚、どうやって捕まえようか。それにうまく捕まえられたとして、ナイフも包丁もないのに、どうやって捌けば良いのだろう。
あと、焼くにしても煮るにしても、調理するなら火を熾さないといけない。鍋なども必要だし、薪などの燃料も必要だ。考えれば考えるほど、必要な物、用意しなければならない物がどんどん増えていく。
がちょーん、なんてこったい。そこにいっぱい見えているのに、食べられないとは。まさにトホホだよ……。
貝や海老のような生き物もいるだろうけど、見つけて捕まえたとしても、火を通さないと寄生虫がちょっと怖い。俺がいくらタワシだからって無敵じゃないのだ。タワシだって虫に食われることはあるし、健康スキルがあっても、寄生虫は病気じゃないから例外かも知れないからね。
うん、まだ大丈夫。もしも我慢できなくなったら、その時はその時だね。どんなことだって結局のところ、なるようになるしかならないのだ。
この湖とその周辺は、俺にとっては本当に快適な場所だった。何よりもまず、巨大な怪物が出てこない。水辺となるとそれに適応した怪物、たとえば大蛇やワニ、それにネッシーみたいな奴がいそうなものだ。しかし今の所、そういった怪物は一度も見かけていないのだ。
たくさん魚が泳いでいるのだから、それを餌にする怪物がいてもおかしくないはずだ。例えば巨大カマキリを捕まえて飛び去った怪鳥なんかが、水を飲みに来ることがあっても良さそうなものだ。
空を見上げていると、巨大な鳥が草原の上を飛んでいる姿が目に入ってくる。うじゃうじゃ湧ているということはないが、どうやらそれなりの数がいるようだ。彼らはなぜこっちには来ないんだろう。水が嫌いとか、そういうことなんだろうか。
疑問というのとは違うが、俺にはこの湖でもう一つ気が付いたことがあった。それは舟が一艘も浮かんでいないことだ。
大きな湖だけれど、対岸までしっかり見通せる。それなのに舟が見当たらないってことは、つまり、この湖の周辺には人が誰も住んでいないということになる。
「ん~、ここにずっといても良いけど、やっぱり異世界の人たちに会ってみたいよね。」
エルフやドワーフ、それに獣人のような人たちに会ってみたいし、それにせっかく異世界共通語なんてスキルもあるのだから、そんな異世界人たちと交流してみたい。
よし、決めた。人里を探して旅をしてみよう。もしどうしても見つからないようなら、またここに戻ってくれば良いのだ。
俺は全く気付いていなかったが、もしもあの時、巨大カマキリではなく俺が怪鳥に捕まっていれば、気づいていたかも知れない。丘などの高台がない地上から見ていても、絶対にわからないだろう。
もしも上から見たとすれば、この湖は丸い形をしていた。そして湖の周囲の草原もまた、湖を中心にして丸い形をしていおり、森がその周りを覆っているのだ。
なぜそんな丸い地形が生まれたのか。それはこの湖の中心付近が、はるか昔に起こった大爆発の爆心地だったからだ。大爆発が地面を吹き飛ばし、周囲の森をなぎ倒して、今の地形が生まれたのである。
大爆発の影響で草木が全く生えなくなった領域にも、今では草が生い茂り、深い草原となっている。さらに何十年もたてば、草原にも木々が生え、だんだん森へと変わっていくのだろう。
何日かかけて湖の岸を一周回ってみてわかったことは、この湖には細い川が何本か流れ込んでいることと、外に流れ出す川が一本あることだった。
ただし流れ出す川はほとんど干上がっていて、今は水がまったく流れていない。おそらく雨の季節になると、この湖には大量に水が流れ込んできて、溢れそうになったら川になって流れ出していくのだろう。
俺は枯れた川筋をそのまま下っていくことに決めた。上流に向かうよりも、下流に向かった方が町や村がありそうな気がしたからだ。
枯れて川底をさらけ出している川は、ところどころ抉れていたり、大きな石が転がっていたりするけれど、あまり背の高い草が生えていなくて歩きやすかったというのもある。
それに進む方向が定まっていて、迷う事がなさそうなのも良かった。
とはいえ、川筋は湖周辺ではなく、草原と同じ領域になる。つまり湖とは違って、巨大な怪物がいつ襲い掛かってくるかわからないのだ。
川の側の茂みに潜んでいる怪物は、俺には絶対に見つけられない。そんな嫌な自信があったが、空を飛んでいる怪鳥ならば事前に察知できる可能性はある。カマキリの時だってぎりぎりで避けたわけだし。
そんなわけで、俺は時々、空を見上げながら進んでいる。藪を掻き分けながら進んだあの苦労はいったい何だったのか。そう思うぐらい道行はとても捗った。
そして鳥に襲われることもなく、川筋が草原を越えて森を貫くところまで、楽にたどり着くことが出来たのだった。
俺はそのまま川筋を頼りに森に入っていく。森の中にも水の枯れた川は続いているのだ。
森に入るとさすがに草原とは違って、大木が倒れていて道を塞いでいることも多くて、楽に歩けるとは言いきれない。それに怪物に襲われることも増えて、安全とも言えない状況になってくる。
それでも道がはっきり見えていて、同じ場所を堂々巡りすることがないというのは、森を彷徨うのと比べれば、精神的にはとても楽なのだ。
進んでいると何度も怪物に齧られ、時には道から外れた場所にペッと吐き出されることもあったが、その度に何とか道に戻ることが出来たのは幸運だった。そんな怪物たちも、進んでいるうちに出現する頻度は下がり、あるいは小型化して、あまり邪魔にならないようになっていく。
そうして何度も道を見失いそうになりながらも、川筋が周囲にまぎれてわかりにくくなる頃には、俺は無事に森を抜けて広い野原に辿り着くことに成功していた。




