06.巨大な怪物たち
今まで進んできた森を抜けると、周囲の景色は広い草原へと変わった。
草原と言うと、遠目からは芝生に見えるような背の低い緑の草が、辺り一面に広がっている姿を想像するかもしれないが、この草原はそうではない。
人の背丈と同じくらいか少し高いぐらいの、茶色がかった草が生い茂っている感じだ。草原というより、藪と呼んだ方が分かりやすいかも知れない。
この広い藪には道のようなものが見当たらないので、俺は草を掻き分けながら進むことにした。草の背丈が高いので見通しが悪いので、時々飛び跳ねては方向を確認する。
そのまま進むと方向が分からなくなり、同じ場所でぐるぐる回ってしまうなど、藪の中で迷って出られなくなるかも知れない。ここにはそんな怖さがある。
ここは異世界なので地球とは草木の生態が違うかも知れないが、森が藪に変わったということは、そこには何か違いがあると考えても良いはずだ。地球の場合だと、大規模な火災があったとか、溶岩が流れ出た跡だとか、海が近いとか、何かそういうことだ。
もしもこれが洪水に流された跡だとすると、近くに大きな川がある可能性が高くなるし、大きな川があれば人里に近いことも考えられる。もちろん人が木々を伐採したとか、焼き畑や放牧をしている可能性だってある。
草を掻き分けて進むのは大変な重労働だが、人が近くに住んでいるかもしれない、そう思えば力が入るというものだった。
生えている草は思ったよりも頑丈だし、小さなトゲトゲもある。服を何も着ていない素っ裸の俺にとっては、ちょっと擦れるだけでもとても痛い。
そして中には本当に鋭く長いトゲが生えている物が混ざっていることがあるので注意が必要だ。注意と言えば、虫が大量に湧いている場所もあるので、これにも気を付ける必要がある。
こうして藪の中を進みながら、時々後ろを向いてはピョンピョン跳び上がって森があるのを確認する。まっすぐ進んでいるようには思えないけど、森が少しづつ小さくなっていくのがわかれば安心だ。
あまり突っ込んでいきたくない場所を適当に迂回しながら進んでいると、草むらの彼方からバサッバサッと、まるで大きな鳥の羽ばたきのような音が聞こえてきた。
そしてそのバサバサいう音はだんだん俺に近づいてくる。巨大な鳥でも近づいてくるのだろうか?
いったい何が来たのかと緊張していると、その音の主が左の草むらからヌッと頭を突き出してきた。
なんだこいつ、鳥……じゃないぞ?
緑色の体、逆三角形の頭にカニのハサミのような口、頭のてっぺんから生えている二本のアンテナ、そして頭の横にある巨大な眼、こいつは……
もしかして、めちゃくちゃでかいカマキリ?
そう思ったその時、俺とそいつの眼が合った。そして目の前の草むらがバサッと言う音とともに切り裂かれた。
ちょっと待て、これはヤバいんじゃないか?
鋭い牙が突き刺さっても、俺は怪我を負うことはなく、まったくの無事だった。それはおそらく、俺の魂がタワシだったからだ。
タワシは茶色い草みたいなヤツを束ねた物なので、針や釘を刺したとしてもなんともない。だからこそ俺は無敵でいられたわけだ。
しかし切れ味の良いカマが相手だと状況は違ってくる。カマと言えば草を刈るための道具だ。タワシの茶色い草みたいなヤツだって簡単に刈ることができるだろう。たった今だって、目の前の草が簡単にバサッと刈られたのだ。
こいつに刈られたら、おそらく俺は無事では済まないはずだ。
巨大カマキリは俺を目標だと決めたのだろう。しっかりと睨みつけていて、まったく視線を逸らそうとしない。
すぐにでも逃げだしたいが、周囲は背の高い藪だ。自由に動き回ることはできないし、走って逃げることもできない。俺にはこいつと対峙する以外に道はないのだ。
巨大カマキリは俺にあまり考える時間はくれなかった。正面に対峙したと思ったら、すぐに左腕を振り上げ、そのまま真上から切り下ろしてきたのだ。
まずい、斬られる!
俺は咄嗟に横に跳んでカマの斬撃を躱したが、巨大カマキリの攻撃はそれで終わりではない。間髪入れずに今度は右腕を振り上げて切り下ろしてくる。俺は先ほどとは逆側に跳んで、ぎりぎりのところでカマを躱した。
二度の斬撃を躱したことで、俺はこの戦いが思っていた以上に厳しいことがわかり、激しい焦りを感じていた。予想以上に足場が悪くて、動きが制限されているのだ。
先ほどの斬撃だって、大きく跳んで躱したつもりだったのだが、実際にはぎりぎりになっていたのだ。この様子では少しでも手を抜いたら殺られるに違いない。
巨大カマキリがまた動いた。今度は上からではなく、右からの横薙ぎだ。俺は後ろに大きく跳んでそれを躱そうとする。しかし跳んだ距離が足りなかった。巨大カマキリのカマが俺の胸を大きく切り裂く。
激しい痛みが俺に襲い掛かった。しかし怪物たちに噛まれた時と同じく、全く血は流れていない。それに胸を切られた感触はあったのだけれど、胸元を見ても斬られた跡がどこにもない。
斬られたと思ったが、痛みだけだ。怪我はしていない。
この巨大カマキリには俺が斬れないということか? なぜだ?
ここで俺はタワシの構造を思い出した。これは別に大した話ではないのだけれど、切る向きによってはうまく切れないんじゃないだろうか。
タワシというのは茶色い草みたいなものを束ねて作ってある。ということはタワシの横からカマを振れば、茶色い草を切り飛ばせるけれど、そうでなければ茶色い草を縦に割くだけで、切り飛ばすことはできないことになる。
こうして正対していれば斬り飛ばされることはない、これが正しいのならばなんとかなるかも知れない。
大口の怪物に噛み噛みされた時は、こちらは何もせずに、ただ相手が飽きるのを待つだけで良かった。しかし巨大カマキリは違う。能動的に回避するために動き回る必要がある。
もしも確実に避ける必要があるならば、おそらく相手が飽きるよりも、俺の体力が尽きる方が先になるだろう。しかし横からの切り下ろしだけを避ければいいとなれば、話はかなり違ってくる。
生き延びられる可能性が大きく上がったことで、諦めかけていた俺の心にやる気が戻ってきた。
ちょっとやる気になったからって、巨大カマキリの強烈な斬撃をそう簡単にひょいひょい躱せるようになったわけではない。しかし最初はちょくちょくカマに引っ掛けられて痛い思いをしていたものが、戦いが長引くにつれてうまく避けられることが増えてきていた、
その理由は大きく二つある。一つ目の理由は相手の攻撃パターンが読めてきたことだ。巨大カマキリの攻撃には基本的に二通りしかない。上から切り下ろしてくるか、それとも横薙ぎにしてくるか、のどちらかだ。
予備動作が速いので躱しにくいけれど、フェイントも何もなくて、パターンも決まっているならば、なんとかなるものだ。
もう一つの理由は、カマの横薙ぎで周囲の草がどんどん切り倒されて、かなり動きやすくなってきたことだ。切られた草が堆積してきて滑りやすくなったというのはあるけれど、それでも生い茂った藪の中で戦うのと比べれば、その戦いやすさは雲泥の差だった。
巨大カマキリのカマは徐々に俺に当たりにくくなり、そしてもうほとんど当たることがなくなってきたのだった。
よし、これならずっと避け続けられる。余裕を見せ始めた俺だったが、考えが甘かった。ここは異世界、それも怪物の領域なのだ。
巨大カマキリの攻撃を避け続けていた俺の周囲が急に陰った。そしてヒューッという笛を吹くような音が遠くから近づいてくる。なんだろう、何かの警報だろうか。
周囲は暗くなっているが、それ以外には特に変な所は感じられない。もしやと思って上を見上げると、今まさに、空から巨大な鳥が急降下して襲い掛かってくるところだったのだ。
俺は慌てて後ろに跳び下がった。一度だけじゃない、何度も何度もだ。巨大カマキリは後退する俺に合わせるように前進してくる。
巨大カマキリには運が無かった。巨大な鳥は轟音と暴風とともに舞い降りると、巨大カマキリを鋭い爪で掴んでそのまま空に舞い上がっていったのだ。
周囲の藪が完全になぎたおされてしまうほどの暴風だ。あまりに凄まじい風に吹き飛ばされそうになったが、なんとか堪えて空を見上げると、巨大カマキリを掴んだまま飛び去って行く鳥の姿が目に入った。
「ふう~、危なかった……。」
俺は間一髪のところで、鳥の餌になる運命を免れたのだった。




