余話.奴隷に落ちてから
突然の戦で国が滅び、厳しかった父様も、優しかった母様も、そして兄様たちもすべて、この世から消えてしまった。
そして一人逃がされた私も残党狩りに捕らえられ、奴隷に落とされてしまった。奴隷となった私の身柄は残党狩りの手から奴隷商に渡され、そしてまた別の奴隷商の手に渡された。
そのどこかで奴隷の呪いが掛けられたのだろう。最初はあった檻も手枷も、いつの間にか外されて、逃げようと思えば逃げだせる状態にされていた。
しかし私は逃げようなどと思うことはなく、反抗しようとも思わなくなっていた。そしてそのことにあまり違和感を感じることはなかった。
奴隷の呪いを受けた者は、文字通り身も心も、その主人に捧げる人形になってしまうと聞いている。私もまた、主人となる人に心を書き換えられ、家族の思い出すら失ってしまうのだろう。
そして本来ならば憎むべき相手のために、心の底から喜んで奉仕するようになるのだ。
そのことに絶望し、嘆き悲しむことは出来るだろう。しかしそうすれば、それさえも禁じられてしまうに違いない。
そう、その意味では、私はもう絶望することすら禁じられているようなものだ。
私はまた次の奴隷商に引き渡され、馬車に積み込まれることになった。その馬車の中には、私以外の奴隷が三人乗せられていた。奴隷たちの一人はマヤと名乗り、そして残りの二人は精霊様なのだと教えられた。
馬車の旅は酷く苦痛だ。激しく揺れる馬車の中で、ずっと同じ姿勢で座り続けなければならないのだ。私たちに与えられる食事は全く不十分で、いつもお腹を空かせていなければならない。
マヤも私も、あまりに体が痛くて、それにあまりに空腹で、夜になってもまったく眠れなかった。
そんな時、精霊様たちは私たち二人を抱きしめて、激しく痛む体を優しく撫でてくださった。私たちのために、奴隷商に見つからないように、自分たちの食事を毎日のよう分けてくださった。
もしもそんな精霊様たちがいなければ、マヤも私も、もうこの世にはいなかっただろう。もしも生きていたとしても、心は壊れていたに違いない。
そんなある日、「もうじき私たちの運命が変わる日が訪れる」と精霊様から告げられた。それは今より良くなるということなのか、そう尋ねると、「それはわからないわ」と返された。
つまり精霊様のお告げは、今より悪くなるという意味なのだろう。たしかに良くなる可能性など考えられない。でも、悪くなると言われても、今の状況が最悪すぎて、これ以上悪くなりようがない気もする。
たとえ殺されたとしても、今と比べてそれほど悪いことではない。もちろん良いわけでもないが、『運命が変わる』というほどのことでもないように思えた。
精霊様のお告げを聞いた数日後、私たちを乗せた馬車は、ならず者の集団の襲撃を受けた。間違いない、盗賊だ。ああ、これが私たちの運命なのか。
護衛の男たちが一人、また一人と盗賊に倒されていく。別に彼らが生きようが死のうがどうでもいいが、彼らが倒されるたびに私たちの運命が確定していく、そんな怖さを感じていた。
しかし、私たちの運命を変える元凶は、盗賊たちではなかった。
最初は何が起こったのかわからなかった。いや、見てはいたのだ。しかしそれはあまりに現実離れしていて、本当の事だとは感じていなかったのだ。
野蛮人が奇声を上げながら素手で襲い掛かって来たなど、そんなことはたとえ実際に目の前で起こっていたとしても信じられるものではない。
しかしそれは現実の出来事だった。
野蛮人は盗賊を殴り倒して剣を奪うと、同じような奇声を上げながら奪った剣を振りまわし、盗賊をなぎ倒していく。
野蛮人は奪った剣以外は何も持っていない。何も身につけてはいない。鎧どころか、衣服も、靴も、下着さえも身につけてない全裸だ。それでいて盗賊たちの反撃を物ともせずに、突き進んで行くのだ。
強い……圧倒的だ……。
野蛮人は驚くほど強かった。しかしその顔は不気味な笑いに歪んでいる。
野蛮人は盗賊の剣戟を躱そうともしない。盗賊たちの剣は確かに野蛮人に当たっている。切り裂いている。そのはずだ。しかし野蛮人はそれをまったく意に介さない。血も流さない。いや、まったく怪我を負っていない。
なんだあれは。あれは何なのだ。本当に人間なのか? 妖怪か何かの間違いではないのか?
魔人。盗賊たちの声が漏れ聞こえてくる。そうだ、あれは魔人だ。遥か昔、尋常ならざる力を持ち、世界を滅ぼした元凶、魔人。そうだ、あれは魔人に違いない。
野蛮人の魔人はニタニタと笑いながら、盗賊たちを切り倒していく。盗賊とはいえ相手は人間だ。それを気持ち悪い笑みを浮かべながら殺していくなど、普通の人間の心を持っているならばできることではないのだ。
近くでまた一人、奴隷商側の人間が盗賊に倒された。それと同時に、今まで意識していなかった、心にかかった重石が取り除かれたような感覚が生まれた。ああ、これは奴隷商が死んだんだ、それが感覚的に理解できた。
そしてそれを理解した私に、強烈な恐怖感が襲い掛かってきた。
ああ、私の心は操られていたのだ。そしてそれを行った奴隷商が死んで解放されたのだ。激しい恐怖感と同時に、強い屈辱感が体中を駆け巡る。私はまったく違和感すら感じないままに、心を完全に操られていたのだ。
荒れ狂う怒りの奔流の中で、私は野蛮人の戦いを見つめる。不死の化け物。魔人。そして戦いの途中で、私の心は、私が野蛮人の持ち物になったことを感じ取っていた。それは理屈ではない。私の魂に直接そう刻み込まれてくるのだ。
そして私は、奴隷商の手から私を奪い取った盗賊たち、その盗賊の頭領が今、野蛮人によって殺されたと確信した。
あれは魔人だ、世界を滅ぼす化け物だ。その途轍もない恐怖心が私を支配していく。もう何も考えられない、その時の私の中には、ただ恐怖心があるだけだった。
野蛮人が私たちの目の前にゆっくりと歩いてくる。歪んだ笑顔で近づいてくる。ああ、これが世界の終わりなのか……。
その恐怖心は、現れた時と同じように突然霧散していた。なぜ怖かったのか、その理由さえ同時に消え去り、そのことにたいしてなにも不思議に感じなかった。
ああ、これは野蛮人に操られたんだ、そう思ったが、そのことに怒りを感じることもなかった。
そしてその恐怖心は、無くなった時と同様にまた突然、私の中に蘇った。しかし今度は恐怖心を力づくで抑え込むことに成功した。その原動力になったのは、やはり怒りだ。私の心を勝手に操る悪魔たち、そして野蛮な魔人への明確な怒りが、私の恐怖心を消し去ったのだ。
この魔人に対する恐怖や恐れ、嫌悪といった感情は未だに私の中に渦巻いている。しかしそれ以上の怒りが私を強く支配しているのである。
精霊様は『運命が変わる』とおっしゃった。果たして私の運命は変わったのだろうか。
そう、確かに変わった。それも明確に。そして完全に。
この魔人は間違いなく、私たちを滅ぼすだろう。私たちだけではない、私たちの祖国を滅ぼした者たちのことも、さらには世界中のすべてを滅ぼすのだ。
ならばこの魔人の進む先を見届けよう。私の祖国を、家族を、そして幸せを奪った者たちが滅びていくのをこの目で見届けよう。そして世界が滅びていく様を見届けるのだ。
なんといってもこの魔人の中には、あの精霊様たちが宿っておられるのだ。
それを精霊様が望むというのなら、私の運命は確かにそこにあるのだから。




