29.緊急事態
俺たちが森に入ってからもう七日目になる。
最初の激戦の後はずっと、精霊たちの示す方向を頼りに森を彷徨い、妖獣シバーの群れや、妖獣クマーを倒して、その肉や皮を剥ぎ取っていた。
妖獣クマーは一日一匹狩れるかどうかというぐらいの遭遇率だったが、妖獣シバーの方は一日四十匹を超える日があるぐらいの大猟っぷりだ。
「妖獣シバーが増えすぎてるって言う話は、本当だったみたいね。」
「もうシバーいらない。クマーがいい。」
俺たちの場合、精霊二人の案内があるため、かなりの高確率で敵に出会うことが出来る。それに障壁の魔法で怪我を負うこともない。だから普通に狩るのと比べて、数倍以上の効率で狩りを進めていた。
それだけでなく、近くに道がないところから森に入ったのも、高効率を叩きだすのに役に立っていると思う。
なんといっても周りには他に誰もいないのだ。つまり誰も狩ってないので獲物は大量にいるうえに、獲物の取り合いもないわけだ。これで効率が上がらなければ、おかしいっていうものだ。
「どうしようか、そろそろ町に戻る? それとももう一日、森で狩りをしてみる?」
「う~ん、妖獣ハチーが……。ハチーの子が……。」
《この近くには妖獣ハチーの巣は無いですよ~》
〈もう少し奥地に行かないと無理ね。〉
「妖獣ハチーの巣は、この近くには無いみたいだ。」
「うううう、ハチーの子……。」
「ハチーの子はちょっとびっくりするぐらい美味しかったものね。」
そうなのだ。妖獣ハチーは今一つという評価だったが、ハチーの子は最高レベルだったのだ。
見た目はただの巨大ウジ虫に過ぎなかったが、焼いてみると中はとても甘くて、まるでとろけるような美味しさだった。その味はどこかで食べたことがあるような気がした。そう、その味はまさにプリンだった!
焼いてそのまま食べても良かったが、冷やしてから食べると、もう完全にプリンだった。そして毎度の食事ごとに一人一匹づつ食べた結果、すでにあの時捕まえたハチーの子は、すべて食べ尽くしてしまっていたのだった。
同じような素材を集めれば、もしかしたらプリンを再現できるのかも知れない。確かミルクと卵と砂糖、だったかな。
女神様の話では、たしかこの世界では生物の化学的な組成が異なっているということだった。だとすると、同じように見える食材でも味は異なるだろうし、同じレシピでも違う結果になることは普通にあり得そうだ。
それに、俺にはそもそも料理のスキルは無いからなぁ。
将来はどうなるかわからないけど、今は頑張ってまた妖獣ハチーの巣を見つける以外になさそうだなぁ。
精霊の二人によれば、近くには妖獣ハチーの巣は無さそうだし、森から出るのにそれなりの時間がかかりそうだということなので、俺たちはここで狩りをやめて森の外に向かうことになった。
妖獣が出ればそれを狩りながら進むっていうことだな。
ちなみに、俺にはまだ全然わからないのだが、ホムラだけでなく、マヤも少し妖獣の気配がわかるようになってきている。この二人の方が、俺よりも探索者の才能があるようだ。
しかし、そんな彼女たちの気配察知には何も引っかかることが無く、昼休みを過ぎても、そして森の端に到着しても、その日は一度も妖獣には出会うことなく、俺たちの森での探索は終了したのだった。
精霊たちの力で森から抜けて草原に出た時には、陽がかなり傾いていた。ここから町に向かって草原を突き進んでも良いが、それだと草原の真ん中で夜を迎えることになるだろう。
「どうする? ここで休んで、明日の早朝に町に向かっても良いし、今日の間に進めるだけ進んでも良いし。」
「どちらにしても危険は変わらないから、進めるだけ進まない?」
「賛成。夕方まで進も?」
《私たちはどちらでも良いですよ~。》
ここで休むにしても、どうせシルビアかグロリアに草刈りをお願いすることになるのは変わりない。
「それじゃあもうちょっとだけ進もうか。」
俺たちは町の方向に向かって、草原を進み始めた。
草原を歩いていると太陽はどんどん西に傾いて、空が夕焼けで真っ赤に染まっていく。そして広い草原もまた真っ赤な夕日に照らされていく。その光景はまるで炎で赤く燃え上がっているようだ。
「そろそろ、このあたりで野営にしよう。」
「そうね、そうしましょうか。」
真っ赤な草原を見渡すと、そこかしこから炊煙が上がっているのがわかる。おそらくウサギ狩りの連中が野営をしているのだろう。
俺たちも適当な場所に陣取り、周囲の草刈りをシルビアに任せて、夕食のステーキ祭を開いた。朝は在庫の多いシバーの肉だが、夜は妖獣クマーの肉だ。さらに蜂蜜のデザートもつけて、かなり豪勢な夕食だ。
今日は妖獣との戦いも無く、つまり噛まれることもない平穏な一日だった。自分ではあまり疲れていないと思っていたが、実はそんなことはなかったのだろう。俺たち三人は夕日が沈むとすぐに、深い眠りに落ちていった。
《主様、すぐに起きてください~。危ないですよ~。》
(ん~? また盗賊? 適当に処理しといてよ……。)
《駄目ですよ~。起きてください~。》
(すぐ起きるから……。もうちょっとだけ寝かせてよ……。)
〈いいから早く起きなさい! それから、ホムラとマヤもすぐに起こして!〉
ん? 何? 何か起こったの?
グロリアの慌ただしそうな声で、俺がいやいやながら眠い目をこすって起きると、周囲には焦げ臭い匂いが充満していた。
「なんだこれ、まさか、火事か?」
《草原が燃えてますよ~。早く二人も起こしてくださ~い。緊急事態です~。》
だんだん頭がはっきりしてきて、状況が理解できた。なんてことだ、草原が燃えているのだ。
「ホムラ、マヤ、起きろ! 火事だ!」
「ふにゃ? にゃに?」
「むにょ~。」
「いいから起きろ、火事だ! 緊急事態だ!」
俺はなんとか寝ている二人を起こして荷物を背負わせる。
〈火がかなり広がっているわね。それと、今いるこちら側が風下よ。〉
《誘導しますから、従ってくださいね~。》
(二人とも頼む!)
ホムラとマヤもしっかり目が覚めたようだ。二人ともかなり顔が青ざめている。
俺たちは精霊二人の指示に従って、急いで避難を開始した。
草原の火事である。おそらく誰かの焚火か、料理の時の火の不始末が原因だろう。しかし今はそんなことを考えている場合じゃない。出来るだけ早く安全な場所に避難する必要があるのだ。
草原は燃え上がるのも早いが、火が消えるのも早い。炎は風下に向かってどんどん燃え広がっていくが、燃えた後には真っ黒な大地が同じような早さで広がっていくのだ。
森に入った時のように火の上を飛び越して、すでに燃え終わったところに移動する手がないわけではない。しかし燃えているところは風が強く、竜巻が発生するなど、空を飛ぶのはかなりの危険があるらしく、それは最後の手段だ。
俺たちの周りに煙が流れ込んでくる。たしか煙を吸うと危ないと、どこかで聞いたような記憶がある。俺は手ぬぐい布を三枚取り出し、そこに水筒の水をかけて濡らすと、それをホムラとマヤに渡して、口を押さえるように指示を出す。
《風下に逃げると危ないですから~。風を横に受けながら移動していますので、火に近づいてます~。でも安全な距離をとってますから、ご安心を~。》
〈上から見ていれば、どっちに行けば安全なのか分かるからね。〉
(いや、別に疑ってないって。)
精霊二人は俺たちとは違い、魔法の力を使って、上空からの俯瞰視点で状況を確認しているようだ。
逃げる途中、俺たち同様に炎から逃れようと走る人影が見え隠れしている。混乱してバラバラに走り回っている人たちに、「こっちだ、ついてこい!」と声をかけながら移動しているが、もちろん全員が従うなんてことはなく、違う方向に走る人たちも数多い。
しかし今は説明している時間も、説得している暇もない。自分たちの命だって危ないのだ。言うことを聞かない他人に、そこまでしてやる義理はないのだ。
気が付くと、さっきまでゴホゴホと咳こむ音が辺りに響いていたが、なんとなくそれが少なくなっていた。煙もどうやら薄くなってきたようだ。もしかして火事が収まってきたのか?
〈風向きが変わるわ。〉
《こちらが風上になりますよ~。これでかなり楽になりますね~。》
〈火事はまだこれからが本番よ。気は抜かないでね。〉
この二人、風向きが変わることまで計算に入れていたのか。さすがは精霊だな。
俺たちはそれからも炎から逃げ続け、安全な場所までたどり着いた時には、もう朝日が昇り始めていた。




