9:逃争
暗い路地裏。静寂が、二人の吐息の音だけを吸い込んでいた。
ゼルとウィズは、プロヒーローたちの警戒網を突破するため、ひっそりと身を潜めていた。
「ここらへんにいれば、ばれないな」
ゼルは黒いローブのフードを深く被り、周囲の音を注意深く聞く。
「いいえ、いるわ。そこに何人も」
ウィズは路地から少しだけ顔を出す。そこには何人ものヒーローと銃を持った警官。
「辺りは完全に封鎖されているか……」
「そうね、ヒーローは夜通しで警戒を続けるはず。どう出るのゼル?」
だがウィズは楽しげに問う。
「方法なんて、全部壊す以外にないだろ」
ゼルは路地裏のコンクリート壁に手を触れた。
シャリン。一瞬でコンクリートの壁は灰と化した。
「いいわ、ゼル! その言葉を待っていた!」
ウィズは興奮を隠さない。そして、さらに楽しそうな表情をしてピースした。
「じゃあ、私があの子たちをおびき出すわ! それで、私の一世一代の迷子演技が成功したら、すぐに合図のピースを送るから。そしたら能力で私を迎えに来て全部壊して! いい?」
「手間取ったら置いていくからな?」
ゼルは皮肉を込めて言ったが、ウィズの危険な遊びを止める気はなかった。
「じゃあ、行ってくる!」
ウィズはスキップして路地裏から出た。
なんでスキップ……先行きが不安だ。
「こんにちわ〜」
ウィズは両手をひらひらと上げ、まるで遠足に来た少女のようにヒーローに声をかけた。
「私、なんか迷っちゃったんだよね! ここはどこなのかな?」
突然の一般人の出現に、路地裏を警戒していた十数名のプロヒーローたちが一斉にざわついた。
「おい、君! ここは危ないぞ! 立ち入り禁止区域だと注意されなかったのか!」
一人の警官が、慌ててウィズに近づく。
「どうして立入禁止なの?」
「テロリストがここら一体にまだいるかもしれないんだ!」
「テロリストか。こ、怖い」
ウィズは目を閉じ、わざとらしいほど怯えた声を出す。
ヒーローたちは顔をあわせて頷いた。
「君、まずはここから離れなさい。私が外まで案内しよう」
「案内、ええしてもらいたいわ」
「では行こうか……」
「ま、待ってください!」
その時だった。横にいた左目にモニターをつけているヒーローが慌てて言った。
「どうしたんだ? これから安全区域に」
「違います。そいつは、灰の怪物と一緒にいたテロリストです!」
「なっ!」
ウィズはニヤリと口角を上げた。
「ふふっ、バレちゃった」
そして、彼女は後ろを振り返りピースした。
「さあ、来て! ゼル! 全部を壊して」
「!? お前っ!」
ヒーローたちがウィズの正体に気づいた時には、すでに遅かった。路地裏の奥から黒いローブの影がゆっくりと這い出てくる。
シャラリ、シャラン。
鎖の不気味な音と共にヒーローたちの視線は釘付けになる。
「あいつが……灰の怪物!」
「全員、位置に着け! 灰の怪物が現れた!」
「ハハハっ!」
ゼルは、両手を大きく広げた。
「全部を壊す」
そして地面に勢いよく手をつけた。
「ショーの始まりだ!」
シャラリ。
街路樹、ゴミ箱、そしてコンクリートの壁。
轟音と共にビルや道が、崩れていく。
「ハハハッ!」
「全員、逃げろ! 灰には触れ--」
「っ!」
総勢28名のヒーローと警察。これを一瞬で灰に変えてしまった。
「ば、化物が! 全員、銃を持っているものは構えろ! 撃て!」
っ、避けられない。
「ゼル!」
ウィズが駆け寄ってくる。
そんなところにいたらお前も……
ウィズはかばうように手を開き、目を閉じた。
ドオンッ。銃声と共に土煙が立つ。
「や、やれたか?」
「いいえ」
「ちっ、化物め!」
ウィズは、自身からわずか一センチの空間を離すことで、全ての弾丸を肌に触れることなく防ぎきったのだ。
「ウィズ、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。でもヒーローの能力とかは防げないかも」
その瞬間だった。岩陰からコソコソとトランシーバーに伝えている物陰を見つけた。
「応援っ。応援要請! 灰の怪物を発見。死傷者28名、残りのヒーロー数15名。西街路地七番付近です」
「っ」
やはり、ここから出るには急がなきゃだめそうだ。
「ウィズ! 目を閉じろ。少しだけ乱暴するぞ」
ゼルは、ウィズを片手で抱き上げた。
「きゃっ。なにするの」
「時間がない。ここから逃げるぞ」
ゼルは走り出した。
「灰の怪物! ここは通らせない!」
「邪魔だ、どけ」
少し触れただけで、一瞬で辺りも灰と化した。
「次はもっと大きな舞台を用意しろ。こんなんじゃ俺達は止められない」
その瞬間だった。大きな岩の後ろに隠れていた警察3名がマシンガンを持って現れた。
「装填」
「はっ、卑怯な」
「ゼル! ここは任せて」
ウィズはゼルから飛び降りた。ウィズは目を閉じる。
ははっ、ウィズ。そうか。わかったやってやる。
「そのまま目を閉じていろ、ウィズ」
ゼルは床に手を触れる。
シャリン
「撃てー! は……?」
だが銃を打つ瞬間、辺りは全て灰と化した。
「進むぞウィズ!」
「ええ」
「また乗るか?」
「グラングラン揺れたから、酔っちゃう」
ウィズとゼルは駆け抜ける。日の光が気持ちいいほどに彼らを照らす。
「い、いました! 灰の怪物です!」
路地の角から何十人のヒーローが現れる。
「捕らえろ!」
「ふっ、触ったら殺す」
ゼルは巻き付けていた鎖を持ち、振り回す。
「零枷!」
長さ20メートルの鎖を両手に分けて持ち振り回す攻撃は、ヒーローたちを赤く染めていく。
「ぐはっ」
「き、聞いていないぞこんな攻撃! 距離をとればよかっただけじゃ」
「雑魚は引っ込んでろ、俺がいく!」
拳を構え、光を放っている男が飛び込んできた。
「極打!」
「っ!」
ゼルは咄嗟に攻撃を避けたが、道には大きな亀裂が入った。
「なんだそれ。拳一本でそこまでか」
「はッ。こちとら毎日地獄のトレーニングしてんだよ! 極速!」
はやっ!
ゼルは鎖の上から拳をもろにくらってしまった。
くそっ。視界がグラつく……。
「灰の怪物? 名前のわりにだな」
ピアスをつけた金髪の同年代くらいの男は、憐れむようにそういった。
「ハハハっ、そうかそうか。少し強いヒーローがいてくれて、こっちは嬉しいよ」
ゼルは床へと手を伸ばす。
「来る! 構えろ、結晶化だ!」
ゼルは床に手を触れた。
シャリン。
「極速!」
そいつは床に触れないよう、舞い上がった。
「あっぶねえ。一つ間違えただけで即死だ……」
顔は緊張がほぐれない。その目には仲間の死の絶望が映り込んでいた。
「終わりか?」
「ふ、そんなこと……」
男は足に力をためはじめた。
「ハハハっ! 全力で来い」
ゼルは構えた。
「俺の全力だ、受け取れ。極速!」
来た! さあ触れろ! その進行方向のまま、俺の手に--。
「は?」
--今、俺の横を通り過ぎて。
その瞬間、轟音と灰の煙が周囲を襲う。
俺狙いじゃなかったのか!?
「……ウィズ!!」
最初からこのつもりで……。
「お疲れ様、もう手遅れだ。……お連れさん、もう死んだぜ?」
笑う男の背後には、一つの影が揺らいでいた。




