7:罠と怒り
路地裏は、闇が最も濃い時間帯を終えようとしていた。
ゼルとウィズは、ヒーローの目を逃れるため、廃棄された段ボールと油の染み付いた布切れの中で夜を明かすことにした。
「ねえ、もう少しそっち行ってくれない、狭い」
「はぁ? お前は体が小さいんだから、それで十分だろ!」
「いいえ、全然! あなたが寝ぼけて、この状態で目を開けちゃったらどうするの!」
「だから--」
「いいえあのね--」
***
「……ぜんぜん眠れなかった」
コンクリートの冷気が、全身を包むローブの下から這い上がってくる。
「寒っ」
ゼルは体を伸ばすため、段ボール箱から起き上がる。そして様子を見ようと路地に出た。
「うぅう、眠い……」
目を覚ましたウィズが、目を閉じたままつぶやいた。
「ゼル?」
「ん?」
ゼルは上を見上げていた。路地裏の狭い隙間から見上げた空は、前日の炎と灰の乱舞が嘘のように、澄んだ青色をしていた。
「きれいね……」
「ああ、すごいな」
ゼルは自分の手のひらをじっと見つめた。
これからも……
「さあ! こうしちゃいられない! 今後のことを考えないと」
「?」
「あなたと私の、全てを消して全てを創造するプロジェクトの進行のこと!」
ゼルは関心をしたように聞いた。
「へー」
「プロジェクト名は、The Zero Protocol。直訳すると無からの。という意味!」
「……」
「ん、聞いてる?」
ゼルは、ウィズの言葉に反論しなかった。もはや、反論する理由も、その気力も持たなかった。
そんな時だった。表通りから何者かが数名現れた。
「……移動するぞ。バレたかも知れない」
顔を路地に出しているゼルがウィズに伝えた。
「わかったわ! じゃあ、今後のことは後ね!」
ゼルは振り返り、ウィズの後ろを歩く。二つの影は路地裏に消えていった。
***
場所は変わり、ヘイムダル学院の地下。
夜が明けたばかりの午前だが、リリアは研究に没頭していた。
リリアの白衣は、眠らずに研究を続けたせいでシワが寄っている。
「分析結果は出たわね」
リリアの声は低く、感情がない。
「は、はいリリア研究員。彼の能力『ゼロ・ディメンション』は接触したあらゆる物質の原子結合を破壊し、運動エネルギーを奪うことで完全に無機質の『灰』へと変性させます。現存する物質で対抗は不可能だと考えられます」
ピンク色の髪を束ねた研究員が、怯えながら報告する。
「そう。だからこそ物質ではダメなのよ」
リリアは防護服の手袋の上から、自ら開発した特殊な培養器に手を伸ばした。そこには、数種類の有機化合物が複雑に絡み合った、光を通さない真っ黒な液体が揺らめいている。
「彼の能力が働くのは、原子構造を破壊する法則。でもこの『液体』は違う」
「といいますと?」
「これは灰の結晶化にも耐えられる、このグローブの原材料!」
リリアはポケットの中に入れていたグローブを手にとった。それは、ゼルとの再開の時に着けていたものだった。
「これを膜にして、その中に抗体の薬を入れる。そうしたら膜で灰の結晶化を防ぎ、」
「そ、そうなんですか〜」
私は、よくわからないなぁ……
「これは私の科学による報復よ、ゼル! あなたをこの世界においておけない! だから、私は……あなたの法則を毒で打ち破る。絶対にね」
リリアは黒い液体を手に、研究室の奥へと歩き出す。彼女の胸の奥には裏切りの悲しみや後悔は一切ない。あるのは、冷酷な怒りだけだった。
待ってなさい、ゼル!




