6:ウィズの能力
焦げたビルの屋上。プロヒーロー、フェジスは紅蓮のマントを揺らしていた。彼の周囲には警備ドローンが数機、静かに浮遊している。
「全て燃やせば、灰も消せると思ったが……」
フェジスは自分の手のひらをじっと見つめていた。手のひらに灰が落ちる。
「無理だったか……」
彼の心は英雄としての責務と、悔恨に苛まれていた。
「あいつの能力はまるで……」
その時フェジスのスマホが鳴った。
スマホを取り出し確認すると、画面にはゼルの色付き手配書と並んで、一枚の古いモノクロ写真が表示されている。それはミスター・ゼロの写真だった。
「『誰も失わずに、世界を平和に作り直すこと』灰の怪物と似ている……」
フェジスはスマホをポケットにしまい、深い深呼吸をした。
「次はない。灰の怪物」
フェジスは目を閉じ、全身から溢れ出る熱を内に、内に圧縮し始めた。彼のマントが炎の粒子を帯びて、微かに揺らめいた。
***
そこには灰の山のてっぺんに座りこむ男、ゼルがいた。戦闘で焼けただれた足は、まだ微かに煙を上げている。
「……これがプロヒーロー」
呟いた声が乾いた風に溶ける。灰になった街、灰になった人。それらの中で、まだ自分だけが残っている――それが皮肉にも罰のように思えた。
そのとき、かすかな足音が響いた。
コツ、コツ。
誰だ?
不規則なリズムはやがてしだいに近づいてくる。そして――その音が、ゼルの背後で止まった。
「プロヒーローに手ひとつで勝利! すごい」
振り向くと紫色の髪をなびかせた少女が立っていた。ウィズである。
「ウィズ……!? なんでここに」
微笑を浮かべ彼女はゼルの傍に座り込んだ。
「私言ったわ。……あなたについていくと。だから、覚悟を決めたというのは死という意味ではないの」
「でも、灰の結晶からどうやって生き延びたんだ」
「さぁ?」
ウィズはそう言って、ゆっくりと目を閉じた。その瞬間――周囲の空気が、かすかに震えた。
ゼルは気づく。
――地面から宙に浮いている!?
風も灰も空気までも。すべてが彼女に触れられない。
「ハハっ……それが、ウィズの能力か」
ゼルは呟く。
ウィズは目を閉じたまま、静かに微笑んでいた。
「ええ。目を閉じた時、私はすべてから一センチ離れるの。だから何も触れられない。何も感じられない。少し大げさだけどあなたと同じなの、ゼル」
目を閉じたまま、ゼルの頬へ優しく触る。
「それでね、ゼル。この距離ならあなたの能力外。今まで触れたら殺してしまうという恐怖感を持っていたあなたは、私を簡単には殺すことができない。ね? 最高の相棒でしょ?」
その言葉に、ゼルは息を呑んだ。
「ゼル。触れられない者同士だからこそ、共鳴できる」
「……共鳴?」
「ええ、あなたが誰かを灰にしてしまうように、私は世界を拒むことでしか生きられない。でも――その間にできる距離が私たちだけの場所。誰にも邪魔されないの!」
ウィズは瞼を開いた。灰がウィズの頭に積もる。彼女は小さく笑った。
「ねえ、ゼル。あなたはこの世界を赦したい? それとも壊したい?」
その問いに、ゼルは答えなかった。ただ灰を掴むようにして手を握る。握りしめた灰は風に乗って指の間から零れ落ちた。それがまるで、涙のように見えた。
「答えは決まってるだろ? 俺たちに赦しなんて似合わない。だから壊すんだろ?」
「ええ、ゼル……じゃあ私があなたの隣を歩くわ! この距離で、ずっと」
ウィズは目をつぶり、静かに立ち上がった。灰を踏んだ後の足跡が残らない。世界から一センチ浮いている彼女の歩みは、霊のようだった。
だが、それが美しい。
「……ウィズ」
「うん?」
「俺がもし、大切なものすら灰にしたら……その時、おまえはどうする?」
少女は微笑した。そして目を閉じて、また世界を一センチ遠ざけた。
「――それなら私が全部、目を閉じて見なかったことするわ!」
灰の中で、二人の距離は決して触れ合わない。けれど、心だけが確かに触れ合っていた。
***
夜がだんだんと深まる。戦闘で焼けただれたゼルの足は、まだ微かに煙を上げていた。ウィズは目を閉じ、地面から一センチ浮いたまま静かに立っていた。
ゼルは腰に巻いた鎖の重みが、今は心地よい枷のように感じられることに気づいていた。
「ねえゼル。いつまでそこに立ってるの?」
ウィズが静かに問いかけた。
「もう少しだけいさせてくれないか。今はなぜか心地よくて……」
ゼル一番高い岩の上で夜風にあたっていた。
ウィズは岩を登りゼルの隣に立った。
「確かに心地いいわね」
ウィズはゼルの顔を覗き込んだ。
「さあゼル。足の靴を取って?」
「何をするんだ」
「少し踊りましょ? ワルツを私とあなたで」
ゼルは静かに頷く。岩石に座り込み、分厚い黒い靴を脱いだ。そして地面へ向かって、裸足の右足をそっと踏み下ろす。
シャリン……
ゼルは灰の結晶の上に、裸足で立った。
「素敵……! さあ、手を取って」
ウィズは目を閉じたまま、ゼルの手のグローブの上から、そっと自分の手を重ねた。
ゼルは鎖の音を鳴らしながら、そのワルツに加わる。彼は裸足のまま灰の結晶の上をステップした。
シャラリ、シャラン、シャララ!
歩くたびに鎖の擦れる音が、静寂な夜の廃墟に響く。
「……ありがとう、ウィズ。気持ちがいいよ」
裸足で灰を踏みしめる感触に、不思議な安堵を覚えていた。
「ねえゼル、前言ってたでしょう? 大切なものすら灰にしたらって」
「ああ」
ウィズは目を閉じたまま、静かに続けた。
「『全て目を閉じて見なかったことにする』。それはね、あなたの選んだものが私にとっての正解だからという意味よ。私にとってあなたは世界の嘘を暴く本物。だからあなたの破壊は、私にとっての真の創造なの」
「……創造か。ははっ、まるでヒーローだ」
灰の結晶に月の光がキラキラと反射している。その光景は誰にも見られてはいけない、二人の禁断の愛だった。




