5:プロと追跡者
「だから、私と一緒に--」
次の瞬間だった。
「待て」
ゼルは瓦礫の上に立ち、空を見上げた。
「……また一つ、灰になったか」
声がした。熱風が灰を押しのけて吹き荒れる。一筋の炎が地を走り、次の瞬間ゼルの真ん前に紅蓮のマントを纏う男が立った。
「フェジス!?」
プロヒーロー。 太陽の律動と呼ばれる、最高位の炎使い。
なんでプロヒーローがここに!?
「私あの人どこかで……あ、プロのヒーローでしょ!」
「それも、かなり厄介な」
「お前が灰の怪物、ゼルだな。……ずいぶんと静かに地獄を作ったもんだ」
「……」
灰が風に舞い、フェジスの赤い炎と絡み合い、まるで世界そのものが震えるように音を立てた。
フェジスが一歩、踏み出す。
その足跡から立ち上る炎が、ゆらりと揺れた瞬間――鎖を握りしめるゼルの手から汗が滲む。相手は素人ではない。英雄社会の頂点に立つプロフェッショナル。
フェジスが口を開く。
「そこのお嬢さん、今すぐ助けますからね」
「私?」
ウィズは自分の指先を向け、首を捻った。
「私はねえ! ゼルの味方なの! ヒーローが何をしようと、ゼルに勝てるはず無いの!」
「そうですか……人質、というわけではなさそうだ」
「は、人質? そんな余裕ないね。触れたら死んじゃうから」
「あまり調子に乗らないほうが良いぞ、青い小僧。お前は必ずここで倒す」
「一人でできるのか? 今、全てを灰にしてやってもいいんだぞ」
「それは炎もか?」
「勘がいいな」
「そうかそうか……少しは話の通じるやつでよかった。テロリストの気持ちを知れるいい機会だと思ったが、時間のようだ。終わりにしよう」
来る。
プロヒーローの、一撃。
何度夢見たことだろうか。ヒーローになってプロヒーローたちと共闘する夢を……。
まあ少し状況は違うとはいえ……間近だ。本当のヒーローを!
ゼルはウィズをちらりと見た。彼女は全く動じていない。むしろその瞳は期待の光で輝いていた。
なんでこんな平気なんだ。変なやつめ。
「ねえ、ゼル。あなたの最高のワルツに観客が追加されたわ。あなたは彼の前で『怪物』としての存在を証明するのよね?」
ウィズのその声は、プロヒーローたちの威圧感を突き破って、ゼルの鼓膜に届く。
ウィズのそれが、利用なのか狂信なのかまだ見極められない。ほんと、わからない奴だ。
「展開開始――燃えろ。《インシネイト・サークル》」
次の瞬間、フェジスの足元から赤い紋様が走った。
炎ではない。まるで地面の下から熱そのものが滲み出るように、光の線が複雑な円環を描いていく。
ウィズが反射的に一歩退いた。
「なに、これ……この熱……!」
頬に触れる熱風が、一瞬で水分を奪い取る。目なんて開けていられないほどに。
「おい……やりすぎだぞ! 都市が燃えてしまう」
だが彼は微動だにしない。
技の展開だけでも、この熱気……!!
「っウィズ、逃げろ! 印の中には入るな!」
――円環の中に八つの小さな印。
そのそれぞれの中心から、炎の柱が垂直に噴き上がる。
轟音。
灰の空を突き抜けるほどの熱波が立ち上がり、空気がこすれ合うようなひどい音。陶酔と恐怖が同時に走る。
規格外……す、ぎる……
あたりの岩や石ころはもろとも破壊され、地面は焼き焦げていた。
フェジスは目を閉じたまま答えた。
「俺は必要なだけ燃やす。――お前にこの技を使ったのは、お前ごときにと思ったからだ」
なんだよそれ。
ウィズが叫ぶ。
「逃げて! この範囲は死んじゃう――」
その瞬間、轟音と共に炎の陣が閃光を放った。灰都の影が消え空気が爆ぜる。ウィズの髪が風に煽られる。頬に焦げ跡が走り涙すら蒸発する。
ゼルはウィズの腕をグローブでつかみ、地面を蹴って後方へ飛んだ。
「化け物め……」
爆炎の中心にフェジスが立っていた。
足元には、燃え残った灰の残滓すらない。
ただ、円だけが刻まれている。
爆炎の中心にフェジスが立っていた。
足元には、燃え残った灰の残滓すらない。ただ、円だけが刻まれている。
「毎日毎日、死ぬ決意を胸に鍛えてきた英雄が、力に自意識過剰を持ち特別だと言い張るヴィランに……負けるわけがないだろう」
「しらないんだろ。ヴィランの本質を」
ゼルは地面に触れようとする。
「……おい邪魔だ。ウィズ」
「仲間にも及ぼす力。制御ができていない証だな」
「そうだ。俺らヴィランは毎日トレーニングしなくても、太刀打ちできる才能を持っている!」
「太刀打ちができているだと? 足元にも及んでいない」
「……」
この世界は絶対的な善と悪が存在する英雄社会。生まれつき、能力を持った人間が悪役を倒して成り上がる実力世界。そして、社会は能力を悪用する人間をヴィランと呼ぶ。
「ゼル!」
ウィズの声に振り向いた。その紫色の瞳はキラキラと輝いていた。
それなのに俺は……
「ゼル! 信じて」
俺は自分を認めてくれた人を殺すのか? 俺の見る未来に期待している人間を……そんなのまるで……。
ゼルは鎖を握りしめ顔を歪ませた。
そうだ俺。この先俺がウィズにやってあげられることなんて、たかが知れている。だから、ありがとう。ほんの短い時間だった。
「さらばだウィズ。お前の気持ちは受け止めた」
ウィズはゆっくりと目をつぶる。彼女の口元には、諦めではない、何かを確信したような笑みが浮かんでいた。
ゼルは優しく焦げた岩に触れた。
「……破壊!」
フェジスは両手を地面に突き立てる。
次の瞬間、フェジスを中心に一瞬だけ炎の爆発が起こり彼は超高速で、後方の崩壊寸前のビル最上部へと跳躍した。
ガシャアアアアン!!
ビルが次々に灰となって崩壊する。
「これが、灰の怪物。……触れただけでここまでか」
轟音と崩壊の残響が収まり、辺り一面に灰色の煙幕が立ち込める。
フェジスはゆっくりと地上に降りたった。紅蓮のマントを風に煽らせながら、怒りの炎を瞳に宿しゼルを凝視していた。
孤独な怪物と、信念を曲げない化物。
二人は灰の雨の中、しっかりと見つめ合ったままだった。




