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2:灰の怪物

 リリアの憎悪に満ちた水色の瞳と、その手から引きちぎられたばかりの足の欠けた英雄のキーホルダーの残骸が、ゼルの足元で冷たく光っていた。


 彼女の父親の死が、15年前の災い――つまり能力によるものだと、リリアは知っていたのか。知っていながら、友情という名の嘘でヒーローになろうと誘い続けていた。


そして今、彼女はそれを脱いだ。


「……」


ゼルは鎖の音さえも忘れたように、静かに息を吐き出す。


「ほんと記憶の断片だ。二歳なんて」


 でももはや、言い訳も懺悔も無意味だ。


 ――俺は最初からこの世界の敵だったんだ。事実は変わらない。俺はこの手で何人殺してきた……


 ゼルの目に周囲の受験生や親たちの好奇と嫌悪の入り混じった視線が、黄色い光のように刺さった。


リリアは憎しみに顔を歪ませたまま、ゼルから一歩退いた。


ゼルは地面に落ちたキーホルダーの残骸を踏みつけ、音を立てずに砕いた。


「……」


受験受付へ、一歩を踏み出した。


 シャラリ、シャラン。


歩くたびに鳴り響く鎖の音は、もう呪いの枷ではない。



だが――ゼルは、凍てつくような決意を固めていた。



「ああ、最後にそうだリリア」


「……」


「昔俺、お前のことが一番信頼できたんだ」


「は?」


「お前が俺に向ける憎悪は、15年前の事件が原因なんだろ。俺が知ったのはついこの間だ。それを、15年前から知っていると思いこまないでくれ。きっと歳が歳だと、考えてくれていたって俺はそう信じてたんだ」


「でも事実は変わらない。お前は私と、私のお父さんを傷つけた。それも一番やっちゃいけないところにね」


「……」


リリアはうつむきながら呟いた。

「薬でも……治せなかったのよ」


「……」


彼女は後ろで手を組むポーズをしてみせた。


「ねえゼル。私の覚悟、なめすぎじゃない? 父親を殺された小さい少女のこと、考えたことある?」


「……」


「ゼル。やっぱり私はあなたを命日と共に消す。いつかじゃない。今日ここで」


「お前、わかってるのか。……全部が台無しになるんだぞ。正気じゃな――」


「あんたでしょ正気じゃないのは。なんでいつまでも逃げてるのよ」


「っ、逃げてない。俺は一度も」


「……実の母を殺してよくも言えるわね」


「違っ」


「ふーん、言い訳できるんだ。逃げないのに」


「……」


リリアは腰元に刺さっている短剣を取り出した。短剣には血管のような管が張り巡らされていた。

「これはね、剣先から毒を注入することができるの。だから一度させば猛毒で時期に死ぬってこと。どう? 刺さってみない?」


「リリア……お前」


「私、覚悟できてるの。あんたみたいな弱虫じゃないから」


「……お前。なんで」

自己防衛。それはゼルの右手のグローブを噛みちぎり、呪われた素肌を曝した。


「正体を現したわね、ゼル!」


 「やめろ近づくな!」


「終わりよゼル! 親の敵よ!」


「だめだ、だめだ! 近づくな!」


 俺は誰にも縛られず――自由なんだよ!


ゼルの右手は地面へ触れた。


シャリン。


その瞬間、ヘイムダル学院の受験会場は、一瞬で静寂に包まれた。――灰と化した会場のタイル、受験者たちの灰色の結晶。


「リリア……」


リリアは灰になった死体の山を見て立ちすくむ。目には涙が溢れていた。

「そうやって私のお父さんを殺したんだ! 私は絶対に許さない、お前を絶対に!」


リリアはその場を後にして去ってしまった。


「『化物』... はっ、そうか。俺は、俺が一番になりたかった偽善すら、この手で壊したんだな……温かいと言ってくれた手が…… 触れて灰になった……」


ゼルは床を足で踏みつけた。灰の結晶はすぐに割れて粉々になってしまった。

「――これは仕方がなかったんだ。必要なことだったんだ。だから悪くない。化物でもない」

彼は一瞬、そう言い聞かせた。しかしその言葉はすでに届かない。


 ……そうだろ? ヒーロー。

彼は右手を強く握りしめた。


 あの日――季節は夏。ゼルの10歳の誕生日間近だった。


自宅の古びた工房に、父がいた。父はいつも機械油と微かな火薬の匂いがした。小さな作業台には、使い込まれた工具と、試作品の特殊な鎖が並んでいる。


「……父さん」

幼いゼルが、ノブに触れることさえ恐れてドアの前で立ち尽くす。


父は溶接作業の手を止め振り返り、ドアノブを開けた。その顔は作業着の汚れで煤けているが、瞳は優しく細められていた。


「お、ゼル」

父は小さな黒い箱を差し出した。


「これ……なに?」

ゼルは、手を出すことさえ躊躇した。グローブが破けてたら、自分の皮膚が触れて手も箱もあっという間に……


「見てくれ。これはな、お前の10歳の誕生日プレゼントだ」


ゼルは呼吸を詰まらせた。プレゼントなんて、最後に受け取ったのはいつだったっけ。


「この鎖。全部、お前専用に作った。特殊な繊維と、僕が一番憧れていたヒーローの武器だ」


 す、すごい。これが僕のブキ……!


「触ってみるか?」

父はゼルが身につけていた手袋の上から、そっとその鎖に触れた。鎖がシャラリと静かな音を立てる。


「……ふ、触れても大丈夫なの?」

ゼルの声は掠れていた。


「ああ、大丈夫だ。そのグローブと衣服から作ってる」


父は言葉を選びながら、ゆっくりと言った。


「なあゼル。僕がずっと憧れていたヒーローがいてね。名前は『ミスター・ゼロ』」

父は懐かしむように目を細めた。


「彼の美学は、『誰も失わずに、世界を平和に作り直すこと』。その力はまあなんというか……お前とは全く逆の能力。でもね、彼の言った言葉が僕の人生の救いだったんだ」


父は鎖を一本取り出し、ゼルのグローブの上からそっと右手に持たせた。


「ゼル。『ミスター・ゼロ』は言った。『孤独に戦う者同士がお互いの苦難を分かち合い、集団を成し、無から全てを作り直す』って」

父の目はすべてお見通しだったのかも知れない。


「この鎖は、お前がいつかゼロから新しい美学を作るための、お守りだ。そしてお前が誰にも触れさせないための壁だ。だから、お前は自由なんだ」


「………………」

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