王道こそが正義
ーーー「恋には必勝法がある。」ーーー
偶然の出会いは運命の扉、落とし物は心を近づけ、雨の日の傘は距離を縮める魔法。そんな恋愛において最強の攻略法「テンプレ」を信じて、「王道清楚ヒロインにふさわしい好青年」を僕、天城圭人は演じ続けている。
「やばっ、遅刻する!」
僕は背中に重たいリュックを揺らしながら、曲がり角に差し掛かる。息も切れてきてきて、呼吸も荒くなる。
――その瞬間、視界の隅で何かが飛び込んできた。
「きゃっ!」
食パンを口にくわえたまま、前から全力で駆けてくる少女とぶつかる。
「うわっ、ごめっ……!」
僕の言葉は途中で切れ、彼女の手が僕の胸に当たった。するとパンがフワッと宙に舞い、彼女の口からするりと落ちていく。真っ赤な顔で彼女は叫ぶ。髪は朝日に照らされて金色に光り、まだ半分寝ぼけたような瞳がこちらを見ている。
「も、もうっ、前見て走ってよ!」
(……まさか、これが――王道テンプレの転校生ヒロイン……!)
心臓が跳ね上がり、呼吸を整えるのも忘れそうになる。偶然の出会い、食パン、慌てる姿――すべてがラブコメの黄金パターンだ。
「ごめん、俺も急いでて……」
お互いに立ち止まり、呼吸を整える。曲がり角で向かい合ったまま、時間が止まったかのように沈黙する。
「……って、あっ、遅刻する!」
慌てた彼女は食パンを口にくわえ直すと、すぐに駆け去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、僕の胸は高鳴った。
(――今日、人生最高の出会いをしてしまった……!)
胸の鼓動がまだ収まらない。いや、むしろ速くなる一方だ。
偶然の出会い、ぶつかる、パンが宙を舞う……教科書にも載ってるレベルの恋愛テンプレじゃないか。
「……よし、これは“運命”だ」
自分に言い聞かせるように呟いて、僕も再び走り出す。
遅刻はまずい。だが今の出会いが遅刻以上に価値ある出来事であることは、恋愛戦略家としての僕にはよくわかっていた。
***
教室のドアを開けると、すでに始業ベルが鳴った直後だった。
担任が黒板にチョークを走らせる音がやけに大きく響く。みんなの視線が一斉に僕へと向いたが、今の僕には些細なことだ。
(問題は彼女がどこに座るか、だ)
転校生は必ず授業冒頭で紹介される――これもまたテンプレだ。
僕は期待と緊張を胸に、空いている自分の席に腰を下ろす。
そして、担任の声が響いた。
「今日はみんなに紹介したい新しいクラスメイトがいる。入ってきなさい」
――来た。
教室のドアが開く音がした瞬間、僕の心拍数は一段と上がる。
ゆっくりと姿を現したその子は、まさに今朝ぶつかった少女だった。
金色の髪が光を受けてきらめき、制服のリボンが少し曲がっている。
そして彼女は一瞬だけ僕の方を見て、ぴくりと肩を揺らした。
(やっぱり……!)
「はじめまして。雪見澪です。今日からこのクラスでお世話になります」
少し緊張した声。でもその中に、不思議な芯の強さがあった。
溢れ出る清楚な雰囲気はまさに“王道ヒロイン像”そのもの。
「じゃあ……そうだな、雪見は、天城の隣の席に座ってくれ」
その瞬間、教室の空気が一瞬ざわめいた。
隣の席。まさかの隣。
(きた……!これだ、これが恋愛テンプレ“距離を縮める序盤配置”!)
僕はできるだけ自然な笑顔を作って、彼女が座ってくるのを待った。
そして席に着いた澪は、ほんの少し視線をこちらに向けて言った。
「……さっきは、ごめん。私も前見てなかったから」
「ああ、こっちこそ。痛くなかった?」
「うん、大丈夫」
それだけの短いやりとりだったのに、なぜだろう。心臓がまた跳ねた。
(大丈夫。ここからだ。これまで培ってきた“テンプレ恋愛理論”があれば、この恋は――)
そう確信しかけた、まさにその時だった。
「……あれ?蓮、またやってるの?」
後ろの席から、やけに冷ややかな声が聞こえた。
振り向くと、そこには幼なじみの藍沢楓が肘をついてこちらを見ている。
「“運命の出会い”とか、“テンプレヒロイン”とか、また頭の中でチェックリストつけてるでしょ?」
「な、なに言ってるんだよ。別に……!」
「ふうん。じゃあ今回は、何話目でフラれる予定?」
からかうような目。まるで全部見透かしているような声。
そうだ、楓は知っている。僕が今まで何度“恋愛テンプレ”に挑んで、何度も玉砕してきたかを。
「……今回は違う」
小さく、でもはっきりと口にする。
「今度こそ、本物の“王道”を証明してみせる」
楓は一瞬だけ目を細め、それから小さくため息をついた。
「……そう。じゃあ、せいぜい頑張って。お得意のテンプレ理論でね」
僕はもう一度、隣の席の彼女を横目で見た。
彼女は静かにノートを広げ、真剣な表情で授業の準備をしている。
ーーー休み時間のチャイムが鳴る。
ざわめき始める教室の中、僕は深呼吸をひとつした。
(よし、ここが勝負だ。最初の休み時間は「偶然の共通点」で距離を詰めるのが鉄則――)
横を向くと、彼女はまだ少し緊張した面持ちで教科書を開いていた。
声をかけるなら今しかない。
「あのさ、雪見さん」
「っ!? は、はいっ、なんでしょうか天城さま!」
……さま?
「いや、えっと……“さま”はやめてくれる?」
「はっ……! す、すみませんですわっ!」
突然お嬢様口調になった。
(お、おい……なんだこれ)
「えっと……転校してきたばかりで、慣れないと思うけどさ。ここの学校、けっこう雰囲気いいよ」
「そ、そうですわね! わたくしも早く皆さまと打ち解けたいですわ!」
笑顔はぎこちなく、語尾がどんどん迷子になっていく。
しかも、ペンが手からすべって床に転がり、拾おうとして机に頭をぶつけた。
「いたっ……!」
「だ、大丈夫?」
「へ、平気ですわよ! しょ、淑女ですもの!」
顔を真っ赤にしながら、なぜか無理やり“お嬢様"を貫こうとしているが、まるで様になっていなくて、本人のキャラとまったく噛み合っていなかった。
(……あれ?)
今朝の印象と違う。
もっと自然で、寝ぼけたような雰囲気が可愛らしかったのに。
今はまるで、「清楚ヒロイン」を演じようとしているみたいだ。
「雪見さんって、そういう喋り方する人だったの?」
「え? あっ……あ、いえ、ちが、違いますわ! 違いませんわ!」
自分で言って自分で混乱している。
「そ、そうですの! わたくしは清楚で、上品で……ええと、ふぇ……ふぇありー? みたいな……!」
「フェアリー?」
「せ、清楚系ってそういう感じなんですのよね!?」
僕は落ち着くために、深く深呼吸をして
「……あの、雪見さん」
「は、はいっ!」
「無理しなくていいよ。自然な喋り方でいいと思う」
一瞬、彼女はきょとんとした顔をした。
次の瞬間、少しだけ肩の力が抜けたように息を吐く。
「……うん。ありがと。なんか、頑張らなきゃって思って、空回りしちゃってたかも」
その笑顔は、今まででいちばん自然だった。
そして僕の心臓は、テンプレでは説明できない速さで打ち始めていた。
(……やばいな。これ、“攻略本”に載ってないタイプかもしれない)




