24話 クロネリア式テルマエに行こう!
「こ、これが銭湯?!」
しんみりとした空気を嫌ったゴズウェルが「クロネリア市民となったからには、ひとっ風呂浴びないとはじまらん!」などと、まるで江戸っ子のような事を言い出して俺を公共浴場に連れ出してくれた。
闘技場から徒歩15分。巨大な神殿風の建物、入口には二本の柱が門の役目をしている。
柱の上にはそれぞれシャチと獅子の巨大な像がそびえ立つ。
「コマイヌみたいだな…」
シャチは大波に囲まれていて、獅子はタテガミが燃えている。水を司るウォータードラゴンと獅子の方は炎を司る竜だろうか?
俺には獅子にしか見えないが。
現地的には神々しいイメージなのだと思うが、元現代日本人から見ると水族館と動物園に来たような気持ちになってしまう。
この像がちょっと愛らしいのだ。
そこは神殿と市営プールと運動場を足して、スーパー銭湯にまとめたような不思議空間だった。
建物は壮麗で、大理石と御影石がふんだんに使われ、通路には美しいフレスコ画が並んでいる。
日本の銭湯絵と言えばやはり富士山のイメージだ。ローマの山といえばベスビオ山が有名だがベスビオ山の銭湯絵はなさそうで残念に思う。
大勢の客に混じり、受付で入浴料を払い、案内係に脱衣場まで誘導される。
置き引き対策にチップを渡して荷物の見張り番をお願いしておく。
女性客を見かけないのでゴズウェルに聞いてみたところ、男女は時間帯ごとの入れ替え制で女性は朝と夜、男性は日中らしい。
ちなみに子供は残念ながら入浴不可。
これは子供を性被害から守る為なんだとか。
浴室は4つの部屋に別れていた。
高温浴、微温浴、冷水浴、サウナ室だ。
ゴズウェルは案内係にチップを渡して、俺とゴズウェルの世話を頼み、諸々の解説も求めた。
「まずは高温浴に参りましょう。先にオイルで体を清めてから入浴なさってください」
チップを弾まれた案内係が丁寧に教えてくれる。
俺は二人に促されて高温浴室の洗い場に座る。
作法がわからないのでゴズウェルの真似をする事にする。
まずは備え付けのオリーブオイルを体中に塗りつけて体を洗う。
孫の手とオタマの間のような『肌かき器』で汚れと、余分なオイルをこそいで準備完了だ。
ううむ、こうなると石鹸が欲しい。
かけ湯の文化がないのには衛生面が気になる。
「ぶっはああぁぁぁぁ、生き返るぅ」
10人程が入れそうな湯船の熱い湯に浸かり、つい口から出てしまったが本当に生き返った俺が言うのは妙だったかもしれない。
「ふひぃ、極楽、極楽」
ゴズウェルの顔もへにゃへにゃだ。
江戸っ子も古代ローマ人もクロネリア人も熱い風呂の中ではみんな同じ表情をしているのだろう。
風呂文化最高!
熱い風呂は最高だ。
最高だが…江戸っ子もびっくりの熱さだ。
高齢のゴズウェルに負けるのはシャクなので堪えているがそろそろ限界が近い。
ゴズウェルと目が合う。
爺さんも絶対意識してやがる!
のぼせるのは嫌だが風呂好き日本人として負けるわけには…
「熱くなって参りましたので、そろそろ冷水浴に移動いたしましょう」
ナイス審判!勝負は引き分けである。
「見事な審判だのう」
ゴズウェルが褒めると案内係は「皆様、勝負事がお好きですから」と苦笑していた。
俺達は立て続けに冷水浴、微温浴、サウナを満喫し、トドメとばかりにマッサージ室でマッサージを受けていた。
まさに贅沢三昧。
グッ、グッ、グッ…
おおぅ、そこそこ。
ああ~肩のこりが、背中のハリが、ふくらはぎのダルさがほぐされていく……だらしなく涎を垂らしそうになるのをなんとか抑えて夢見心地でいたら、なんと!
ヘリオンさんとの通信が復活したのである。
(匠よ、さすがにこれは自堕落が過ぎるのではないか?)
まさかの説教スタートであった…
ヘ、ヘリオンさん、これは…そう!
医療行為の一種だからいいんだよ!
(ふむ、そうだったのか。ふわふわと心地よくて落ち着かないが医療ならば仕方ない)
なんだよ、気持ちよくてうっかり魂が浮上しちゃったくせにわざわざ説教しなくてもいいじゃないか。
(今朝私の荷物が返されたと思うが…)ヘリオンは俺の行動を把握していたのか。
(うむ、全てではないが、ある程度は夢を見るように認識できている)
よかったような、気恥ずかしいような、むず痒い思いだ。
(箱の中のブローチだが万が一、妹のエイレーンに会えたなら渡してやってほしい。彼女への贈り物だ)
ヘリオンに妹さんがいたのか!
ブローチだな。よし、わかった!約束する。
(それと水の鍵だが。あれは匠、君が有効に使ってくれ)
あの鍵は水の鍵というのか。
わかった。どこの鍵か教えてくれないか?
(………)ヘリオン?
(………)おーい!
(……あとの…は、売っても、構わな…)
どうやら至福のマッサージタイムが終わってしまったらしい。
マッサージを受けると中のヘリオンと話せるなんて意外すぎた。
ちょっとカッコ悪い設定だなと思ったが、また今度試してみよう。
テルマエには他にも多くの施設、サービスがあった。
ドッジボールのような球技場、レスリング場、図書室、ひげ剃り屋、脱毛屋、ジューススタンド等があり、俺達はフードコートで夕食を済ませる事にした。
「して、当座の生活はどうするか決めたか?」
ヒヨコ豆のスープをすすりながらゴズウェルが聞いてきた。
「そうだな、リヴィアス議員の誘いに乗るのは癪だけど剣闘士としてやっていくよ。そして色んな武器を作ろうと思う」
俺は乾燥肉をかじる。
スパイスが効いていて、なかなか美味い。
「この前話していた存在しない武器作りだな。それなら、訓練所の手配と鍛冶師への手紙を用意してやる」
俺は乾燥肉を口から離して手紙の礼を伝えた。
訓練所に入ったら新たなスタートだ。ゴズウェルと通じた人間がいるのは本当にありがたい。
「住まいはどうする?訓練所には宿泊施設もある。安いが快適とはいかんぞ。牢よりはマシだがな」
ウハハと笑いながらワインを煽るゴズウェル。
「カルギスは通いで訓練所に行って剣闘士をしているらしい。俺も同じようにできるか?」
「ふむ、そうだな。訓練所で暮らし、下の下の生活を送るなら年間500セステもあればやっていける。
通いとなると家を守り、家事を任せる奴隷が最低でも一人は必要だ。一人暮らしで奴隷を一人養い、中の下とするなら年間で6000セステ程度は必要になるだろう」
奴隷か…元現代日本人の感覚を持つ俺にはどうにも忌避感があり、馴染めない言葉だ。
この世界の奴隷は俺が見た限りでは、ひたすらにひどい扱いを受けるだけの存在でない事はわかってはいる。
仕事を引き受ける時にはチップを受け取り、日本の丁稚奉公と同じように見える。
いや、日本にもあった奉公制度が奴隷制度とあまり変わらないだけか。
確か、姉ちゃんが年季奉公を翻訳すると奴隷になっちゃうって話をしていたような記憶もある。
小難しい話だが少々抵抗があるのは確かだ。
もし、俺が必要に駆られて奴隷を持つ事になったらせめて人間らしい雇用関係を築こうと心に誓う。
元ブラック企業勤めとして、これは絶対だ。
「お前さんの腕なら、年に3戦もすれば十分賄えるだろう。当座はワシが渡したチップでやっていけるはずだ。
市民にはパンの配給もあるから死にはせんさ」
ゴズウェルは何の問題もないと請け合い、ニッと笑ってくれたが、異世界転生って生活費を気にするような地味な物語だったか?
俺は自らが体験している転生人生のスケールの小ささに、しょんぼりと肩を落とした。