02話 長槍に見出す光明 後編
勝利の歓声を背に受けながら、引きずられるようにして再び牢へと押し込められた俺は最悪の気分を味わっていた。
人間の腹があんなに柔らかいなんて!
モルナガの事は全く知らないが、あいつにだって家族がいただろうに。もしかしたら奥さんや子供もいたかもしれない…
ここは闘技場で、俺は奴隷剣闘士で、殺らなきゃ殺られる状況で…後悔と自分への言い訳を考えているうちに、握った槍の柄に伝わってきた肉を破る感触を思い出して空っぽの胃液を吐き出した。
「よぉ、偉大なる巨人ヘリオンよ!会場はお前の噂で持ちきりだぞ。ん?しけたツラしやがって。敗者には死を。勝者には栄光を…ってな」
小柄ながら筋骨隆々、歳は50代だろうか。
身体はおろか顔まで傷跡だらけの容姿は彼の人生が壮絶である事を確信させる。
顔を見られたくないのか、白髪混じりの髭はボサボサで伸び放題だ。
そんな牢番頭のゴズウェルは上機嫌である。
もしかしたら博打で俺に賭けていたのかもしれない。
「初戦てのは勝っても辛いもんだ。負けた奴はもう飲めないし、食えないからな。勝った奴がその分も食う。それが摂理というやつよ。
奴隷だろうと勝者にはちゃんと褒美があるぞ。栄光を噛み締めて次も勝て!
ほら、これを流し込んで忘れちまえ」
傷だらけの五十男の顔がクシャッと歪む。笑顔を作ったのかウィンクなのかわからないが、励ましてくれてるみたいだ。無骨で不器用な気遣いが心にしみる。
ゴズウェルは、一斤もあるでかくて丸いパンと水。そしてぬるいビールを差し入れてくれた。これが勝者への褒美だそうだ。
飲め飲めと急かされ、衛生面が気になりつつも一息にビールを飲み干す。
美味いとはとても言えない代物だったが、後悔や嫌悪感が洗い流されていくような、、飲み過ぎはよくないが、酒が力になってくれる時もあるなと納得する。
「おっと、忘れるとこだった。ヘリオン、おまえは見事に一勝した。だから牢番頭として伝える事がある」
ゴズウェルはそう言って一枚の羊皮紙を取り出した。
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【奴隷剣闘士のルール】
ひとつ、相手を殺すまで闘う事。
ひとつ、観客を楽しませる事。
―奴隷剣闘士の福利厚生―
牢と寝床が与えられる。
武器防具を貸し与えられる。
勝者には酒と食事が振る舞われる。
5勝すると奴隷身分から開放される。
5勝した後は下位剣闘士として登録ができる。
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「これは、クロネリア帝国宰相にして剣闘士を管理されている最高責任者アグナ・フィルメヨール・クラウディ公閣下の署名付き命令書だ。
ここ、クロネリア帝国においては絶対の効力がある。わかるか?5勝すれば市民になれるんだ!
下位剣闘士に昇格すれば治療も受けられるようになる。
お前にはなにか光るものを感じる。
まずは5勝、生き残れよ!」
ゴズウェルはまくし立てるように説明を終え、いかにもいいことを言ってやった。とばかりに満足した様子で去っていったが……
俺は、書面とゴズウェルの発言の中にある落とし穴に気づいた。
これって、5勝するまで治療も受けられないって事だよな?殺し合いさせられるのに?
俺はおそらく、WEB小説あたりで言うところの転生者と呼ばれている類の経験をしているのだと思う。
仕事の休憩時間や寝る前の隙間時間に丁度いい読み物で、読み漁っている内に気づけば朝になっていたなんて事もあるくらいには俺も楽しんでいた。
その手の小説によくある設定が自身にも適用されて※文末に不要な改行コードがあります
いるんじゃないかと考えて実験してみたのだ。
結果…判明したのはどうやら俺には、レベルもHPもステータスもスキルもチートもないという事!
魔法も多分ない!
いい大人が少し恥ずかしいと思ったが、小声で「ステータス画面でろ」とか「レベル確認」とか「スキル選択」とか一通り呟いたり、念じたりしてみたのだ。
正直、いたたまれなかった。
どうせ転生するならハーレム系とか無双系がよかった……本当に。
普通の人間が武器を持った相手と殺し合って、5戦連続ノーダメージなんて無理にもほどがあるだろ…格闘ゲームでも無理だ。
完全に詰んだ。
ぼけーーーーっと小さな窓から見える青空と雲を眺めながら、固いパンをガシガシと噛みちぎる。
歯ごたえのある食べ物は現実逃避に最適である。
ふと、鉄格子にピントが合った。
そこには干からびた小さな黒いトカゲの死体…ん?若干生きてるぞ?
どれどれ、水とパンを与えてみよう。
お、気づいた。水をペロペロ飲んで、パンをカジカジしてる。意外とかわいいなこいつ!
荒みきった俺の心が癒やされていく。
全身は黒い鱗に覆われ、首と尾には黄色い斑点があり、ごつごつした頭は子供の頃に姉ちゃんと作った『おはぎ』を思い出す。
よし、お前の名前は今日から『おはぎ』に決定だ。
心のなかで名前をつけると、トカゲは金色の美しい瞳を細め、頭を俺の指にすりすりと気持ちよさそうにこすりつけてきた。
可愛いやつである。
ここで姉ちゃんの事を話しておこう。
姉ちゃんの歴史豆知識に助けられた事だし。
姉ちゃんこと、川背真綾(28)は俺の一人きりの家族だ。両親は他界してる。
小学生の頃、歴史を覚えるのが苦手だった俺に一緒になって暗記してくれたり、歴史系のゲームや漫画を二人で楽しみながら根気よく教えてくれた。
忘れられない思い出だ。
俺は歴史よりもゲームや漫画に夢中になっていったが、姉ちゃんはそのまま歴史オタクになってしまった。
仕事もその延長で博物館勤務。筋金入りである。
本人はメガネクール美女を気取ってるけど、全然クールじゃないし、弟目線としては甘めの採点で雰囲気美女というところだと思う。
余計なお世話だけどそろそろいい相手が見つかってもいいと思うが、理想の男性が戦国武将の本多平八郎と古代ローマ時代の剣闘士スパルタクスだからなぁ…いないよそんな男、2000年代には。
あとは俺が中に入っている奴隷剣闘士ヘリオンの身体と、転生する事になってしまったいきさつについてだが……おっと、誰か来たみたいだ。
こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。




