13話 剣闘士の末路と悪徳の輪廻
もはや余命幾ばくもないヘリオン。
彼にかけられたボロ布から一匹の小さな黒いトカゲがひょこっと顔をだす。
匠が可愛がり、パンを与えていた『おはぎ』である。
おはぎはちょろちょろとヘリオンの傷ついた肩口までたどり着くと、割れた舌先で彼の傷口をチロッと舐める。
少し悩むようなそぶりを見せたあと、右前足の指を広げ、傷口に触れた。
バチバチッ!
黄色い閃光が走り、ジュウッと傷口が焼ける。
満足そうな表情を浮かべたおはぎは次の患部へスルリと移動する。
脇腹、太ももと傷口を止血した後に心臓の上で止まった。
おはぎは少し困った様子で天を仰ぐ。
「おやおや、死者の魂を迎えに来てみれば我が弟『サンダー』に邂逅しようとは…大神も粋な計らいをするのう」
おはぎが見上げる先には、ぽわんと宙に浮いた白い兎。生と死を司る竜バースだ。
もふもふである。
「して、サンダーよ。我、何をしておるの?」
「英雄を助けようとしておるのよ、姉上」
竜の言語は天啓とも呼ばれる物で、全時代、全ての場所で思考に直接語りかける。
「英雄とな?こやつが何を成したのだ?軽々しく我の仕事に茶々をいれる事は麗しき姉弟とて、看過できぬぞ」
「この小さき者はな、節制の功を積んだのよ」
「はぁ?節制?我はこやつの逐一を覗き見ていたが…はぁ?いつ?」
サンダーの返答に兎は呆れたようにプープーと唸ってみせる。
「この者は、一掴みのパンしか持たぬ身でありながら、ケイオス兄者の混沌と争いの気にあてられ、死にかけていた我に施しを与え救ったのよ」
にらみ合うトカゲと兎。
しばらくの後に兎の方が肩の力を抜いた。
「我は魂の調停者ゆえ、そのようなこじつけで肩入れはせぬが……勝手にせぃ、おはぎ。
しかしなぁ…かの東の地で神へと到る塔を焼き尽くした怒れる弟サンダーが、パン切れ一つで人に懐くとは天も大笑しておろうよ……」
クックックと笑いをこらえる兎。
弟をからかう姉は実に楽しげである。
「話が済んだならさっさと帰るがいい、姉上よ」
「ちと冷たいな、おはぎ。姉上のふかふかの毛で温めてやろうか?」
「帰れ!」
おぉ、怖や怖や。
などとふざけながらバースが姿を消すと、おはぎは青白くなった匠の顔を見つめる。
心の臓が止まってしまった。
このままではすぐにでも姉のもとに旅立ってしまう!
「あのパンの礼をさせてもらうぞ、匠よ。先の突風だけでは対価とは言えぬ。命には命を!」
おはぎは匠の心臓の上に寝そべると小さく震え出す。そしてパッと雷を散らせた。
ドンッ!
もう一度、今度はもう少し強く。
ドンッ!
……トッ…トッ…トッ、トッ、トッ
心臓が鼓動を再開させる。
荒療治ではあったが、なんとか命を繋いだようだ。あとは匠と縁のある人間に世話をさせればいい。
あの、でかくて世話好きで暑苦しい感じの奴がいいだろう。
ドタドタドタッ!
「うおぉいっ!ゴズウェルの旦那ぁ!大変だっ!り、りり、竜が、竜がでたんだぁ!」
山程の食料を抱えてカルギスが牢に突進してきた。
「血を作るからとか言って、マグロと海藻にチーズと!あと言われたもん、全部買ってきた!」
「ん?カルギス、何を言ってる?ヘリオンの事か?奴なら…もう……」
鎮痛な表情を浮かべるゴズウェルに向かって、カルギスがまくし立てる。
「サンダー様が!俺に天啓をお与えになって!ヘリオンを生かしたから、あとは人間達次第だって!」
「い、生きてるだとっ?!ヘリオンが?ほ、本当か!」
「ああ!あぁ!そうだとも!」
いででっ、背中が痛い。
硬い床のせいだ。
ベッドが恋しい…ぐおっ!
肩と太ももがビシビシする!左肩の痛みもかなり、やばいぞ…などと肩をさすろうとして目が覚めた。
眼前には、30過ぎのスキンヘッドのマッチョなおっさんに50過ぎのマッチョで傷だらけの爺さん二人が涙目で俺を凝視していた……
いくらなんでも絵面が濃すぎる。
というか汗臭すぎる。
(心配してくれたのは嬉しいが…)
二人の話によると、どうやら俺は3日も寝続けていたらしい。
その間、二人はなにかと世話を焼いてくれていたみたいだ。
奴隷剣闘士なんていう最悪な環境の中、この二人に出会えたのは僥倖だった。
この恩は絶対に返さなくてはならない。
事情を聞くにつれ、聞き覚えの無い名前が二つ上がる。
まずは、カルギスから聞いた『天空と雷を司る竜サンダー』である。
彼?は、20メートル近くもあり、黒と黄色の神々しい艶の鱗で覆われ、五本の長大な角と巨大な被膜の翼を備えた竜で、カルギスの夢枕に現れたそうだ。
「夢かいっ!」とツッコミを入れたかったが、現に俺は死にかけており、教えられた細かな処置方法など理に適っていたそうで、天啓だ!お告げだ!と大騒ぎしていた。
次に、ゴズウェルから聞いた『リヴィアス元老院議員』彼はアンクラウス戦で興行師の隣にいた、知性と気品を感じさせる30代後半の男。
聞けば、闘技場の管理官という立場で、闘技場に民意や人権といった物を導入しようとしている貴族なんだとか。
今回、俺を名誉ある負傷として、一定期間の休暇を与えてくれたのがリヴィアス議員。
「後に褒美を取らせる」と以前言われたので、この休暇が褒美なのかもしれないと思い当たった。
剣闘士として長生きするには彼のコネが理想かもしれない。名前を忘れずに覚えておこう。
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中天にかかる美しい月は雲に隠され、悪巧みをする者達の暗躍を許す。
とある豪奢な邸宅の中庭で、一人の貴族が乞食に扮した間者から密告を受けていた。
「…そうか、あのまま死なず、生き長らえたか」
チュニックの上に『トガ』と呼ばれる左肩から前に大きく垂らした一枚布の上着。
白地に赤い縁取りは議員、官職の証である。
「たっぷり時間と金をかけて育てあげたアンクラウスを無惨に嬲り殺しおって。この借りはきっちり取り立ててやらなくてはな。
よいか、奴の次の相手は私が手配する。そのように」
間者は一言も発さず、こくりと頷く。
闘技場はただの娯楽施設ではない。
民衆の溜飲を下げさせる場であり、民衆の関心を政治から放す道具。
さらに民衆の人気を集める絶好の機会でもある。
だからこそ一流の剣闘士には大勢の貴族がスポンサーに付く事で注目された。
当然、政治と無縁でいる事は不可能。
その上、相手を殺せば、その家族、恋人、スポンサー達から恨みを買う。
殺せば殺しただけ、ねずみ算式に恨みは増え続けるの。
この悪徳の輪廻からは、いかに転生者の匠でも逃れる事はできなかった。