50話 反乱軍の退去
「待たせてすまなかったね」
ヴァレンスの前に颯爽と現れたスパルタクスは、威風堂々という言葉を体現したような精悍な美丈夫だった。
左手に巻かれた包帯が痛々しいが、それをおくびにも出さず、悠然と対座する。
「話は副官から聞かせてもらったが、我々に退去を求めたいと、そういう事でいいのかな?」
先程の髭面と違い、スパルタクスの柔らかな物腰にヴァレンスから安堵の息が漏れた。
「ええ、はい。スパルタクス将軍閣下、話し合いに応じていただき感謝いたします。
閣下、我々帝国軍にも面子というものがございます。ポポロ広場を占拠する反乱軍には速やかに退去していただきたいというのが、帝都防衛軍司令官からの要求です」
「ふむ…このような話し合いの席を設けたという事は、我々に対する要求だけでなく、譲歩や助力も期待したいところだね」
「もちろんです。閣下が帝都の安全をお約束いただけるなら、私からも反乱軍への攻撃を控えるよう進言いたします」
「ありがたい申し出だ。ヴァレンス殿」
さすがは数十万の反乱軍を束ねる指導者。
先程の武官とは比較にならないほど話が早い。順調な滑り出しに気を良くしたヴァレンスに今度はスパルタクスが口を開いた。
「ヴァレンス殿、貴公は話の分かる方だ。だからこそ打ち明けるのだが、反乱軍などと立派な軍隊のように言っているが内情は火の車でね。
貴公との約束を守る為、水と食料の提供をお願いしたい。それが果たされる限りは帝都の安全をお約束しよう」
「え……」
サラリと返された内容に虚を突かれた。
スパルタクスはヴァレンスの言葉を肯定するように見せて、しれっと要求を上乗せしてきたのだ。
この要求を突き返す事ができなければ、想定していた反乱軍の退去と引き換えに水と食料を提供するという計画は瓦解し、ヴァレンスは交渉できるカードが無くなってしまうのだが……
こちらを疑ってもいない、いかにも誠実そうに微笑むスパルタクスに反問するだけの経験と胆力がヴァレンスにはなかった。
「あ、ありがとうございます閣下。後ほどパンと水を広場に運び込むよう手配いたします。では次の話を…反乱軍の退去についてはいかがいたしましょう」
失態を隠すように早々と本題に話を移すヴァレンスを、後ろに控えるコルグロが片眉を上げて見守る。
「先程からヴァレンス殿は速やかに退去を望むと再三おっしゃっているが、我々の多くは貴族の暴虐から逃げ出してきた者たちで、老人や女子供も少なくない。
ヴァレンス殿のご希望を真摯に捉えるなら、馬が三〇頭は必要になる。水と食料を運び込む際、一緒にお願いできると助かるのだが」
「そんな無茶な!」
たしかに急かしたのはヴァレンスだが、この言い分は無理筋だ。
叫ぶように否定してみたがスパルタクスは笑みを絶やさない。なにか変な事でも言ったかな? という態度を見せつけられると、こちらがおかしいのではと疑いたくなってくる。
「こちらは現状をお伝えした上で、ヴァレンス殿の意向に添いたいと思っての提案なのだが」
「さすがにこれ以上、反乱軍に供出するのは……」
苦りきったヴァレンスの表情を見据えて、ふうむと一考するスパルタクス。
「そうだな。こちらもお願いばかりでは心苦しいと思っていた。せっかく知己を得たヴァレンス殿にも花を持たせなくてはな。
では、これでどうだろう。水と食料、そして馬を三〇頭用意したまえ。その心遣いに感謝し、反乱軍は東へは向かわない」
この提案にヴァレンスは目を丸くして驚いた。
スパルタクスが帝都で反乱軍を集めたのは、東のレアティナ平原で戦闘中の帝国軍を背後から強襲する意図があったに違いない。
もし、この交渉によって彼らが帝都から退散し、その上、北にでも逃げてくれるなら大金星といえる成果になるはず。馬の三〇頭や四〇頭くらい安いものだろう。
(私の予想以上に反乱軍は疲弊しているのかもしれない。そろそろ会談を切り上げて、コルネリウス様にこの事もお伝えしよう)
降って湧いた光明に、飛び上がりたい衝動を抑えてヴァレンスは落ち着いた口調で話を継ぐ。
「この上ないご提案に感謝します。閣下、東へ向かわないというのは、レアティナ平原での戦闘に参加しないという事をお約束いただいてもよろしいですか?」
言葉尻から上げ足を取られぬよう、再度念押ししてみたがスパルタクスは当然だというように大きく頷いてみせた。
「もちろんだ。戦闘行為に参加せず、北へと向かう事を両親の名にかけて誓うとも」
帝国は、反乱軍に対して数日分の水と食料、さらに運搬用の駄馬三〇頭を供与する。
反乱軍は、帝都内での暴動を抑え、補給が済み次第、速やかに帝都から退去。東側で行われている戦闘には一切参加しない。
スパルタクスとヴァレンスはこの合意書にサインし、この約束が果たされる事を互いに請願して、陣幕を離れた。
「ヴァレンス殿、大任ご苦労様でした。見事に役目を果たしましたな」
コルネリウスへの報告に向かう道すがら、コルグロ百人隊長が労いの言葉をかけてくれる。
「ありがとう、コルグロ隊長。彼らが東へ進軍するのを止められたのは僥倖でした。その……馬を与えてしまったのは失態になりますかね」
任務を果たした嬉しさが半分、コルネリウスとの間で話題にもでなかった馬を与えた事で責められないかという不安が半分で、ヴァレンスは肩をすくめた。
「なあに、私がコルネリウス閣下から受けていたご下命は、反乱軍を帝都に駐留し続ける事だけは何としても避けよ。というものです。駄馬数十頭など、ものの数ではありません」
自分が全く期待されていなかった事を知り、肩を落としたヴァレンスの肩をバンバンと叩いてコルグロ百人隊長は優しげな眼差しを向ける。
「ヴァレンス殿、辞めなさんな。あんたは、なかなか見どころがありますよ」
そんな風に慰められても、少しも嬉しいとは思えなかった。
水と食料を積んだ馬が列を成して、ポポロ広場に続々と運び込まれる。
その様子に歓声をあげて喜びに湧く反乱軍を眺めるスパルタクスと髭面の副官。
二人の面持ちは神妙そのものだ。
「閣下、我らが東へ向かわぬという事は……」
「私が陣幕に顔をだす直前に、早馬が駆け込んできたんだ。伝令役も馬も、それこそ傷だらけで息を切らしていてね。
彼は話すことも出来ずに握り込んだ報告書を私に手渡すと、そのまま息を引き取ったよ」
「本隊は、本隊の様子はどうなのですか?」
「……帝国正規軍と正面からぶつかった本隊は早々に瓦解。隊列を保てなくなり、クリクスス将軍以下残存した兵は南へと潰走したそうだ」
言葉を失い、呆然とする副官を見つめてスパルタクスは淡々と話を続ける。
「帝国の壁は……我々が思った以上に高く、厚かったようだ」
奴隷の血肉を糧にして育まれたその壁はあまりにも強固だ。
心が折れそうになるのを隠して、スパルタクスはいつもの自信に満ちた笑顔を貼り付けた。
「さぁ、まだ諦めるのは早い。先に北へ向かったオエノマウスと合流しようじゃないか。
ヴァレンス殿からせしめた馬が役立ってくれるさ」
副官も零れそうになる涙を拭って調子を合わせる。
「でしたな。あの若造、表情がコロコロと変わって振り回し甲斐がありましたわ」
クックック、と笑いあい、副官と共に、戦利品に沸く皆のもとへ足を運ぶ。
スパルタクスは隣を歩く副官に気づかれないよう、東の方角を見つめて小さく呟いた。
「クリクスス…君は帝国軍と剣を交えて望みを果たしたのか?」
そうして、共に帝国へ反旗を翻した戦友が満足するのを祈るのだった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は4月08日(水曜)です。
お読みいただき、ありがとうございます。
気に入って頂けましたら評価★★★★★ブクマをお願いいたします。ランキングと作者のモチベーションが上昇いたします。
引き続き、『武器物語』をよろしくお願いいたします。




