38話 奇策
「急報! 帝都南、ウェスパシア訓練所を占拠した反乱軍が北に向けて行動を開始! その数、およそ五千!」
天幕を跳ね上げて飛び込んできた伝令兵の絶叫が、張り詰めた作戦室の空気を切り裂いた。
伝令は肩で息をし、その顔には脂汗と煤がへばりついている。事態の切迫さを雄弁に物語る姿に、居並ぶ文官たちの顔色がさっと変わった。
「ご、五千だと? 五百の間違いではないのか!?」
「先の報告では騎馬七十だったはずだぞ!」
「あちこちの訓練所から合流したにしても数が合わん!」
突如として帝都の喉元に湧いた敵軍勢の報告に、文官たちは泡を食い、蜂の巣をつついたような騒ぎとなる。持っていた羽ペンを取り落とす者、慌てて地図を広げ直す者、誰もが現実を受け入れられずにいた。
「ようやく東門の魔獣騒ぎが落ち着いたと思ったら、今度は南で騒動かい。忙しない事だねぇ」
「閣下、連中はいったいどこから……」
顔面蒼白で慌てふためく部下とは対照的に、世間話でもするかのようなのんびりとした口調。
帝都守護の総責任者、アスラ・コルネリウス・フェリナス将軍その人である。
彼は湯気の立つ杯を優雅に傾け、まるで午後の茶会にでも出席しているかのような落ち着き払った態度で椅子に深々と腰掛けていた。
「スパルタクス本人が帝都に侵入した可能性が示唆されていたからなぁ。これはまぁ、帝国の『影』を味方につけたというところだろう」
「帝国の、影……ですか?」
なにやら歪曲的なコルネリウスの答えに、若年の文官が鸚鵡返しに尋ねる。
「そうだな。君、帝都クロネリア市内における奴隷の割合と人数は知っているかい?」
「さぁ、正確な数字は存じませんが……二割、いえ三割ほどでしょうか」
「私も詳しい数字は失念したがね。帝都の人口の半数は奴隷だそうだ。その数は約五十万」
コルネリウスは卓上の地図、その帝都の部分を手のひらでポンと叩いた。乾いた音が室内に響く。
「五十万ですか……凄まじい数ですが、今回の件となにか関わりが?」
「理解したまえ。その五十万人が、『潜在的には反乱軍になり得る』のだと」
コルネリウスの言葉が、氷水のように彼らの背筋を冷やした。
今まで空気のように扱っていた奴隷たち。掃除夫、荷運び、酒場の給仕、あるいは自邸で世話をさせている召使いたち。それら全てが、一斉に牙を剥く光景を幻視したのだ。
「百騎そこらで侵入し、ほんの数刻で五千もの暴徒を生み出すとは……スパルタクス、とんでもない化け物だよ。扇動者としての才は、かのハンニバル以上かもしれん」
「な、ならばこちらも速やかに鎮圧を!」
「うむ。民兵を総動員し、南大通りを塞がなくては……」
「まぁまぁ、諸君。落ち着きなさい」
「しかしですな! 帝都にスパルタクスがいるのであれば、暴徒の数はさらに増えましょう!」
「確かにその通りだ。放置すれば、彼らは雪だるま式に膨れ上がり、数万人規模になるだろうね」
「ならば尚の事!」
落ち着き払ったコルネリウスの態度に気色ばむ者も現れ、軍議は騒然となる。
だが、将軍の鋭い眼光がちらりと動くと、場は水を打ったように静まり返った。
「君達は簡単に鎮圧と言うが、いつ背中を刺されるかも判らぬ状況で、兵士がまともに戦えると思うのかね? 街ですれ違う奴隷、路地裏の浮浪者……全てが敵に回るかもしれないのだぞ」
「ですが悠長に構えている場合ではありますまい! 多いとはいえ、反乱軍はまだ五千。今ならば十分に対処できます!」
「帝都に住まう五十万の奴隷が潜在的敵軍だと言っただろう?
一人の奴隷を槍で突くだけで、街の至る所から石を投げられる事になる。帝都を二分する血みどろの殺し合いなんぞ、看過できんよ」
「で、では……なにか方策は……」
場の興奮が一息ついたところで、コルネリウスは無精髭をジョリジョリと擦り、ふむと瞑目した。
「クアレス君」
「はっ!」
「ウェスパシア訓練所から発生した反乱軍は北に向かっているそうだが、パラティヌス地区にある陛下の官邸や、西の貴族街を目指している様子はあるかい?」
指名されたクアレスは、片目を閉じて意識を集中させる。
――秘術『鷹の目』。
クアレスの視界が急速に上昇し、天幕を突き抜け、雲を裂いて高高度へと舞い上がる。
ヒュオオオオ……という風切り音が鼓膜を叩き、眼下には帝都の全景が箱庭のように広がった。南の街道を埋め尽くす黒い人の波。彼は俯瞰した視点から、蠢く群衆の細部を凝視する。
つぶさに状況を捉え、クアレスは意識を肉体へと戻し、上司に報告した。
「……いいえ。そのような動向は見受けられません。彼らはただひたすらに、北を目指しています」
「君の主観で結構だが……彼らは怒り狂っているか? 訓練された兵士のように整然としている? それとも楽しげかね?」
「そうですね……強いて言うなら、楽しげ……でしょうか。まるで祭りの熱狂のように感じます」
不謹慎かと危惧して少し言い淀んだが、クアレスは見たままを素直に答えた。
彼らの表情には悲壮感も殺気もなく、ただ解放感に酔いしれているように見えたのだ。
「た、楽しげだと?!」
「帝都を混乱に陥れてのお祭り騒ぎとは……奴隷共め! 舐めたまねを!」
クアレスからの率直な感想に、これまで黙っていた武官たちも怒りを隠せない。
拳を強く握り、口汚い罵詈雑言が飛び交う。
「コルグロ百人隊長!」
「はっ!」
「陛下を害するでも貴族街を襲うでもなく、北に行進する反乱軍五千名に対し、こちらは民兵をかき集めて二千名の帝都防衛軍。
激化すれば、街中からたちまち奴隷が集まってくるだろうこの状況。君なら、どう指揮を取る?」
「そうですなぁ……私見ではありますが、陛下のおわす西側と、クラッスス将軍の背後となる東側。東西に向かう通りを封鎖し、反乱軍の連中を北に追い立てるというのはいかがでしょう」
問われたコルグロは、あらかじめ取れそうな対策を練っていたのだろう。コルネリウスの無茶振りにも淀み無く作戦を提案してみせた。
「なかなかの妙案だな。どうせなら連中にパンを配ってやるのはどうだ?」
「……は?」
コルグロが素っ頓狂な声を上げた。
「閣下!? いくらなんでもお戯れがすぎますぞ!」
「敵に兵糧を与えるなど正気の沙汰ではない!」
「戯れだと?」
先ほどまでの能天気な表情が消え失せた。
コルネリウスが纏ったのは、歴戦の将軍だけが持つ、肌を刺すような威圧感。
室内の温度が数度下がったかのような錯覚に、空気が凍りつく。
「恐れ多くも陛下より帝都防衛の任を頂き、帝国臣民百万の安全を預かる身である。指令書を頂戴したその時より、一瞬たりとて戯れた事などありはしないぞ」
「し、失礼しました!」
直立不動で敬礼する部下たち。
アスラ・コルネリウス・フェリナス。
クロネリア帝国最古の貴族家の一つ、フェリナス家の跡取りにして、過去に二つの戦争で副将を務めた才人である。兵士からの信頼は絶大。
大貴族であり戦功抜群のこの将軍は、日頃の言動こそ温厚で気安いが、決して怒らせていい相手ではないのだ。
「閣下、その、本当にパンを配るので?」
「そうだな……北への出口となるポポロ広場で配るのがいいだろう。水とワインもだ」
どうやら将軍は本気のようだ。
先ほどの問答があったせいで、文官達も否と言える雰囲気ではなかった。
「そして、こう言ってやれ。『帝都の治安を乱す事は許さないが、君達が無事に故郷へ帰り着く事を祈っている』とね」
陣幕の全員が息を呑み、コルネリウスの真意を悟る。
「なるほど……!」
「奇抜ですが、今の状況では最善策のように思えます」
「彼らの進路を誘導するだけでなく、『侵略』を『脱走』へと変質させるのですね! 素晴らしい!」
戦意を持って帝都を破壊しようとする軍隊ではなく、ただ故郷へ帰りたいだけの脱走者として扱う。
そうすれば、彼らは戦わずに去っていく。戦う意志を削ぐ、心理的な武装解除だ。
「待て待て。閣下の作戦は確かに面白いが、奴隷達にパンを与えて脱走させるなどというのは前代未聞の事。閣下の責任問題になりかねん!」
石頭の文官が慌ててストップをかけるが、コルネリウスはニヤリと笑った。
「なに、責任ならこいつが取ってくれるさ。多分ね」
コルネリウスは、そううそぶいて皇帝からの全権委任状をピラピラと振って見せるのだった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は3月11日(水曜)です。
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