10話 ワルプルギスの盾
「ワルプルギスの剣術書?」
「ワルプルギスの夜じゃなくて?」
姉ちゃんの眼鏡が、獲物を狙うようにギラリと光った。
「やっぱり反応した。匠、あなた私に隠れて夜中にコソコソと『まど☆◯ギ』を見てたわね!」
『まど☆◯ギ』は可愛い魔法少女達が活躍するちょっと重めの人気アニメだ。
「い、いいだろ別に…」
別段恥じる事ではないが絵柄が可愛すぎて少し気恥ずかしい。
「別に構わないけど、誰が好きなの?私はさやかちゃん推しよ」
「お、俺は、マミた」
「やっぱり!そうだと思ったわ」
なぜか勝ち誇る姉。
俺の好きなキャラは包容力のあるお姉さんポジション。ぽわんとした可愛い姉に憧れたっていいじゃないか!
「悪いか!」
「誰も悪いとは一言も言ってません!」
おっと、これは本当にどうでもいい部分の思い出だった。アンクラウスが強すぎて動揺してしまった。
ヨーロッパ最古にして世界最古の剣術指南書。
それが『ワルプルギスの剣術書』だ。
1300年頃の物でいくつもの剣術指南が記され、最終的にワルプルギスという女性が剣と盾を持ち、師範と対峙する。
ワルプルギスが持っている盾は、直径25センチくらいのかなり小ぶりな物。
中世ヨーロッパで大流行した『バックラー』と呼ばれる盾である。
バックラーは現代においてもかなり有名な盾で、それを使った試合の動画も見た事があった。
盾を前に突き出して構え、相手の攻撃に自分から合わせて当てにいくのだ。
この技を起死回生の案として俺もやってみようと思う。
世界最古の剣術書を使って、千年先の戦法を見せてやる!
ボロボロに半壊した盾だが中心は未だ健在だ。
これならまだいける!
さっそく盾を前に突き出す。
アンクラウスの攻撃に合わせて、こちらから当てに行くのだ!
剣を弾き隙を付いて、空いた胴に薙ぎの一撃を入れる!
ガッ
くそっ、相手も盾を持ってるの忘れていた!
「面白い使い方をするのだな、まだやれるのか」
アンクラウスの口元がうっすらとあがる。
こっちは必死だっていうのに…
再度、アンクラウスの攻撃に合わせて盾で弾いた直後、こちらが剣を振る前に敵の盾が横向きになって薙いできた!
盾を攻撃に使う案を即座に真似てくるとは、こいつ天才か!
こうなったらこの攻撃をくらいながら反撃するしかない。剣ではない分、死にはしないのだから!
覚悟を決めろ!
ドズンッ!「…つっ!」
右脇腹に鈍い衝撃が走る。
ぐわあぁっ、痛いっ!ほ、骨は大丈夫か?!
そんな事を考えてる場合じゃない。格闘戦だ。
剣!は、ダメだ。
近すぎるし、脇腹の痛みで右腕が開かない。
盾だ!
俺は盾でアンクラウスの顔面を殴りつける。
ガインッと盾と兜が金属音を奏でた。
(その意気や良し!)
ん?アンクラウス?いや、違う声だ。誰だ?
(お前の熱い脈動に反応したようだ。見本を見せよう)
「え?ヘリオンなのか?!」
脇腹が熱い。
なんだか、ぼーっとしてきた。
脇腹の熱が体中に広がって…ね、眠い…寝て…る場合じゃ……
アンクラウスは動揺していた。
今回の相手はヘリオンと言ったか、まだ三戦目ながら過去の二戦は共に圧勝。
初戦は巨人が使うような長大な槍を軽々と使いこなし、二戦目では農具を振り回して観客の心を鷲掴みにしたと聞く。
剣闘士の戦い方、生き抜く術を熟知している。
とんでもない新人が現れたと思っていたところに、かつて世話になった興行師が今回の話を持ってきたのだ。
金に卑しく、汚い事も平気でやる嫌な奴だがその報酬は段違い。
そろそろ上位剣闘士が見えてきたアンクラウスの通常の試合の十日分。これは破格だと思った。
いや、思っていた。今の今までは…
雰囲気が変ったどころの騒ぎではない。
奴が放っている殺気を見てみろ。
氷のように冷たい視線と体からほとばしる熱が温度差を生じ、陽炎まで生み出している!
伝説に聞く狂戦士という奴かもしれない…
「あの金額では釣り合わないな、これは」
アンクラウスは後悔の念を吐き出すように呟いた。
「私の名前はヘリオン。ヴィークの民」
「ヴィークの戦士、ヴィークルスの戦い方をお見せしよう」
それだけ告げると、ヘリオンはスッと下方から見る間もなくアンクラウスに近づくと、かち上げるように半壊した盾をアンクラウスの右手と剣の柄にめがけて打ち付ける。
打ち付けて打ち付けて、たまらずアンクラウスが盾で防御に入ると、浮き上がり無防備になった彼の足の甲を、剣で斬り裂いた。
「ぐおっ!」
痛みから咄嗟に盾を引いたアンクラウスの右側頭部に向けて、もはや中心くらいしか残っていない盾で殴りつける。
次は反対から剣の柄で左側頭部に一撃。
頭を左右から痛打されたアンクラウスは意識を保つだけで精一杯のようだ。
ヘリオンは迷いなく剣を捨て、ボロボロの盾に収納された短剣を引き抜くと、瞬きの内にアンクラウスの内ももを深くえぐり、首の頸動脈を慣れた手つきで引き切る。
ドサリ…
アンクラウスはろくに抵抗もできず、その場で糸の切れた人形のように倒れ伏した。
あまりに一方的な逆転劇。
過剰なまでの残虐な攻撃に観客は声を失い、眼を見張る。
口を開けて放心する者。
両手で目を覆う者。
しばしの静寂。
「……終わりだ、ワ、ワシは終わりだ」
戦いの終りを告げるはずの興行師が泡を吹いて倒れ、取り繕うように隣の席の男が大声で場を制した。
「見事だ!ヘリオンよ。混沌の竜、ケイオス様に捧げられたのはアンクラウスのほうであったな。後に褒美を取らせよう。勝者ヘリオンに栄光を!」
思い出したように沸き起こる観客の声援を背にして、ヘリオンは何の感慨も見せずに退場していった。