13話 スパルダ
都市国家同盟パルテナスを南北に走る大河エウロタス川の南西部に、一際異彩を放つ自治都市があった。
その名をスパルダという。
スパルダはクロネリア帝国が台頭する以前、古代パルテナス世界において最強と謳われる重装兵団を有していた。
パルテナス世界の他都市とは一線を画す政治形態を持つ徹底した軍事国家であり、18歳以上のスパルダ民全てが過酷な軍事訓練を受ける。
その勇猛さはいくつもの戦争で証明されており、テルモピュライの戦いと呼ばれる戦役では、スパルダの王レオニダス率いる300のスパルダ兵が東から迫る6万のペルセア帝国軍と奮闘。
続くプラタイアの戦いにおいても4万のスパルダ軍が30万のペルセア帝国軍に圧勝するという、とんでもない戦歴を持つ強国であった。
そんな狂気の戦闘民族にあって、内外から特に恐れられたのが『クリュプティア』と呼ばれる特殊部隊である。
彼らは、自然を介して魔法を操る他のパルテナス民とは違い、獣の魂をその身に宿す事で尋常ならざる身体能力を得る秘術を用いて戦場を闊歩した。
ある者はライオンの腕力で敵をなぎ倒し、ある者は山羊の脚力で山岳を駆け上り、ある者は雄牛の突進力で敵陣を突破し、敵を震え上がらせた。
現在のスパルダは内部分裂によって統制力を失い、他のパルテナス都市同様にクロネリア帝国の統治を受けており、高い戦闘力を持つスパルダの民は兵士として重用される事が多い。
コルネリウス将軍に良いように使われる羽目になってしまったクアレスだが、彼もまた貴重なスパルダ出身者にして、特殊部隊クリュプティアの教育を修了し、鷹の目を借りる事のできる非凡な戦士の一人であった。
クアレスはベルトに差した“クシポス”と呼ばれる全長30センチほどの短剣を引き抜くと、左手の親指をプツリと突き刺して秘術を発動させる。
クシポスは軍事訓練を修了した証としてスパルダの全ての成人が授かり、常に身につける事になっている。
戦時にはとどめの一撃を加える為に用い、クリュプティアの秘術においても必須の短剣だ。
「さてと、パティア大使とヘリオン殿はどちらに―――」
人目につかぬよう音もなく灌木に飛び乗ったクアレスは大空を舞う鷹の目を借りて、高高度から市内を俯瞰する。
しばらく旋回を繰り返して辺りを観察すると、数十名からの群衆と揉み合いになっている高貴な美女と赤毛の巨漢の二人組を発見した。
「お二人とも目立つからなぁ―――」
厳しい訓練を受けて育ち、兵として自制する事が当たり前の生活を送るクアレスから見れば、あの二人は見た目も性格も振る舞いも自己主張が強過ぎる。
地位も名誉もある美女と話題の元奴隷剣闘士の組み合わせは、平時ならば誰もが羨むカップルだが、市民と奴隷がいがみ合うこの状況下では刺激が強すぎたようだ。
大使の装身具を剥ぎ取ろうとする手が四方から伸び、ヘリオンがそれを叩けば、人影から石が飛んでくる。
ヘリオンは大使を守りつつ、殴りつける相手を殺さないよう加減しているようだがおそらく時間の問題だろう。
「大使を助けないとリヴィアス様から後で何を言われるか知れたものじゃないな」
気の利く者ほど苦労が絶えないのはいつの世も同じだ。
クアレスは、はあぁ……と深く重たいため息を一つ吐き出すと、灌木から飛び降りて脱兎の如く駆け出した。
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「あんた! 剣闘士なのに貴族の味方をするのかい?!」
「俺たちから搾り取った金で贅沢しやがって!」
「この姉ちゃんずいぶんな美形だぞ、剥いてやれ!」
パティアの肩に手をかけたスケベじじいには少し強めに拳を叩きこみ、吹き飛ばす。
「ぶへぇっ!」
と叫び声をあげて不埒者は後方に吹っ飛んだが、後から後から無数の手が伸びてきて収まりがつかない。
(とんでもない騒ぎになったなぁ。昔、姉ちゃんと深夜に見たゾンビ映画みたいだ。おっと、殺さないように気をつけないと)
彼らはスパルタクスの反乱軍ではない。
奴隷と市民のちょっとした諍いから緊張の糸が切れてしまった暴徒である。その証拠に彼らは武器を所持していない。
そんな彼らの前を、見目麗しいパティアがウキウキで通りがかってしまった結果、ヘリオンのでかい図体と相まって、格好の目標にされてしまったのだ。
「皆さん落ち着いて! ヘリオン様! き、きりが無いようですけど……キャアッ!」
ヘリオンの腰に強く抱きついているパティアの後ろ髪を、不意に伸びてきた手がグイと掴んだ。
「こんのっ!」
掴んだ手を殴りつけてパティアの髪が引っ張られては大変だ。相手の前腕を掴んで思い切り握りつぶしてやるとギャアッと悲鳴が漏れた。
折れてしまったかもしれないが自業自得だ。
とはいえ、このままでは埒が明かない。
市民を皆殺しにするわけにはいかないし、すっかり取り囲まれてしまっていて逃げるのも容易ではなさそうだ。
「スクロールの一つも持ってきていればよかったかな……」
匠は以前、天空と雷を司る竜サンダーの加護を受けたマジックスクロールを使って、落雷と竜巻を起こした事がある。
それほどの大魔法で無くとも、この場で使えたら窮地を抜け出す事ができただろう。
そんな事を考えていた矢先、人垣の奥から珍妙な叫びが立て続けに飛び込んできた。
「誰だ! 俺の腰ひもを切ったのは!」
「俺のサーキュラ(革袋状の財布、腰ひもに結び携帯していた)が無い!」
「スリだ! スリがいるぞ!」
人々は突然の騒ぎに騒然となり、二人にたいする暴行を忘れてお互いの顔を見合わせて動きを止めた。
皆が慌てて腰ひもと財布を確認していると、今度は無数のセステリウス青銅貨が上空に投げられ、皆の頭上へと降り注ぐ。
「おい! 金が降ってきたぞ?!」
「拾え! 拾え!」
「おどき! これは私が先に見つけたんだよ!」
怒号から歓喜の絶叫へと目まぐるしく移り変わる群衆に唖然とする二人であったが、聞き覚えのある声がヘリオンの耳に届いた。
「お二人とも、身をかがめてこちらへ!」
クアレスの手招きに従って、こそこそと人混みをかき分けていく内、無事に人気の無い路地へと脱出する事ができた。
「クアレス本当に助かった。ありがとう」
「クアレス殿の機転、お見事でしたわ。危ないところを助けていただき感謝いたします」
殺気だった集団というのは、武装していない市民でもかなり恐ろしい。
パティアの安全を考えれば、もっと自重すべきであったと反省を踏まえて、匠は謝意を示した。
「失礼ですがお二人とも目立ちすぎです。このような状況下に動き回るのであればもう少し考えていただかないと……」
眉間に皺をよせたクアレスは控えめに苦言を呈して、懐からボロ布を2枚取り出す。
「恐縮ですが大使の御髪は格好の標的となりましょう。こちらを被り、お隠しください」
確かにパティアの美しいブロンドは非常に人目を引く。いつもは結い上げて巻いているのだが、先ほどの暴徒に髪を引っ張られ、ほどけてしまっているのでなおさらだ。
クロネリアの人々の頭髪は主に黒、栗色がほとんどで、ブロンドの多いパルテナス人にたいして強い憧れがあった。
このまま再び暴徒に襲われれば、パティアの髪が全て毟られてしまうかもしれない。
さすがにそれは避けなくてはならない。
クアレスから差し出されたボロ布を一目見るなりパティアはサッと目を逸らした。
アグレッシブなところはあるが彼女は貴族。
衛生面か美的感覚かはわからないが、どうやらお気に召さなかったらしい……
機敏で天真爛漫な彼女にしては珍しく、反応が悪い。
「大使、このような物で申し訳ありませんが、今のままではまた襲われかねません。目立たぬ様に変装していただく必要があります」
焦れたクアレスがパティアに迫る。
彼女は上位者であり、警護対象である。
彼女の同意を得なければ行動できない。
「変装ですか……確かにそうですね」
「はい」
パティアはしばらく悩んでいたが、ハッとして態度を貴族然としたものに変え、悠然とクアレスに告げた。
「そのような布切れひとつ纏ったところで衆目をごまかせる物ではありません。
衣服を変え、髪を隠し、所作を変えて庶民となり、人々に紛れる事にいたしましょう!」
毅然とした態度でパティアは踵を返し、中古の服屋を目指して歩き出す。
「変装なんてワクワクしますわね。フフフ……」
という大使の囁きをクアレスは聞き逃さなかったが、決定権は大使のものだ。
クアレスは痛む胃を抑えながら、トボトボと二人の後に続くのであった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は1月12日(月曜)です。
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