11話 監察官クリニアスの戦い
「罪咎を問うというならば正式な裁判を行うべきです!」
監察官クリニアスは煮えたぎる感情を押し隠し、努めて誠実な答弁を心がけていた。
だが真摯なクリニアスの発言に心動かされる者はここにはいない。
なにせ、ここは敵地である。
元老院議会はスパルタクスの乱の初動において、独自に3千の兵を2度出兵させ、共に全滅させるという大失態を犯した。
彼らはその責任を擦り付ける為、リヴィアス議員を反乱の扇動者として断罪しようとしている。
僚友であるリヴィアスの身柄が拘束された事を知った監察官クリニアスは、裁判を見越して情報を集めていたが、裁判に関するアドバイザーとして唐突に元老院からの呼び出しを受けたのである。
どうやら連中は、公会堂での公正な裁判ではなく内々の処分をお望みらしい。
元老院議員の重鎮シディウス・ウルタス伯は、リヴィアスとクリニアスの主人であるクラウディ公の政敵だ。シディウス伯の息のかかった議員達からの度重なる妨害にクリニアスは辟易していた。
「いえいえ、監察官殿。ここで正式に裁こうという訳ではありません。ただね、我々はリヴィアス議員が強力な私兵を収集していたのは反乱の準備に他ならないだろうと。
このような大事を聴衆の耳にいれるのは、いささか不都合ではないかと問いたかったのですよ」
不都合なのはお前達にとってだろうに―――
クリニアスは心中で毒を吐き、誠実に見えるよう表情を取り繕う。
「クロネリア帝国には、古に制定された十二表法にさえ裁判の義務と権利が第一表に記されております。貴公はクロネリア市民の尊厳を蔑ろにされるおつもりか?」
「そんな大げさな! クリニアス殿、抑えて抑えて。我らは市民の代表として、あくまで市政が混乱せぬようにしたいだけなのです」
元老院議員というのは、市民(主に貴族)の意見を代弁するために選出された氏族長で現在は500名ほどの席がある。
クロネリア帝国が共和制の時分には国家の大事を決定する強大な機関であったが、帝政に移って以降は大きく力を落とし、皇帝を始めとしたインペリウム(強大な指揮権)を持つ権力者にたいして提言を行う事が主たる名目となっていた。
「市内をご覧になりましたか? 既に混乱をきたしておりますよ」
つい、冷笑を浮かべて反問したクリニアスだったが心の中で反省する。
(こいつらに嫌味を返した所で意味はない。今やらなくてはならないのは、リヴィアスの命を少しでも永らえさせ、公衆の裁判に持ち込む事だ)
「市内を落ち着かせたいと切に願うのであれば、ここは幾千の精強な兵を整列させ、将軍閣下がクロネリア帝国の武威をお示しになるのが一番かと具申いたします」
まばらではあったがクリニアスの提言に初めて賛同の拍手が送られる。
そう、議員というのはえてして武威を誇示したがるものだし、兵を並べるのも大好きだ。
「リヴィアス議員の罪を問いたいという事であれば、騒乱が落ち着き次第、不肖クリニアス・スキピアが公衆の面前で、かの者の罪を暴いてみせましょう!いかが?」
少々芝居がかった物言いに我ながら呆れてしまうが、釣り針は大きいほうがいいだろう。
懐柔された風を装って時間を稼ぐのだ。
クリニアスの発案は功を奏し、先ほどよりも多くの賛同を得る事ができた。
「クリニアス殿が我らの味方となって頂けるならこんなに心強い事はない!」
「出陣式は盛大にやらなくてはなりますまい。楽しみですなぁ」
「クリニアス殿をシディウス伯の酒宴にお招きいたしませんと」
面倒な議題にようやく決着の目処がついたと、場の空気が弛緩し始めたその時。
カツコツカツ……
席上の奥から杖をついた一人の老爺が、壇上のクリニアスに向かって悠然と歩みよってきた。
老爺の名はシディウス・ウルタス伯。
元老院議員の最重鎮にして、最大派閥シディウス伯派の長。
齢は70。やせ細り腰は曲がっているが、眼光鋭く、その存在感は別格である。
彼が眉一つ動かすだけで喧騒が静まり、皆が押し黙って彼に注目し、媚びへつらう。
これは予想以上の大物が釣れてしまったようだ―――
「クリニアス殿、話は聞かせてもらった。かの者の罪を暴く側となって出廷されるとか。間違いないな?」
しわがれた声だが不思議とよく通る。
決して厳しい下問ではないはずなのだが心臓を掴まれて尋問されているような気分にさせられる。
「はっ、間違いありません」
リヴィアスを擁護する側でなくとも裁判に持ち込む事さえできれば悪くない。
真実は友の味方なのだから。
――――大丈夫、これでいいのだ。
そう自分に言い聞かせるものの、シディウス伯と対峙していると、悪魔と契約を交わしてしまったのではないかとクリニアスの胸中は不安ばかり募って仕方がない。
クリニアスの不安を感じ取り、フッとシディウス伯は張り詰めた空気を緩めて口元に笑みをたたえた。
「余を恐れる必要はない。貴公は余の味方なのだからな」
その声はまるで孫をあやすように優しい。
シディウスから味方だと宣言され心底から安堵したクリニアスだったが、ほんの一言二言交わしただけで恐怖から逃れ、感謝の念まで抱いてしまった事実に戦慄を覚えて背筋に冷たい汗が流れた。
「我らの心強い味方となった貴公に余の友人を紹介しておこう」
シディウスがチラと目を動かした先、緊張の面持ちで男が立ち上がった。
30代中盤、たるんだ顎と媚びるような表情が印象的なこの男。リヴィアスの仇敵、オクタヴィアス・アウロ議員だ。
「今から二ヶ月ほど前、今般の反乱の出所であるコピルの町で、リヴィアス殿が反乱を煽る演説をしていたと訴えたのはこちらのアウロ議員でな。見たのであろう?」
「は、はいっ! 確かに見ました。私めは下位剣闘士どもの管理官という職分を戴いておりますので、職務に忠実たろうと見どころのある闘士候補を探しておりました。
コピルは小規模ながら剣闘の盛んな土地。私めが熱心に町の広場で奴隷商人と話していたところに……
なんと、小闘技場の管理をされているはずのリヴィアス殿が嬉々として、聞くに堪えない帝国の罵詈雑言を高々と喧伝しているではありませんか!」
自身の忠勤さを誇示する冗長なアウロの説明こそ聞くに堪えないが、確認しておかなくてはいけない事がある。
「リヴィアス議員はなかなかにお忙しいお方。コピアはクロネリア市から遠く200キロも離れておりますが、見間違いという事はありませんか?」
「失敬な! そのような事はございません。私だけでなく多くの聴衆が、かの者の口汚く罵るような演説を目と耳で確認しております!」
他にも目撃者がいるという事は、全くの言いがかりではないのか―――
リヴィアスは多忙な上にマメな男だ。
遠方へ赴く際には上司であるクラウディ公、共に大事を担う自分に伝えないはずがない。
これは魔法の類なのか?
思考を巡らせてはみたが、クリニアスは国務、法務に携わる官吏であって魔法の専門家ではない。
埒外と早々に断じて思考を中断した。
(元老院の懐に入る事になったが、反乱が鎮圧されるまでリヴィアスの命を繋ぎ止める事はできた。超常の事であれば、その道の者に任せればよい。
あとはどうやってリヴィアスの無実を証明するかだな……)
この状況にひとまず満足したクリニアスは、喚き立てるアウロ議員の言説を肯定し、真摯な態度を周囲に見せつけるように何度も頷いた。
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