10話 剣闘士の値段 後編
リヴィアス議員とのパトロヌス契約金1万セステ。
5連戦の報奨金5000セステ。
5連戦でのチップ3000セステ。
これがヘリオンこと川背匠の直近の収入である。
そこから慰労会に祝勝会、お世話になった人々へのお礼の品等の支払いを行い、現在の貯金額は約12000セステ(約360万円)となっている。
生活資金を一気に稼ぐ事。
さらには有名になる事で筆頭剣闘士への階段を段抜かしで登ろうとした匠の目論見はある程度成功した。
唯一、匠にとって計算外だったのは、圧倒的すぎる試合内容故に5連戦以降、ヘリオンが参加できる外部との試合が一切無くなってしまった点だ。
筆頭剣闘士ヴィクトリウス・アルティウムや魔獣闘士カサンドラといった、ヘリオンに勝るとも劣らない超級の闘士も存在するが彼らは上位闘士。
下位闘士とは確たる線引き、格差があり、報奨金を始めとして試合会場さえ違う。
下位闘士のヘリオンを相手にしても上位闘士は勝っても負けても利がないために、試合を組んではもらえなかった。
この財政状況で警備の為に1万セステ。
なかなか苦しい選択になりそうだが市内全体が緊張に張り詰め、町の皆が不安がっている事を勘案すれば、護衛が務まる人材の価値は今後さらに高騰するだろう。
(今が買い時か? いや、むしろ俺がティミドゥスを買えるのは今だけなのかもしれない。残額2000セステでどれくらい暮らせるんだ?)
以前公衆浴場で教えてもらったゴズウェルの言葉を思い出す。
「一人暮らしで奴隷を一人養い、中の下の暮らしをするなら年間で6000セステくらいかかるな」
確かそんな風に言っていたはずだ。
家賃は半年分払い込んであるから、追い出される心配はないだろう。
側仕えのオドリーと護衛のティミドゥス、ペットのトカゲのおはぎ。
家族三人と一匹で2000セステなら三カ月程度は問題ないと匠は予想した。
(いざとなったら、訓練所かカルギス家からスープを分けてもらおう。それにしてもこんなに貧乏な俺に買われてティミドゥスはガッカリしないかなぁ……)
ティミドゥスには懐事情を黙っておこう。
そう思い定めて匠は一気に、ティミドゥスの売買契約書に筆を走らせた。
「ヘリオン様。今この時より、ティミドゥスの主人は貴方です。訓練所から引き上げさせても構いませんし、剣闘士を辞めさせても構いません」
日頃の付き合いと商談は別物。
きっちりした性格のトリトスらしく、この席においてはヘリオンを様付けで呼ぶ事にしたようだ。
「ありがとうございます。ティミドゥスは自宅の住みこみにして、自宅の警備を中心に働いてもらおうと考えています」
「剣闘士は辞めさせるのですか?」
トリトスの視線が鋭くなる。
ティミドゥスはようやく軌道に乗り始めた売れっ子の卵だ。気になるのだろう。
「今回の騒ぎが落ち着いた頃に、通いの闘士として使ってもらう事はできますか?」
トリトスは一瞬、驚いたような表情を見せたがすぐに取り繕って笑顔を返した。
「それはこちらとしてもありがたい申し出です。その際には通いの下位闘士という扱いで登録し直しましょう」
ティミドゥスの売買契約書、ティミドゥスが剣闘士として復帰する際の待遇等を約束した書状を交わし終えたタイミングで訓練士から声がかけられた。
「トリトス様、闘士ティミドゥスの受け渡し準備が整いました」
「ありがとう。ブルトゥス訓練所の名誉に関わる事です。ちゃんと身綺麗にしてありますね?」
「はっ!もちろんです」
「ヘリオン様、今から連れていきますか?」
そう問われて、匠はしばし逡巡する。
オドリーの場合は元の主人から酷い目に遭わされていた事もあり言葉にこそしなかったが、
「こんな所に置いておけるか! 今すぐ連れて帰る! オドリーはもう、うちの子です!」
当時はそれくらいの気持ちだった。
それに比してティミドゥスのいるブルトゥス訓練所は安心安全。
リヴィアスを助けるため、コルネリウス将軍に会いに行く道すがらという事もあり、これ以上の寄り道はよろしくない―――
ティミドゥスは幸い、わが家も知っているし、オドリーや隣家のマンティさんとの面識もある。
ならば、直接向かってもらうのが効率的だ。
「いえ、ティミドゥスには一人で私の自宅に赴き、家内を任せているオドリーへ挨拶を済ませ、その後に隣家のマンティさんから一通りの礼儀作法を教わるよう伝えてください。
こちらから二人宛に伝書鳩を飛ばしておきます」
「かしこまりました。そういえばお急ぎでしたね。大使をあまり待たせるわけにもいきません。
ティミドゥスの手配はそのように計らっておきましょう」
滞りなく契約を済ませてヘリオンがそそくさと退席するのを見送った後、トリトスはふうっと一つため息をついた。
「既知とはいえ、買ったばかりの奴隷を一人で帰宅させるとはまた豪放というか楽天的というか……」
一人になった奴隷が逃げ出す心配など片隅にもないのだろう。
ヘリオンは超が付く一流の剣闘士だが、常識というものが抜け落ちている。
ティミドゥスの値段交渉にしてもそうだ。
10000セステというのはもちろん適正な範囲内の価格ではあるが、仮にトリトスがティミドゥスを購入しようとしたなら6000セステまでは交渉しただろう。
「とかく、一流というのはそういう物なのかも知れませんが……振り回される凡人は肩がこっていけない。少し儲けさせてもらっても構わないでしょう」
トリトスは一人ごちた後、ごきりと肩を回した。
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