03話 リヴィアスの受難
帝都クロネリア西部、高級住宅地区。
そこは全クロネリア市民の一割程度しか住む事のできない“ドムス”と呼ばれる低層の豪奢な屋敷が立ち並ぶ地域。
日が落ち始め、皆が仕事を終えてテルマエ(公衆浴場)で汗を流し、今晩の夕飯は何にしようかと考える頃合いに、その男は住宅街の植栽の影に身を潜めていた。
元老院議員タルカス・リヴィアス・トピカ卿の専属護衛『クアレス』
かつて、防衛の才人と称された智将コルネリウス将軍の元で二度の戦争に従事。
斥候や陽動等の難しい任務を専門にあたっていた彼は、その腕を買われてリヴィアス議員の私兵として雇われる事となった。
彼の雇い主であるリヴィアスは優秀にして優美、そのうえ、ユーモアの持ち主でもある。
数ヶ月前だろうか、主人のお気に入りである剣闘士の奴隷のお嬢さんを護衛せよ。
などという任務を与えられた時には、あまりに突拍子もなく愉快で、声を出して笑ってしまったものだ。
尊敬できる最高の主人と穏やかな同僚達。
クアレスの再就職は成功し、順風に数年の時を重ね、彼は満足していた。
その主人が今、かつてない窮地に立たされている。
「リヴィアス様をお救いしなければ……」
数刻前、クアレスはリヴィアス邸の執務室に主人から呼び出された。
主人であるリヴィアスは中央の執務机に悠然と構え、秘書官のティティオが控えめな様子でクアレスを迎える。
「来たね。クアレス君、緊急事態だ」
言葉とは裏腹に、貴族然として少しも慌てた様子のないリヴィアスにクアレスは好感を持つ。
「リヴィアス様、なにか問題が起きましたか?私でお役に立てればよろしいのですが」
「あぁ、君の実力とツテが必要になった」
「ツテでございますか?」
「今から数時間の後、屋敷が包囲され、私達は軟禁されると思われる」
衝撃的な内容があっさりとリヴィアスの口から放たれ、クアレスは目を丸くした。
「包囲……軟禁?!どういう事です?」
「だから緊急事態だと言っただろう」
このお人は―――
主の豪胆さに呆れつつ、話の続きに耳をそば立てる。
「十数名からなる兵士を引き連れて貴族らしき者がこちらに向かっているという報告が入った」
「リヴィアス様に心当たりが?」
リヴィアスは貴族の生まれで、複数の役職に就く元老院議員だ。金は腐る程持っているし、絶大な権力者でもある。
そんな主人が逮捕される事態をクアレスは想像できなかった。
「あまり時間がないので、かいつまんでの説明になるが……南方で剣闘士達が反乱を起こしたという話は聞いているね。そして私は一応、クロネリア小闘技場の管理官を務めている」
「反乱の責任を問われるので?」
クアレスの問いにリヴィアスは少し悩んでから答えた。
「属州であれば属州長官に責が及ぶ事もあるがコピルの町は直轄地だ。いくらなんでも兵を差し向けられるほどの責ではないだろう」
「では何を理由に」
「そこが読めない。シディウス伯の指図で、動いたのはアウロで間違いないが…」
「邸宅を守りますか?」
主人は相手の素性を確信している。
クアレスは護衛という職務を全うするべく、対応策に話を移した。
「強盗や蛮族相手ならそれでいいが貴族が同行している。元老院か陛下からの書状を持参しているはずだ。つまりこれは、君の嫌いな政治だよ」
ニコリと笑みを浮かべるリヴィアスにクアレスは天を仰いだ。
「では、私はどのように動けばよろしいので?」
戦闘でなければクアレスのできる事はそう多くない。
「そうだな。連中に気づかれる事なく包囲を突破してコルネリウス将軍に、この先に起こる事態の収拾を依頼してほしい」
コルネリウス将軍はクアレスの元上司である。付き合いも長い。それでツテと言われたのか……
「クラウディ公ではなく?」
「公はこの事態をご存知だろう。公がシディウス伯を牽制した上でこぼれ落ちた策なのか。動けないご事情がおありなのかはわからないがね」
政治の事はよくわからない。
早々に切り上げて実務的な話に戻す事にした。
「リヴィアス様をお守りする者のご手配は……」
クアレスの質問にリヴィアスは手を上げて制する。
「私の事は気にしなくてよろしい。武力は不要だ。裁判に持ち込まれるようなら、我が友クリニアスが力を貸してくれるだろう」
「かしこまりました。では急ぎ、出立いたします」
深々と礼をして退室しようとしたクアレスの背中に声がかけられた。
「あぁ、すまない。忘れていた。客分としてお迎えしているパティア大使、私が動けるようになるまで彼女の保護も頼む」
「クロネリア市は大変な目に合うだろうからね。将軍閣下に必ずお伝えしてくれ」
クアレスが退室し、秘書官のティティオに屋敷の差配を任せて一人になると、リヴィアスはふうっと深いため息をついた。
元老院の半数近くを取り込み、皇帝まで籠絡しようとしているシディウス伯派は力を増している。
我が事ではあるが、クラウディ公派の中核を成しているリヴィアスが失脚すれば堰を切ったように天秤は傾くだろう。
今回の反乱を、増大し続ける帝国の欲望にたいする警鐘と捉えるか、侵略戦争を再開する為の慣らしとするかは、自身の安否にかかっている。
政敵の不穏な動きを察して以降、リヴィアスは裁判などで揚げ足を取られないように手紙や書面の記録を残さないようにしていた。
日頃マメなリヴィアスが連絡を絶つ事で、それ自体が分かる者には危険信号として伝わるはずだ。
執務室の窓から、庭先に足を踏み入れてくる兵達の姿を見下ろす。さてと、そろそろ招かれざる客の相手をしてやるか―――
ふと、連絡不精なクリエンテスであるヘリオンを思い出して笑みがこぼれてしまう。
「ヘリオン君は、私が音信不通になった事にも気づかないのだろうな…フフッ」
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次回は12月19日(金曜)です。
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