02話 スパルタクス
現代日本人にも広く知られる古代ローマの英雄スパルタクス。
日本人としての記憶を持つ川背匠は実姉、川背真綾から前世でその名前と偉業を聞かされていた。
初めてその名を聞いたのは小学4年生頃だったろうか。
「――スパルタクスは奴隷解放を求めた第三次奴隷戦争のリーダーよ。
マルクスはこの戦争を『歴史上で唯一正しい戦争』そして彼を『古代史上、最も優秀で高潔な将軍』と評した。後の奴隷制度に大きな影響を与えた英雄ね」
「スパルタクスは強かったの?」
「そうね。反乱軍は十数万まで大きくなってローマ軍を何度も倒したそうだから、強かったのでしょうね」
戦争の話というのは戦争を知らない者にとってロマンの塊だ。歴史が苦手な匠だったが英雄の物語には興味を惹かれた。
「スパルタクスは反乱軍の強い将軍……」
映画やゲームの中でしか知らない英雄物語。それが昔の事とはいえ実在した。
実在の英雄は戦争の後、どうなるのだろう?
お気に入りのRPGのように救い出した姫と恋仲になったり、どこかの王様にでもなるのだろうか?
「姉ちゃん、スパルタクスは最後どうなったの?」
ワクワクしながら再び質問をする匠に、真綾は眉を寄せて少し悩んだ後、衝撃的な内容を口にした。
「アッピア街道という街道沿いに……全員磔にされて殺されたわ」
幼い時分に姉から聞かされた衝撃が鮮明に蘇る。
「――全員磔にされて殺された」
別人という可能性も捨てきれないがスパルタクスの反乱が、現在匠の暮らすクロネリア帝国で起きている…
タイムスリップ?
いやいや、魔法があって竜もいる世界だ。
地球に似た別の惑星とか?
思考の海に沈みかけていた匠だが、ブラック企業で鍛えられた持ち前の場当たり的順応性を発揮してすぐに浮上する。
「起きた事を考えてもしかたないか、問題は……」
どう関わるべきかだ。
剣闘士達による奴隷解放のための反乱。
確かに人道的な偉業だと思う。
ただ、いざ関わりたいか?と問われれば、全く関わりたくはない。
リヴィアスに誘導されたとはいえ、望んで剣闘士となり、実績も積み上げつつあるのだ。
オドリーやカルギス、パティア大使と、既にこの世界で守りたいと思える大切な人達もいる。
匠は全滅するとわかっている反乱に参加する気にはなれなかった。
よし!
ひとまず聞かなかった事にしよう!
200キロも離れた町の話だし!
明日の事は明日考える。
それは先を見据えない愚かな考えかもしれないが、明日の問題を棚上げする代わりに今の手足を動かせるのだ。それはそれで悪くない。
匠は気持ちを切り替え、帰宅の挨拶に管理棟へ足を運ぶのであった。
「連絡がつかない?」
「昨夜と早朝に2度、伝書鳩を飛ばしましたが返信がありません」
「マメなリヴィアス議員にしては、珍しいな」
息子トリトスからの報告に、訝しげな表情で顎を撫でる興行師ダモン。
帝都クロネリアは一見して平静を保っているが情報に精通した者の間では、南の町コピルでの剣闘士達による反乱の噂で持ち切りである。
金のある者は新たに警備兵を雇い入れて警護の増強を図っている。
ダモンもその例に漏れず、元剣闘士を警備兵として雇い、訓練所の守りを固めていた。
この状況下において、闘技場の管理官を務めるリヴィアス議員と連絡がつかないというのは、なかなか不穏な事態といえる。
「ふぅむ、誰かに様子を見にいかせるべきか……」
「失礼します。ヘリオンです」
そんな事を考えていた矢先、リヴィアス議員のクリエンテス(被保護者)が執務室に顔を見せてくれた。
渡りに船とはまさにこの事だ。
「リヴィアスと連絡がつかない?」
「そうなのだ。お前は議員のクリエンテスだろう。直近で連絡を取ったのはいつだ?」
ヘリオンの視線が空を彷徨い、数瞬の間の後にバツが悪そうに口を開く。
「3日くらい前……でしたか…ハハッ」
ダモンは呆れて、はぁと深くため息をつかざるを得なかった。
クロネリア帝国市民にとって、パトロヌス(保護者)とクリエンテス(被保護者)の契約は非常に重い。
クリエンテスは食事や金品を与えられ、主従関係を結ぶ。
クリエンテスは対価を受け取る代わりに、毎朝ご機嫌伺いをして、パトロヌスの求めに応じて情報を流したり、頼み事を聞き受けるのだ。
この慣習は剣闘士だけでなく、町の商人から皇帝に至るまで、クロネリア市民の生活基盤そのものである。
このヘリオンという男は剣闘士として、とてつもない実力と才能を有しているがダモンの目からすると楽観的で連絡不精な点は大きな問題点といえた。
「ハハッ、ではないわ!帰りにリヴィアス議員の様子を伺ってくれ。体調など崩されているかもしれん」
「はぁ……」
「覇気のない返事をするな!必ず伺うようにな」
どうにも乗り気でないヘリオンをひと睨みして、叩き出すように執務室から追い出した。
「ヘリオンさんは個人主義ですからね」
トリトスが苦笑しながらヘリオンを擁護する。
「ザビア訓練士長によれば、出自は北のバーバリアンらしいからな。
都会での習慣に慣れないのはわかるが、剣闘士とて売れっ子になれば一人で生きていくことばできんよ」
「僕達、興行師がしっかり支えてあげないといけませんね」
「奴にはいずれ、筆頭剣闘士の座に就いてもらわねばならんからな。よく見てやってくれ」
「もちろんです。父さん」
やりての興行師親子は、看板闘士の去っていった扉に向け、揃って深いため息をつくのだった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は12月17日(水曜)です。
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