カフェ屋さん!
週刊雑誌一部抜粋
特集:「汐見で一番甘い時間をくれる場所」──
Cafe Lune
日々の喧騒から解き放たれたいと願う人々に、そっと寄り添う隠れ家がある。
その場所の名は《Cafe Lune》。汐見市の海沿いの坂道を上がった先、白い壁と青い窓枠が目印のカフェだ。
平日・休日を問わず全国から客が集まり、SNSでも“奇跡の味”と称されるスイーツとコーヒー。
店内にはさわやかな潮風と、やわらかなカラメルの香りが混じり合い、時間の流れが少しだけゆるやかになる。
看板メニューは「月影ブレンド」と「甘露カヌレ」
月影ブレンドは、焦がしナッツとベリーの香りがわずかに混じる、深くまろやかなコーヒー。
一口目のあと、喉の奥に残るほのかな甘味がクセになる。
そしてセットで供されるのが、「甘露カヌレ」。
表面はパリッと香ばしく、中はとろけるように柔らかい。リピーターの多くはこれを目当てに通っているという。
「うちの子たちは素材で喋るから、余計なことは言わなくていいの。黙って食べて、飲んで、幸せになってくれたらそれでいいのよ」
そう語るのは、店長の姫野ルイさん。
可愛らしいな容姿と愛らしい仕草、ウィットに富んだ会話で訪れた人々を魅了する、まさに看板娘──もとい、看板男子である(※男性です)。
店の奥に立つその姿はまるで絵画のようで、訪れる客のなかには姫野さんを一目見たくて足を運ぶ“推し活”組も多い。
不思議な居心地のよさ、店内に流れる“異世界”の空気
Cafe Luneが他と違うのは、その空間の“質”にもある。
どこか現実から切り離されたような静けさと、夢の中のような色彩感覚。
編集部スタッフは「ここだけ時間が止まってるみたいだった」と語っていた。
「よく言われるけど、たぶんそれは私がそう願ってるからよ。せめてこの空間だけは、誰にも邪魔されず、ゆるやかで甘くあってほしいって。あ、でもほんとに止まってるわけじゃないから安心して。コーヒーはちゃんと淹れてるから」
そう言ってウィンクしながら笑う姫野さんの声もまた、どこか非現実的に耳に残る。
だが、目の前にいるのは確かに“人間”で、“この世”の店長である(※繰り返しますが、男性です)。
ファンの声:
「コーヒーで泣けたのはここが初めて」
「姫野さんの声、マジで脳に染み込む」
「何がやばいって、ちゃんと男なんだよね……」
「言葉じゃ表現できない、ってことを教えてくれる店」
「※男です。五回目だけどマジで男です。最高」
⸻
Cafe Luneは今日も営業中。
この取材記事を読んでいるあなたも、ぜひ一度足を運んでみてほしい。
ただし一つだけ忘れないように。
姫野ルイさんは男性です。(※ほんとうに)
⸻
* * *
「これ見せたかったの♡」
姫野がリュックから一冊の雑誌を引っ張り出してきた。表紙にはカフェラテと焼きたてスコーンの写真。そして、中央にでかでかとこう書かれている。
『全国で話題沸騰! 一度は行きたい人気カフェ特集』
「……まさかとは思うけど」
「はいこれ、ページ二十六〜三十三までがうちのお店! すごいでしょ?」
姫野がページを開いて見せてくる。そこには、店内のインテリアや、スタッフとの笑顔のツーショット、そして看板メニューの「ルイ特製ブレンドコーヒー」の紹介が載っていた。
どれも美しく、写真映えしていた。確かにカフェとしての完成度は高い。客足が絶えないのも頷ける。
「また誤解されてんのか?」
「さっすがハルくん、話が早い!」
誌面の隅には、申し訳程度の小さなフォントでこう書かれていた。
『※なお、店長の姫野ルイ氏は男性です』
『※男性です(編集部確認済み)』
『※男の娘です(本人公認)』
何度も、場所を変えて、しつこいくらいに注釈されている。
「相変わらず間違われんだな」
「ふふん♪ そこがいいんじゃないの! てか編集部、ちょっと過剰に書きすぎじゃない?」
「過剰っていうか、実際初見じゃ絶対女に見えるし」
「でしょ? やっぱ幻想系男子って最強だと思うのよね〜」
「なんだよ幻想系男子って」
坂の途中で立ち止まり、肩をすくめる。姫野は満足げに笑って、隣にぴったりと寄り添った。
「というわけで、今日は晴臣にこれを読ませたくてついてきました。はい、おみやげ♡」
雑誌を無理やり僕の胸元に押しつけると、どこからか取り出した紅茶味のキャンディまでつけてきた。
「……お前、ほんと自由だな」
「ありがと〜♡ それ、褒め言葉として受け取るねっ」
結局、また今日も振り回されてる。
でもまあ、こいつに関しては、いまさら驚くことでもない。
いつもの坂道を、姫野と並んで歩く。
西日に照らされて、二人分の影が細長く伸びている。
「それにしても、このページのアングル、ほんとに映えてるでしょ? もっと大きく載っててもよかったんだけどな〜。まあ編集の好みもあるしね!」
姫野は雑誌のページを指でなぞりながら、鼻を高くして自画自賛していた。俺はといえばそれを適当に受け流しながら、自宅のアパートに向かっていた。
「また話題になるだろ」
「うふふ、待ち遠しいな♡」
そして――アパートの角を曲がろうとした、その時。
姫野がピタリと足を止めた。
「……は?」
振り返ると、彼女――いや、彼は、信じられないものでも見たように男性らしい低い声を出し目を見開き、じわじわと額に冷や汗を浮かべている。さっきまでの余裕ある笑みはすっかり消え、どこか怯えたような表情だ。
「……ごめん、ハルくん。今日はここまで。またカフェでね!」
「え? おい、ちょっ――」
制止する間もなく、姫野はくるりと踵を返し、ほとんど逃げるようにして坂道を駆け下りていった。
取り残された俺は、手にしたシオマートの袋を持ち直しながら、ぽかんとその背中を見送る。
「……トイレ我慢してたのか?」
我ながらとんちんかんな推理に、ひとりで苦笑する。
ま、そういう日もあるだろう。あの姫野ならなぜかその可能性も否定できない。
そうやって再び歩き出した俺の目の前に、ひとりの女性が現れた。
「やあ、晴臣くん」
「あ、管理人さん」
そこにいたのは、俺が住むアパートの管理人……幽谷カミエさんだった。
しっとりとした黒髪に、ライダースジャケット。服装に反して柔らかな笑みを浮かべている彼女は――どう見ても三十代前半。だけど、実際の年齢は七十を超えている。この街ではもう驚かない。
「お元気そうで、なによりです」
「ありがとう。君も相変わらずね。変なものを連れてきたり、騒動を起こしたり……」
笑いながら、どこか見透かすような目で僕を見つめてくる。その視線には慣れているはずなのに、どこか背筋がしゃんと伸びる。
「ま、まぁ……いつも通りですよ。課長にはまた怒られましたけど」
「ふふ。変わらないわね」
にこり、とカミエさんは微笑む。
その姿は、やはりお孫さんものに似ている気もする。
こうして世間話を交わしながら、俺たちはアパートの敷地へと入っていく。
あのとき姫野が怯えたのは、この人がいたからだろうか?
確かに……この人が相手なら、姫野のあの逃げ足にも納得がいく気がする。
カミエさんはただ、静かに笑っている。
その笑みの奥に何があるのか――僕には、まだ知らされていない。