朝の時間!
朝の日差しがじわりと照りつける中、晴臣は街を歩いていた。
通りを行き交う人々は笑い、店先には活気が戻っている。
自転車に乗る学生たち、買い物袋を抱えた主婦たち、
誰もが「日常」を取り戻したかのように――
いや、最初から何事もなかったかのように、平然としていた。
昨夜のあの惨劇。
人々が道具を手に押し寄せたあの光景が、まるで幻だったかのように思える。
晴臣は目の前の現実に困惑しながらも、生活課のある市庁舎へ足を運んだ。
中に入っても、変わった様子はまるでない。
いつも通り、のんびりとした空気が漂い、
机に向かう職員たちはパソコンを叩き、書類をめくっている。
「おはよう、晴臣くん。今日もよろしくね」
軽い会釈と共に声をかけられ、晴臣も反射的に挨拶を返す。
「……おはようございます」
ただ、言葉とは裏腹に、胸の奥には拭えない違和感が渦巻いていた。
(――昨日、隕石が落ちて、あんなことになったのに……誰も気にもしてない?)
それでも今は、気にする素振りを見せない方が良いと直感が告げていた。
「じゃあ、今日は例の畑の方お願いねー」
「雑草がすごいって連絡きてたから、がんばってー」
そんな軽い指示を受け、晴臣は作業道具を手に庁舎を後にする。
市の郊外、ぽつんとある市営の畑。
晴臣が到着すると、すでに何人かの老人たちが彼を出迎えていた。
「おお、晴臣くん来てくれたか」
「いやぁ、この陽気でまた草が元気でねぇ……」
「助かるよぉ、ほんとに」
にこにこと笑う老人たち。
作業着に身を包み、麦わら帽をかぶっているその姿に、昨夜のような狂気はどこにもなかった。
穏やかで、のどかで――
むしろ、穏やかすぎるほどに静かな光景。
晴臣は道具を握る手にわずかに力を込めながら、微笑を返した。
「……はい。今日はよろしくお願いします。」
その言葉の裏にあったのは、“何かを確かめたい”という小さな決意だった。
* * *
畑には、草の匂いと湿った土の匂いが混ざり合い、夏の空気に立ちのぼっていた。
しゃがみ込んで草を引き抜いていた晴臣の背後から、どこか陽気な声が響いた。
「おーい、助っ人が来たぞぉ~!」
顔を上げると、数人の老人たちが手を振っている。
その視線の先から、ゆっくりと歩いてくる一人の人物。
麦わら帽をかぶり、農作業着に身を包んだ小柄な老婆。
その顔を見た瞬間、晴臣の心臓がひとつ、大きく跳ねた。
――昨夜、ピッチフォークを手に「よこせ」と繰り返しながら襲いかかってきた、あの老婆だった。
血走った目、泡立つ口、狂気に満ちた声と振る舞い――
今はどこにもその痕跡はなく、老婆はにこにこと笑みを浮かべていた。
「今日はこの腰でもうひと踏ん張りじゃよ~、晴臣くんも来とるんじゃろ?」
「おばあちゃん、無理しちゃだめよぉ~」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。あんたらが来てくれると、わしもやる気が出るわい」
周囲の老人たちも手を叩いて歓迎し、笑い合っている。
それは“ほのぼのとした農作業の一幕”にしか見えなかった。
だが晴臣は、ひとりだけその場に溶け込めないまま立ち尽くしていた。
――なぜ、あの老婆が……
――何もなかったような顔で、ここに?
握っていた草取り鎌を少しだけ強く握る。
老婆はまっすぐこちらを見ないまま、隣の畝に腰を下ろし、草を抜き始めた。
その様子に不自然さはなく、むしろ“いつもの”作業風景に溶け込んでいるようですらある。
晴臣は黙って作業を再開した。
だが、視界の端には常にその老婆の姿を置いたまま、目の奥にうっすらと疼く恐怖を押し込めていた。
(本当に……何だったんだ、昨日は……?)
風が吹き抜け、畑の葉がそよそよと揺れる。




