救出!
「くそ、やっぱり抑えられな──」
ナタを構えた男とフォークを持った老婆が間合いを詰めたその瞬間だった。
「どわー」
気の抜けた、間延びした声と共に、箒が横から飛んできた。
まるで紙飛行機のような無駄に優雅な軌道で男の顔面を直撃し
「ぶがっ」
情けない声と共に、男はバランスを崩し数歩後退する。
晴臣が戸惑う間に──
「とりゃー」
どこか気の抜けた掛け声と共に、今度は老婆の上半身に絡みつくロープが走る。
ロープの先を握っていたのは──同じ顔の、あの店員だった。
「え……?」
「こっちですよー、お兄さんー」
振り向けばもう一人の“同じ顔”が、手招きしていた。
シオップで見慣れた制服。間延びした口調。微妙に無表情な愛想笑い。
「晴臣さんー、ここはですねー、ちょっと無理したんですけどー」
「なんとかですねー、出てきてみましたー」
そう言って、二人は晴臣の脇を軽々と抱えるようにして持ち上げ、
ロープに繋がれた老婆と、まだ顔を押さえる男性を背にしながら、商店街の奥へと引きずるように連れていく。
「シオップ、避難用にですねー、地味に防犯訓練してるんですよー」
「いま使いましたー。たのしかったですー」
意味があるのかないのか、よくわからない言葉を交わしながら、
二人はやたら息の合った動きで晴臣を引き連れていく。
(どうして……外に……)
驚きと安堵と、腕の痛みとがごちゃ混ぜになった頭の中で、晴臣は彼女らを見つめていた。
“シオップ”と“シオマート”の店員たちは、基本的に自分の店の外には出られない──それがルールだ。
実際、これまでにも客と共に店外へ出ているところを見たことはなかった。
晴臣の背中を支える彼女らの手は、なぜか微妙に震えている。
まるで──見えない何かに引っ張られているような。
まるで──臍の緒で繋がれているように。
「これでもですねー、結構無理してまーすのでー」
「はやく店にー、入りましょうねー」
彼女らの声が妙に遠くなる。
重力が、少しだけ強くなったような感覚。
彼女らはこの世界に留まること自体が不自然な存在なのだと、晴臣はようやく気づく。
でも──それでも。
この瞬間ばかりは、助かった。
無機質で間延びした声が、こんなにも温かく感じられることがあるのだと──
晴臣は、血に濡れた左腕を抱えながら、シオップの明かりへと運ばれていった。
シオップの自動ドアが、ゆっくりと、まるで眠気に負けるように開いた。
「お、お兄さんー、着きまし……たー……」
「ここでー……セーフ、でーすねー……」
晴臣の両脇を抱えるように支えていた二人の店員が、ドアの内側へと足を踏み入れたその瞬間──
ばたんっ
ほぼ同時に、左右から脱力するように倒れ込んだ。
「お、おい、大丈夫かっ!」
床に膝をつき、晴臣は必死に二人を揺する。
呼吸はある。脈も取れる。だが意識はない。
「お客様ー、心配ご無用ですー」
そのとき、背後からまたしてもそっくりな顔の店員が、のほほんと現れた。
トレイの上には救急箱らしきものと、何本かの不自然に太いストローが載っている。
「充電中ですねー。すごーいがんばりましたー」
「じゅ……充電?」
「はいー、簡単にいうとわたしたち、あっち出るとバッテリーごりごり減るんですー。でもー、寝たらすぐ元気なのでー」
にっこりと、マニュアルに書かれたような角度の笑顔を浮かべるその店員に、晴臣は返す言葉を失った。
「ではー、怪我の手当てしますのでー、こちらへどーぞー」
そのまま導かれるまま、「従業員専用」と書かれたドアの奥へ連れて行かれる。
「助かります…」
「大丈夫ですよー、お兄さん、関係者みたいなもんですからー」
「関係者?」
「うふふー、それはー、秘密ですー」
意味のわからないやり取りに混乱しながらも、
晴臣は、どこか空気が温かいその部屋へと足を踏み入れる。
扉が閉まったその向こう。
倒れた二人の店員の胸元の光が、じんわりと明滅を繰り返していた──まるで、ゆっくりと呼吸するかのように。
そして、何事もなかったかのように。
シオップの店内は、再び、
奇妙な日常のリズムを取り戻していた。
* * *
「っつ……」
軋むような痛みが左腕に走る。
シオップの従業員ルーム。そこは妙に清潔で無機質な空間だった。壁は白、棚も白、シーツも白――なのに、どこか“人の匂い”がしない。
無菌的な、無感情な空気。
その中で、淡々と、しかし丁寧に傷の処置をする店員。
「血は止まりましたねー。あとはー、バンソーコー貼ればだいぶマシになると思いますー」
「……バンソーコーで済むのか」
晴臣は苦笑しながら、左腕の包帯に目を落とす。腕の深手はなんとか塞がったが、その前に攻撃に気づけなかった自分の反応の遅さが悔しかった。
(母さんに言われた通りだ……)
“あれほど戦いの最中に止まるなと言ったわよ”
その忠告が、嫌というほど身に染みる。
すると、「ギィ……」という静かな金属音が空気を割いた。部屋の奥、普通なら見ることもないであろう扉が開いた。
「店長扉」――と、そう記されている。
そこから現れたのは……やはり、同じ顔の女性。
けれど、他の店員とは違っていた。
「無事そうでよかったですー」
静かに、しかしはっきりとした声。まるで別人のような芯のある言葉に、晴臣は一瞬戸惑った。だがその口調に感じた温もりに、自然と背筋を伸ばす。
「助かりました、本当に。……あのままじゃ、どっちも不味かったので」
「礼には及びませんー。店員たちを外へ出してまでお連れしたのはー、わたしの判断ですー。」
その目が静かに伏せられる。責任感――それは、他の店員たちにはない、人間らしい感情だった。
晴臣は軽く頷いたあと、苦笑交じりに口を開く。
「それで聞きたいんですが。この“異常”、なんか心当たりありますか? さっきのナタ持った男とか、ピッチフォークの老婆とか……」
店長は一瞬だけ目を伏せた。そして、軽く首を横に振る。
「申し訳ありませんー。わたしにも店のネットワークにも何の記録も“前例”もありませんー。」
「“前例”……?」
「わたしたちは記録を重んじますー。全ては蓄積と再現性に基づく運営ー、ですがこれは未知ですー。」
「……ってことは、完全に手詰まり、か」
晴臣の声に、店長もまた小さく「はい」と頷く。
沈黙が落ちた。どこか遠くで、チカチカと蛍光灯がノイズを生んでいる。
この世界のどこかが、静かに“変わり始めている”。
それは、記録の中にもデータの中にもない。
見たことのない、異物のような何か。
それに、誰もまだ名前をつけられずにいた。




