隕石襲来!
夜、空が燃えた。
遠くの空で尾を引いていた光の筋が、やがて汐見市上空にも姿を現す。
一条、二条、三条──その数はすぐに両手では足りなくなり、まるで空が流れ星で埋め尽くされるかのような、幻想的とも言える光景だった。
だが、それはあまりにも多すぎた。
「──こちら市役所防災課。現在、汐見市全域において大気圏再突入と思しき発光体を複数確認。念のため、自主避難のご協力をお願いいたします」
深夜、各家庭のスマートフォンが一斉に鳴る。
通知には「隕石による被害の可能性」と書かれていたが、詳細は不明。だが、どこか冷静すぎるその文章には、「本当にそんなことあるのか?」という疑念も残された。
──そして、夜が明けた。
翌朝。被害報告はゼロ。火災も、倒壊も、怪我人もいない。
にも関わらず、市内のあちこちにある防犯カメラや観測装置には、確かに“何か”が落ちてきた映像が残っていた。
しかし、肝心の隕石がどこにもない。
「いやいや……落ちたよな、絶対。ほらこの映像、夜中の二時十三分。ここ、橋の上に──でっかいやつ、ドカンと」
生活課事務室。モニターを指差すのは若手職員。
だが、現場に駆けつけた晴臣たちが目にしたのは、何もない橋の上だった。アスファルトに焦げ跡すらない。
「おかしいですね……破片どころか、何かが落ちた形跡すら見当たりません」
晴臣が地面を指先で撫でながら首を傾げる。
生活課は午前中から市内各所へ分散し、重点的な調査を行った。公園、空き地、学校の屋上、郊外の林道。
だが、何も見つからない。
見つかるのは、住民の不安げな声ばかりだった。
「昨夜、変な夢を見たんです……大きな瞳に見つめられて、逃げられなくて……」
「夜中、犬が急に吠え出して……今朝からぐったりしてるんです」
「玄関に……誰か立ってた気がした。でも、防犯カメラには何も写ってないんです……」
そして決定的なのは、晴臣自身が、
「何か」がまだ“どこかで息を潜めている”ような感覚を拭えずにいることだった。
昨日の夜、確かに空は燃え、無数の火球が落ちた。
だが、それが何をもたらしたのか──まだ、誰にもわからない。
* * *
汐見市の夜は静かで穏やかだった。
──いつもなら。
「……ったく、もう夜の買い物は控えよう」
コンビニの袋を片手に、晴臣は街灯の下を歩いていた。
虫の音がかすかに響き、時折車の音が遠くを通り過ぎる。
普通の夜。少し蒸し暑い夏の終わり。
だが、彼の目に、異様なものが飛び込んできた。
正面から歩いてくる、1人の男。
ヨロヨロとした足取り。体の軸がまっすぐ保たれていない。
顔は暗がりに沈み表情は見えないが、ふらつく姿は明らかに常態ではない。
(酔ってる……?それにしては様子が……)
晴臣は眉をひそめ、駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
──その瞬間。
男の腕が閃いた。
光を反射したのは、錆びついたナタだった。
予備動作はなかった。ためらいも、声をかけられた反応もない。
バシュッ
鈍い切裂音と共に、晴臣の左腕に鋭い痛みが走る。
「ぐッ……!」
反射的に後方へ跳び退き、買い物袋を落とす。
ジリジリと腕から血が垂れ、Tシャツを赤く染めた。
男は口元から泡を垂らしながら、低く唸る。
「よこせ……よこせ……ッ、オマエ、よこせ……ッ!」
目は見開かれ、焦点が合っていない。
言葉の意味は不明。何を「よこせ」と言っているのかも不明。
だが──明確に理解できるのは、
この男は晴臣を“狙っている”ということだけだった。
「クソ……!」
ナタが風を裂き、また振り下ろされる。
晴臣は身を翻して回避。地面に転がるコンビニの袋が破れ、中身が飛び散った。
(斬撃が素人じゃない……でも、意識があるようにも見えない……!)
唾を飲み込み、左腕を抑えながら後退する。
男はその場に立ち尽くしたまま、荒い呼吸でナタをギリギリと握りしめていた。
(力を入れすぎれば──殺してしまう)
晴臣の脳裏に、その一線がはっきりと浮かんでいた。
普段では怪異相手であるがゆえ、躊躇のない対応が求められてきた。だが、今目の前にいるのは人間──少なくとも“外見上は”。
「くそ……」
腕から滴る血を服で抑え、ゆっくりと後退する。
相手が何者で、なぜこんな行動に出ているのかは分からない。
だが、分かっているのは一つ──この状況はすでに異常だということ。
(何が目的だ?何を“よこせ”って……)
にじり寄る男の動きに意識を集中しながら、晴臣は後ろの道路との間合いを見計らう。少しでも広い場所に出られれば、制圧の可能性も高まる。
──その時だった。
右手の狭い路地、その闇の奥から突然“何か”が突き出された。
晴臣の目に飛び込んできたのは、三又のピッチフォーク。
「ッ!」
反射的に体を沈め、フォークは頭上を風切って通り過ぎた。
ガツン!とコンクリートの壁に突き刺さるような音が響く。
「よこせ、よこせぇえええ!!」
甲高くひび割れた声が闇の中から湧き上がる。
現れたのは──日焼けした顔に深く皺を刻んだ、老婆だった。
腰を曲げ、農作業着を着たまま、ピッチフォークを両手で握りしめている。
そしてその目──完全にイカれていた。
泡を吹き、白目を剥きながら、男と同じく“よこせ”と繰り返す。
ピッチフォークはためらいもなく、殺意そのものとして晴臣に振り下ろされた。
「ちょ、待──!」
晴臣は思わず声を上げ、間一髪で横に跳んでかわす。
続けざまに男がナタを構え、老婆がフォークを突き出してくる。
一人でも厄介だった相手が、二人に。
どちらも理性は失われており、反応や動きは異様に鋭い。
(これ……本当に“人間”か……?)
まるで、別の何かに操られているような──
思考が断絶し、ただ“奪うこと”だけに執着しているような。
だが、躊躇はまだ残る。
晴臣の中には、一般人を殴るという行為への抵抗が根付いていた。
(止めなきゃ……でも、殺したくはない……)
その葛藤が、彼の動きをわずかに鈍らせる。
そしてその隙を狙うかのように、ナタとフォークが同時に振り下ろされる──!




