閃光!
汐見市生活課の海堂晴臣という人物を、一言で表すのは難しい。
真面目と言えば真面目だが、根がふざけているのかと思うほど図太く、
温厚に見えて、内側は鋼の芯のように頑なだ。
だが彼が何者であるかを理解するには——まずその出自に触れねばならない。
まず、父親。
この人は黙して語らず、ほとんど声を聞いたことがない。
寡黙というよりも、沈黙を美徳とするタイプである。
しかしながら、表情と行動で“すべてを語る”男でもある。
体格はでかく、背も高く、性格も温厚。だがその裏に、とんでもなく攻撃的な怪異を吸い寄せる体質という困った性質がある。
それを受け継いだ晴臣もまた、訳の分からない存在に付き纏われる日常に悩まされている。
加えて、どこか抜けている。判断は早いが若干鈍い。
物理的な痛みや空気の変化に気づくのが遅く、恋愛感情に至っては皆無。
この辺りも、見事なまでに父親譲りである。
次に、母親。
名前は美鈴。見た目は可憐、だが中身は格闘技仕込みの武闘派。
「戦える女」として家事と指導と敵殲滅を両立してきた、海堂家最強。
彼女の教育方針は明快だった。
——「殴る前に、まず構えろ」
——「蹴るより、崩す」
——「腕力より、重心」
この教育のもと、晴臣は小学生の頃から雑草を抜くように鍛えられ、
中学に上がる頃には、誰が見ても殴ってはいけない相手になっていた。
体捌き、バランス感覚、無駄のない動き。
母親譲りの実戦仕込みのセンスは、彼の基礎としてしっかり根付いていた。
そして問題なのは——いや、核心にして最大の謎は、「第三の要素」である。
それが何なのかは誰も分からない。
本人も知らないし、両親も説明できない。
ただ一つ言えるのは、そうした体質・教育・環境をすべて掛け合わせた結果、
晴臣という男がクソボケ朴念仁の怪物として仕上がってしまったことだ。
戦えば強く、逃げず、やたらと怪異に絡まれ、
しかも恋愛方面には無自覚で、真面目な顔して親切にするが好意を割と踏みにじる無神経。
そう、汐見市の住人なら誰もが知っている。
「あいつは、まあ、しょうがないよな」
そう言わせるだけの何かが、彼にはあるのだ。
——まさに、天が三重にふざけた産物である。
この男が汐見市の「生活課」に在籍しているという事実そのものが、
すでに市の守護にして最高クラスの理不尽と言っていい。
それでも、今日も彼は平然と怪異に巻き込まれながら、
何食わぬ顔で庶務や草刈りや家庭菜園の支援をこなしている。
……本当に、どうかしている。
そして生まれた瞬間から眠っていたものが“夢の街”へ行った事で目覚めたのだ。
この町にとって、晴臣という存在は、
災厄と救済の狭間に立つ、天然物の怪異なのだ。
* * *
空気が“揺れた”。
まるで春先の地表に立つ陽炎のように、晴臣の周囲の大気が微細に震え始める。
地面の草がざわりと音を立てて伏し、わずかに風が逆流する。
「っ……」
美鈴の表情が、一瞬だけ強張った。
知らない。
彼が“そんな構えの技”を持っていることは聞いたことも、目にしたこともない。
そして、次の瞬間――
彼の足元が沈み込んだ。
刹那、爆発的な踏み込み。
地面を蹴ったというよりも、引き裂いたような衝撃とともに、
晴臣の拳が地を這い、空を裂き、一直線に美鈴へと突き上がる。
それは“見えなかった”。
拳そのものは視界にある。だが、そこから放たれた“何か”が――
光でも、風でも、衝撃でもない、けれど確かに迫る“力”が、美鈴の肌を穿つように迫ってくる。
「っ……なにそれ……!」
本能が、叫ぶ。
避けろ、逃げろ、触れるな、と。
訓練された体が即座に反応し、美鈴は横に身を翻した。
土が爆ぜ、草が薙ぎ倒される。拳はかすりもしなかった――はずだった。
それでも。
「……ッ」
避けきったというのに、呼吸が乱れる。
心拍が加速し、汗がにじむ。
美鈴は体を震わせたまま、目を凝らす。
拳を突き出したままの晴臣の腕が、仄かに緑色の光を帯びていた。
濁りのない、草木の芽吹きのような、淡く、鮮烈な緑。
それは生命の色のはずだった。
なのに――なぜか。
その光を見た瞬間、ぞわりと全身を貫く恐怖が這い上がった。
(これは……命に触れる“何か”だ……)
理解が追いつかない。
理屈ではない。経験でもない。
ただ、根源的に知っている。
触れてはいけない。見てはいけない。受けてはいけない。
それは、“術”でも“技”でもない。
名前も意味も存在しない、ただひとつの――“力”。
晴臣がゆっくりと拳を引いた。
その瞳に、狂気も執念も宿っていない。ただ、静かな集中と、微かな後悔だけ。
「ごめん、母さん。さすがにこれは、やりすぎだったかも」
美鈴は言葉を返せなかった。
口が動かない。喉が震えない。
ただ、背筋を伝う戦慄だけが、戦士としての本能を刺激していた。
——海堂晴臣。
その名が“ただの生活課の若者”で済むはずがない。
この緑の光を目の当たりにした者ならば、誰もがそう思うに違いない。
そして、美鈴は、確信した。
(……やっぱりこの子、私より強くなるわ)
――血は争えない。




