迫り来る者!
汐見市南部、空き地に隣接する雑木林が焼け焦げ、鉄と火薬の臭いが漂っていた。
赤熱した拳が風を切って突き出される。それを紙一重でかわした男が、カウンターの膝蹴りを突き上げた。
「くッ!」
ガイン!と金属を叩く音が響き、火花が散る。炎を纏ったパワードスーツが一歩下がった。
対するは、シャツの袖をまくっただけの青年──海堂晴臣。
「…さて、いったい誰なんですか」
額に汗を滲ませながらも、彼の眼はまっすぐだった。迷いはない。立ち塞がる“何か”を倒す。それだけが、彼の行動理由だった。
パワードスーツの中身は、唇を噛み締める。火花の中、あの炎の力を使わねばもう持たないと悟った。
(相変わらず冗談みたいな強さね。こっちは傷つけたくなんて──)
晴臣は知らない。この装甲の中に自分をよく知る“姫野ルイ”がいることを。
* * *
戦闘のきっかけは、ほんの数十分前。
買い物袋を提げた晴臣が、裏道を歩いていた時だった。
「……今の、爆発音?」
遠くから、地響きと共に炎が上がった。音のした方向へ足を向けると、そこには――
紅蓮のパワードスーツと、ぬめるような質感を持つ水状の怪異が戦っていた。
そして、奇妙なことが起きた。
「……助けて……人間……」
水状の怪異が、晴臣のほうへ、よろめきながら逃げたのだ。
「……っ」
反射的に、晴臣は地面に袋を置き、拳を固めた。
パワードスーツがこちらに向き直るその前に――彼の飛び蹴りが、装甲の胸板に叩き込まれていた。
(助けを求める怪異を襲ってる正義の味方なんて、どこにもいませんから)
彼なりの理屈だった。だが、それが誤解と悲劇の火種だった。
ドンッ!
火花と煙が弾け、街角の壁がへこむ。
「くっ……!」
装甲の脚部が舗装されたアスファルトをえぐる。赤い火の尾を引くパワードスーツが、半身を崩しながらも即座に姿勢を立て直す。
その目前に、右拳を前に突き出した晴臣が、わずかに肩で息をしていた。
「人を襲ったら、殴られるって知らなかったんですか……?」
冗談のように言っているが、その拳はレンガの壁を貫通するだけの破壊力を秘めていた。
パワードスーツの中で、姫野は舌打ちする。
(こんな所で熱くなるなんて迂闊だった!)
爆炎と装甲の火花をものともせず、晴臣は殴り返してくる。もともと姫野も体術には自信があったが、これの相手は人間じゃない。
それでもルイは、“あの怪異”を確実に消すため晴臣を止めなければいけなかった。
だから――彼は逃げることを選ぶ。
だが、それは後ろを見せるという意味ではなかった。
ギン、と鋭く足場を蹴った。装甲の脚部が高密度の火力推進を吹き出し、後退しながらも角を曲がる。
「だったら追いかけますけど!」
晴臣が食らいつく。まるで猟犬のようなダッシュ。彼もまた角を曲がり、入り組んだ裏路地へと入った。
汐見市の裏通りは、どこか時間の止まったような静けさがある。
サビた鉄扉、ひび割れた壁、軒下に吊されたままの鉢植え。夕暮れの光がビルの谷間に射し込み、橙色の影を落とす。
その静寂を、金属と肉体の激突音が裂いていく。
「はあっ!!」
姫野が跳び回りながら、膝に埋め込まれたブースターを点火。直進と見せかけ、急角度でビル壁を蹴り、晴臣の側面に回り込む。
拳が突き出される――!
「甘い!」
晴臣が寸前で体を捻り、狭い路地の壁を蹴って逆に上を取る。そのまま体を回転させながら踵落とし。
ガンッッ!!
スーツの肩に叩きつけられたその一撃で、姫野は体勢を崩しながら地面に着地。
そのまま細い通路を抜けて雑木林方向へと走る。
「抜け道?ずいぶんこの辺り詳しいですね!」
晴臣は息を乱すどころか、むしろ楽しげに走る。姫野は焦る。早く距離を取らなければ、正体がバレる。
「ここまで来れば……!」
最後の通路を抜けた先、視界が開ける。
そこは、汐見市南部の雑木林。あまり整備されていない区域で、地面は苔と落ち葉に覆われている。夕暮れの木漏れ日が、焼け焦げた幹に差し込んでいた。
――ドスッ!
先に出た姫野の前に、またしても晴臣が飛び出す。高低差を利用して斜面から飛びかかったのだ。
「追い詰めましたよ!」
拳と拳がぶつかる。火花、焦げた空気、巻き上がる土と木屑。
こうして戦場は雑木林へと移った。
* * *
現在――
パワードスーツが右手を引き絞る。空気が焦げる。次の一撃には火炎が混ざる。
「その炎、当たったらヤバいやつですかね……なら、避ける必要、ありますか?」
晴臣が挑発気味に笑みを浮かべる。
轟音。火柱。地面が爆ぜ、煙と瓦礫が舞い上がる。
(っく、ハルくん!やめて、お願い……)
パワードスーツの中の姫野は、泣きそうな顔でつぶやいた。だが、声は届かない。
煙の向こうから、無傷のまま現れた晴臣が拳を構える。
「正直あなたが何者でもいいです。助けを求められた以上、止めます」
――晴臣は知らない。目の前の敵が“親友”だということを。
姫野ルイの心は、灼熱よりも痛みに焼かれていた。
――ドシュッ!!
轟音とともに、空気が震えた。
「っ!?」
突然のことに反応する間もなく、姫野が、まるで蹴り飛ばされたサッカーボールのように錐揉み回転しながら宙を舞う。
「かはっ――!」
木々を三本なぎ倒し、藪に突っ込んでいった姫野の姿は、土煙に包まれ見えなくなる。
その直前、晴臣は確かに見た。
――人影。
どこから現れたのかもわからない。だが、その蹴りはパワードスーツを吹き飛ばすほどの破壊力を持っていた。
その人影は、音もなく地面に着地すると、無言のまま晴臣へと向き直る。
「……誰です?」
晴臣の口元から笑みが消える。戦闘中、初めて見せる緊張。
だが、人影は答えない。
――ズダンッ!
地を蹴ったその瞬間、空間がひしゃげるような風圧が晴臣を包む。次の瞬間、眼前に拳が迫っていた。
「速――!」
咄嗟に腕でガード。衝撃で地面に足がめり込む。間を置かず、裏拳、膝蹴り、足払い。どれもが明確な殺意を帯びた打撃。
それを晴臣はギリギリで捌く。
だが、その均衡は長くは保たなかった。
「――っ!? うぐああああああああああああッ!!!??」
晴臣の意識の外から放たれた人影の足が、晴臣の股間に全力の金的が炸裂した。
視界が白くなる。膝から崩れ落ちる。呼吸ができない。あまりの痛みに、鼓動が止まりそうになる。
「う……ぐ……」
晴臣が地面に倒れ込み、木の葉を掴みながらのたうつ。
そんな彼を、影は見下ろした。
「甘い、甘いわねぇ。あれほど戦いの最中に止まるなと言ったわよ?」
その声――どこか明るく、茶化すような、けれど心底呆れたような口調。
そして、その声に晴臣の思考が凍る。
視界の端、地面すれすれに立つその足元。そのまま影を見上げて――
「か、母さん……?」
晴臣の顔は引き攣った表情に。驚愕、戦慄、絶望。あらゆる負の感情が一瞬で染み渡る。
そして、そのまま目を白黒させて気絶した。
雑木林の中、夕暮れの光に照らされながら、その“母”と呼ばれた人影はフードを下ろし、スカートの裾をひらりと翻し、くるりと背を向けた。
「まったく何が火の精霊よ、ボヤも起こせないじゃない」
呆れ声とともに、人影は姫野が消えた雑木林の奥へと溶けていった。
――汐見市にて、海堂晴臣を一撃で倒した唯一の存在。
その名は、海堂美鈴。
晴臣の母にして、姫野がイカれたお母さんと呼ぶ、“家の中では絶対に逆らえない”存在であった。




