果たし状!
役所の空調は、どこか独特な乾いた風の匂いがする。その中で、海堂晴臣はパソコンに向かって事務処理をしていた。
クリック、クリック、エンター。
気の抜けたキーボード音だけが室内に響く。
「ふぁ~、怪異申請書類の再提出多すぎだろ……何が“幽気”だよ“勇気”って書いてんじゃん……」
そんな晴臣の前で、ガタガタと窓口のカウンターが震えた。
「……ん?」
──ドォォン!!!
突如、役所の自動ドアが跳ね飛ばされるように開かれた。
現れたのは、甲冑を身に纏い、黒いマントをはためかせた存在。
その姿はまるで異世界の騎士──いや、実際にこの世界の存在ではなかった。
顔は隠れていたが、口元だけが見え、鋭く裂けた笑みを浮かべている。
「この地に猛者がいると聞き及んだ……ッ!!」
役所の空気が凍りついた。
職員の一人が震える手で館内放送に手を伸ばしかけ──しかし、その前に。
「出てこい、海堂!我、かの者と手合わせ願うッ!!
我が名は〈リュドグレイア〉──騎士道に殉ずるものなり!!」
全力で叫ばれたその名乗りに、窓口の受付嬢が青ざめ、顔面蒼白のまま晴臣のほうを指差す。
「そ、そちらに!海堂がおりますので……!」
「おいこら、指すな」
晴臣が静かに言った。が、怪異はすでに全身からオーラを噴き上げていた。
「おおおおおッ!!!貴様が海堂かァーーーッッ!!聞き及んでいるぞッ!!あの邪神めにドロップキックを食らわせたという、頭のおかしい人間ッ!!」
「頭のおかしいってどんだけ言うんだよ」
晴臣は椅子から立ち上がると、パソコンをそっとスリープ状態にして立ち上がった。
「……あー、ご用件は?」
「一騎打ちを所望するッ!!」
「用件っていうか欲望では?」
怪異は甲冑越しに正座をし、深々と頭を垂れた。
「どうか願いたい。貴様と手合わせをッ!!」
「ここではちょっと…」
「承知している。我、正式に“戦闘申請書”を提出しようと思っていたが、興奮のあまり今この場で直談判と至った次第ッ!!」
晴臣は受付嬢の方を見た。
「……今の話、書類扱いでお願いしても?」
「だ、大丈夫……です……」
「たぶん大丈夫じゃないけど、もういいか」
晴臣は肩をすくめると、腕まくりをした。
「では受理されましたので、裏の倉庫に向かいましょう。あそこならコンクリ床なので吹き飛ばされても多少床が抜けにくいので」
「ぬおおおおお!! かたじけないッ!!」
* * *
市役所の倉庫。その一角には、破れたダンボールや折れた椅子、用途不明のオブジェが無造作に置かれている。そんな雑多な倉庫の中央に、今――二つの影が対峙していた。
「さあ、受け取るがいい! 我が友の形見たる騎士剣、《カレド=ノトゥス》!」
身の丈以上の長剣を、銀色の甲冑をまとった異形の怪異が恭しく差し出す。名前をリュドグレイア。漆黒の鱗を持つ竜の面をかぶり、口調も態度もひたすらに厳格。武を重んじ、栄誉を尊び、己が命さえ惜しまぬ……という、いかにも脳筋な戦闘狂だ。
一方、剣を受け取った市役所生活課の海堂晴臣は、ネクタイを緩めながら溜息を吐いた。
「市民相談に来た怪異が武器持参で決闘申し込みとか困るんですが…」
「問答無用ッ!! いざ尋常に――勝負ッ!!」
金属が火花を散らす轟音と共に、リュドグレイアの一撃が振り下ろされた。
瞬間、床が爆ぜた。
「っ!」
剣の質量と速さはまるで小型トラック。その一撃で倉庫の床がひび割れ、砂埃が舞い上がる。だが――
その真下から、晴臣は平然と抜け出していた。
まるで、すべてが見えていたかのような滑らかな回避。剣の先端をひょいと弾き、力を殺し、身を翻す。
「まさしく……!猛者ッ!誇り高き獣よッ!!」
叫ぶリュドグレイア。彼の動きはますます苛烈に、容赦なく、破壊的に加速していく。舞い散るダンボール。爆ぜるラック。崩れ落ちる棚。
だが、晴臣は終始冷静だった。
そして数合目。晴臣の右手が空を払う。
「ん?」
リュドグレイアが僅かに動きを止めた、その瞬間だった。
**ピシィン――**と空気を裂く音とともに、彼の目の前すれすれに剣先が突き立つ。いつの間に投げられたのか。
「うおッ……!?」
反射的に飛び退くリュドグレイア。しかし、遅かった。
――ぐるん。
剣の柄には、ネクタイが結ばれていた。彼の首に、晴臣のネクタイが巻きついていた。柄の端を晴臣が片手で持ち、くいっと引く。
「ぬ、ぬおおおおおおおッ!? 何故にネクタイィィィッ!!?」
リュドグレイアが慌てふためく。威厳ある騎士の声が、まるで職質を受けた高校生のような動揺に染まる。
だが、それも束の間だった。
目の前で、晴臣の目が――すっ……と色を変える。
黒曜石のような静かな光。人間のものとは思えぬ、研ぎ澄まされた獣の視線。
その瞬間、リュドグレイアは錯覚する。
目の前の、己よりも一回りも小さな男が――まるで、サバンナの王たる象やカバのように迫ってくるような圧倒的な質量感を放っていた。
音が消える。
視界が収束する。
空間ごと、彼に支配される――!
「ま、待て、それは騎士の流儀では――ぬ、あッ!!」
その瞬間、晴臣の姿がブレた。
リュドグレイアが首のネクタイを引き千切ろうと暴れる。剣を振るうような豪腕で、四方に拳と肘を乱射する。
――が、晴臣はそれをすべて見切っていた。
大柄の騎士の足元にすべりこみ、片足を払う。
その動作は一切の無駄がなく、まるで呼吸のように自然だった。
「ぬおッ!?」
リュドグレイアの足が宙に浮く。
そのまま勢いに任せて倒れる――かと思われた瞬間。
「――取った」
がし、と組み敷かれる。
晴臣の腕が、リュドグレイアの首に回る。ネクタイを利用したチョークスリーパー。引き絞る力はまさに鉄鉗。巨体の甲冑騎士が床に転がされ、文字通り締め落とされようとしていた。
「な、なにこれ、ちょっ……! く、苦しい!? こんな、戦の中で、拷問じみた……っ、が、ががががが……!!」
騎士の言葉が、泡になって消えていく。
晴臣は一言も発さず、表情も変えずに絞め続けていた。
たとえ相手が怪物でも、血が巡り呼吸するのなら、首という部位の弱さは変わらない。
「く……は……っ、ぐ、う……お、おおおおお……!」
そして――リュドグレイアの身体から、ふっと力が抜けた。
がくん、と項垂れる騎士の巨体。
その首元から、するするとネクタイがほどかれ、晴臣の手に戻る。
彼は静かにそれを結び直しながら、ぽつりと呟いた。
「良い剣筋でしたが…」
静かに立ち上がる晴臣。
「もう少し工夫すると良いですね」
その後も意識朦朧となっているリュドグレイアに対して、講師のように淡々と改善点を告げる晴臣だった。
絞め落として説教したの?あれに?
ええ、まぁそうなりますね。体格も良くスピードもあったのですが力任せ感がどうしても強くて
なんか言ってるけど、あれ一応最強格の戦神だよ?




