ようこそ汐見市へ!
気づけば、腕の中にいたはずの真琴はもういなかった。
服も体も、濡れた感触は跡形もなく消えていた。
世界がふたたび動き出し、夜空に大輪の花火が咲く。
その光に目を細めながら、晴臣は何も言わず立ち尽くす。
遠くから、浴衣姿の姫野が「どこにいったのよー!」と声を張り上げているのが聞こえた。
それすらも、少し遠い夢のようだった。
火薬の匂いと、夜風。
パッと咲いては消える光を見上げながら、晴臣はふと、夏の終わりを感じていた。
* * *
朝。潮の香りが街を包む。
「シオマート」では、どの店舗にも同じ顔の女性店員が「いらっしゃいませー」と語尾を伸ばして迎える。
その姿に頓着することなく客は買い物かごを手にし、日用品とちょっとしたお惣菜を選んでいた。
誰もが見慣れた光景だ。
坂の上、「Cafe Lune」では、開店準備に余念のない姫野ルイがテラスの席を丁寧に整えている。
潮風に揺れる白いカーテンの奥では、温かいモーニングが静かに焼きあがっていた。
客の中には、たまに角の生えた者や、影のように揺らめく存在も混じっているが、ルイはにこやかに「いらっしゃいませ」と頭を下げる。
それがこの街の「普通」だった。
空を見上げれば、今日も変わらず雲が流れ、
生活課では書類に埋もれる男と、隣で笑う誰かがいる。
怪異と人間。恐怖と日常。
そのどちらもが、当たり前のように溶け合っている汐見市。
今日も変わらぬ、ささやかな一日が、始まっていた。
* * *
夜の汐見市。
夏の熱がすっかり抜けた風が、路地の隅に涼しさを残していた。
歩道を歩くふたりの影が、街灯に照らされて伸びる。
海堂晴臣と、その隣に並ぶのは虹川真琴。
さっきまで処理していた怪異案件について、他愛もない言葉を交わしていた。
「……まあ、あれは生活課の管轄でよかったですよ」
「うん。あの子たち、人間食べたそうだったもんね」
「冗談ですよね?」
そんなふうに言いながら、笑い合う。
こうして肩を並べて歩いていることに、晴臣は時折ふと不思議な気持ちになる。
ふと足を止め、彼は空を見上げた。
風に髪が揺れる。真琴も彼の横顔を見る。
「……真琴くん」
「なに?」
ほんの一拍の静寂ののち。
晴臣は、いつもと変わらぬ調子で言葉を落とした。
「俺、あなたが好きです」
言い終えたあと、何事もなかったように歩き出す彼に、真琴は一瞬だけ目を見開く。
そして、ふふっと悪戯っぽく微笑んでその隣に並び直した。
「ほんと?」
「……ずっと前から、とは言わないですけど、まあ、そういう感じです」
「じゃあ私のこと、もっと好きになってくれる?」
「できれば、そうなっていけたら」
夜の街を、ふたりの足音がまた重なる。
怪異が住む街。人と怪物が手を取り合う、奇妙な日常。
そのなかに、確かな一歩があった。
変わらないようで、少しずつ変わっていく毎日のなかで。
ふたりの影は並んで、そして真琴が晴臣の腕に抱きついて一つになって歩いて行く。
本編は完結ですが、ちょこちょこ続き的なものを書いてます。




