思考誘導!
「文化祭……って言っても、学校じゃないしね。屋台を出すようなバザーもいいけど……」
市役所の会議スペース。晴臣はホワイトボードの前で腕を組み、姫野と向き合っていた。
姫野は椅子に腰かけ、テーブルに肘をついて顔を少し傾けながら、にこにこと晴臣を見ている。
その笑顔は穏やかで、しかしどこか妙に距離が近い。
(……なんだ、さっきから視線が熱いような)
晴臣が疑問を抱きつつも話を続けようとしたとき、姫野が小さく口を開いた。
「ねぇ、ハルくんは……どんなイベントが楽しいと思う?」
「俺?そうだなぁ、夏だし……花火大会とか?」
その瞬間――姫野の表情が、一瞬だけ「勝ち誇ったような笑み」に変わった。
(今、なんかすごい悪い笑い方しなかったか?)
晴臣が目を細める間もなく、
「素敵!最高!それに決定っ♪」
姫野は嬉しそうにパッと立ち上がり、両手を胸の前で握ってぴょんと跳ねた。
「えっ、決まり? 早くない?」
「うんっ、だって花火大会なんて、すごくロマンチックじゃない? 夏の夜空に、大輪の花……浴衣、屋台、手をつないで歩くカップル……いいと思わない?」
「……まぁそうだけど」
「ふふふ~ん♪」
まるで「計画通り(ニヤリ)」とでも効果音がつきそうなドヤ顔の姫野に、晴臣は頭を抱える。
(これは……いろいろ面倒なことになりそうな予感しかしない)
だがもう決まってしまったのだ。
汐見市生活課主催――“姫野ルイの恩返し☆どきどき花火大会”、開幕に向けて始動である。
* * *
仕事を終えた晴臣は、自室のソファに倒れ込むように座り、缶コーヒーのプルタブを開けた。夏の夜風が窓から吹き込み、クーラーの効いた部屋にほんのりと草の匂いを混ぜる。
その瞬間――
「はるおみー」
バタンッ!!
ドアが勢いよく開き、ミイナが紙袋を両手に抱えて突入してきた。
「お、おい、鍵かけてたはず……!?」
「開けたよぉ」
にこーっと笑顔を浮かべるミイナ。どうやら渡した記憶のない合鍵の存在は健在らしい。
彼女は床に座り込むと、紙袋から次々と駄菓子やコンビニのおやつを取り出し始めた。ポテチ、たい焼き、アイス、プリン……見境がない。
「……お前、晩飯は?」
「たべた! これは……べつばら……!」
袋を開けては口に運び、もぐもぐと幸せそうに頬張る姿に、晴臣は苦笑しつつも缶コーヒーを一口飲む。
「……なぁ、ミイナ。お前って“夏らしいイベント”って何か思いつくか?」
突然の質問に、もぐもぐ中のミイナがぴたりと動きを止めた。
「夏?」
ちょっと考え込み、手元のプリンを見つめながら、
「……食べ放題……」
「それイベントじゃなくて願望だろ」
「……!」
しまった!という顔をしてミイナは両手で口を覆い、うっすら汗をにじませる。
そしてぎこちない笑顔で、カタコトに言った。
「ハナビ……タイカイカモ……!」
「何今の」
「……ナンデモナイヨ?」
ポテチをぽりぽり食べながら視線を逸らすミイナに、晴臣はため息まじりに笑った。
(……ま、でも意外とこいつの言うこともヒントになるからな)
こうして、ひとつの「意見」が確信に近づいた夜だった。
そして晴臣は気づかなかった。
冷や汗をかきながらおやつを食べるミイナが、誰からそれを貰ったのか。
* * *
朝の光がまだ柔らかく、街に蝉の声が降り注ぎ始めた頃。
「……ふぁあ……今日も暑くなりそうだな」
仕事前、アパートの玄関を出た晴臣は、ゴミ出しついでに周囲を見渡す。すると、通路の先――ひとつ隣の部屋の前で、箒を動かしている小柄な女性の姿が目に入った。
「あ……おはようございます、香奈さん」
「あっ、晴臣さん。おはようございます!」
振り返った香奈は、Tシャツにジーンズというごく普通のラフな格好。鼻歌まじりに掃除をしていたらしく、どこか上機嫌だった。
「朝から掃除って、感心ですね」
「ふふ、日課みたいなものですよ。こういう時間、好きなんです」
彼女はにこやかに笑いながら、掃き集めた落ち葉をちりとりに入れている。
「そういえば……」と、晴臣はなんとなく聞いてみた。
「夏らしいイベントって言ったら、何を思い浮かべます?」
その瞬間、香奈の手がぴたりと止まった。
「……え?」
目が見開かれ、いつも落ち着いた雰囲気の香奈が、明らかに一瞬、固まった。
「ええと……イベント……?」
「はい。ちょっと今、企画に関わってて。市のイベントで」
「あ……そ、そうなんですね」
香奈はわずかに視線を泳がせると、笑顔を取り繕いながら口を開いた。
「……やっぱり……花火大会……ですかね。はい」
「ああ、やっぱり。なんか定番ですもんね」
晴臣は軽く頷いて、香奈の反応には少しの違和感を覚えたものの、それ以上深くは追及しなかった。
(……なんか、すごく“用意してた答え”っぽかったな)
けれども、朝の空気がその違和感を溶かすように穏やかだった。
晴臣が軽く会釈をして通り過ぎると、香奈は掃き掃除を再開する。
その背後――香奈の玄関横、ドアノブにかかった青い持ち手の紙袋には、白いロゴでこう書かれていた。
「Cafe Lune」
晴臣はその袋の存在に、気づくことはなかった。




