残念イケメン!
晴臣は静かに後ずさり、そしてつぶやいた。
「な、名前を伺っても?俺としても誰だかわからないと…」
とりあえず聞いておくか、という調子で尋ねた晴臣の言葉に、イケメンはピタリと動きを止めた。
「……えっ……いま……なんて?」
「いや、貴方の名前を…」
「……名を……?」
ゆっくりと顔を上げた彼の目が、ぱああっと輝いた。
「……晴臣たそが……ボクの名前を聞いてくれたああああッ!!?!?!」
突如、地面を蹴るように跳ね上がった彼は、両腕を広げて空を仰ぎ――
「うれぴ~~~~~~~~~~~ッッッ!!! 推しに!! 名前を!!! 聞かれたあああああッ!!!!!」
空間に謎の紙吹雪が舞った。
うちわを両手に持ったまま、なぜか盆踊りとタップダンスが混ざったような奇怪な舞を全力で踊り出すイケメン。
「ボクの名はァァァ――トオル!! トオル・クゼ!!
“汐見推し界隈・非公式ファンクラブ”代表ッ!
“生活課ラブ勢”発起人ッ!!
“海堂晴臣”たそ担当ッ!!
あと“アホ邪神”とは晴臣たその解釈違い勢でもありますッ!!!」
「…………重すぎる情報が一瞬で詰め込まれたんだけど」
「……あの……いま……ボクの名前、呼んでくれませんか……? 一生のお願い……一生のお願いの中の最上級ランク、“最期のお願い”で……!」
晴臣はほんのわずか逡巡し、それでも仕方なさそうに名前を口にした。
「……トオル、だっけ?」
「ビィィィィィィィィッグバンッッッ!!!!!!!!!!」
音にならない咆哮をあげながら、トオル・クゼはその場に倒れ込み、地面を転げ回った。
嬉しさが限界突破したのか、涙を垂れ流しながら足をバタバタさせている。
「し……死んでもいい……いや、死ぬ。いま死ぬ。生きた価値がある。神回確定。特典付Blu-ray BOX即予約案件……!」
「……俺なんか変なのに目つけられてない?」
「変なのだなんてッ!いや、罵倒もご褒美!!」
晴臣は額を押さえつつ、あまりのエネルギー量にちょっとした頭痛すら感じ始めていた。
だが、どこかで感じる“ひっかかり”があった。
このトオル・クゼ――ただのファンではない。
この空間に存在していること、彼が知っている数々の出来事……それらは、情報を“見ていた”だけの存在とは思えなかった。
どこか、もっと根源的なところで――彼は“見ていた”。
汐見を。怪異を。晴臣を。
そして、異様に整った容姿に、なぜか微かに“既視感”のような違和感を感じる。
(……なんか……誰かに……似てる?)
晴臣はそんなことを思いながら、転げ回るオタクイケメンにじりじりと距離を取っていくのだった。
「はいはい、終わり終わり。滞在時間オーバー」
声と同時に、空間がざわりと波打つ。
次の瞬間、晴臣の手首を誰かがぐいと掴んだ。
「うわっ!?――真琴くん!?」
「ごめんね、ちょっと遅れた。こいつに触手で連れ去られるとこまでは想定してなかったわ」
「いや、何がどうなって……」
その問いが終わるより早く、真琴は晴臣の手を強く引く。
彼女の指先がぴたりと合図を刻むと、周囲の景色がぐにゃりと崩れ――
「待ってッッッ!!!!晴臣たそおおおおおおおおおお!!!!!!!」
後方から、耳をつんざく叫び声が響いた。
「推しの手を握るとか!!!!解釈違いにも程があるでしょアホ邪神!!!晴臣たそを返せ~~~!!!!!!!」
振り返れば、トオルがうちわを振り回しながら地団駄を踏んでいた。
「くそおおおお!!記念撮影もサインも握手会もまだだったのにィィ~~~~ッ!!!!!」
「……え、なにこの地獄」
「見ないで、晴臣くん。ああいうのに目を合わせると、こっちの精神が削られるから」
真琴は淡々と告げると、ふたたび空間を歪ませて、一気に視界を闇へと引き込んだ。
最後に聞こえたのは、トオル・クゼの魂の叫びだった。
「晴臣たそォォォ!! せめて生活課公式ファンブックだけは出してくれえええええええええええええええええええ!!!!!!!!」
ぱしゅん。
空間が閉じ、静寂が訪れた。




