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汐見市生活課!  作者: ケン3
本編
48/96

初恋の思い出!

「──ま、基本的にはシオマートの店員が言ってた通り。夢の街は“向こう”と“現実”の間にある、誰でも通る通路。税関みたいなもんよ」

 

 真琴は足を組んでソファに座り直し、髪をふわりとかき上げる。晴臣はその仕草に一瞬だけ目をやるが、すぐに視線を戻して話を促した。

 

 「それは聞いた。ここでは敵意も悪意も持てないってやつだろ」

 「そうそう。だからここで喧嘩も戦争もできないし、殺し合いもできない。夢の街では、どんな怪異も“ただの旅人や客人”よ」

 

 そこまで語ると、真琴は少し真面目な顔になって言葉を続けた。

 

 「……でね、汐見市には“怪異が多すぎる”ってよく言われてるけど、それにはちゃんと理由があるの。この夢の街と、汐見市は“繋がってる”の。昔からね。普通の都市とはちょっと違う、姉妹都市ってやつ」

 「姉妹都市?」

 「うん。夢の街にとって、現実に最も干渉しやすい場所が汐見市なの。逆に言えば、汐見市に住んでる人たちは、ちょっとだけ“こっち側”に感覚が近い。だから、怪異の存在にもある程度順応できる。……ま、普通はその程度の“適性”だけど、晴臣くんはバグってる」

 「俺、何した?」

 「さっき枕触っただけで即寝落ちしてここに来たやつが何言ってんの。普通は夢の街に来るまでに“調整”がいるのに……まるで、何十回も来たことある人みたいな入り方してて怖かったよ?」

 

 真琴はそう言いながらも、晴臣の顔をじっと見つめた。その視線には、いつもの軽い調子の裏に、わずかな疑問と観察の気配が混じっていた。

 

 「ねぇ、晴臣くん。ほんとに、ここに来たのって初めて?」

 

 晴臣は、真琴の問いに即答しなかった。

 どこか、懐かしいような──けれど覚えのないような──そんな感覚が、夢の街を歩いていた時からずっと彼の中に引っかかっていた。

 

 「正直……来たことがあるかどうかは、わかんないな」

 

 ぽつりと晴臣がつぶやいた。

 真琴はソファの肘掛けに腕を預けたまま、晴臣の顔をじっと見つめている。

 

 「この街、なんとなく懐かしいような気もするけど確信が持てない…真琴くんと初めて会った時もそうだったろ?なんか記憶が曖昧でさ」

 

 そう言って、晴臣は肩をすくめて苦笑した。

 

 ぴくり、と真琴の眉がほんのわずかに動く。

 その変化に晴臣は気づいていない。

 

 「……ふぅん、そっか」

 

 真琴は口元を手で隠しながら、小さく笑った。

 その笑みはいつもの余裕あるものではなく、どこか寂しげで、痛みをこらえるような色を帯びていた。

 

 「念入りにいじったはずなのに、曖昧なんて言うなんてね」

 

 声色は軽い。

 だけど、その裏側に張りつめた何かが、確かにある。

 

 晴臣はその意味に気づかず、「悪いな」と曖昧に返すだけだった。けれど、真琴の視線は晴臣の目をまっすぐにとらえ、離そうとしない。

 

* * *

 

あれは、たしか。

むしゃくしゃしてたんだよね、私。

 

理由なんて……言いたくない。

ただ、あの時はとにかく、全部どうでもよくなってた。

だから「壊そう」って思ったの。

 

場所はどこでもよかったけど──

ふと見えたこの街、汐見市が目に入ってさ。

ビルがきれいに並んでて、海の匂いがして、空が狭くて、人間が怪異と無防備に暮らしてて。

 

なんだか腹が立った。

 

だから私は、姿を変えて、空から降り立った。

あのときの私は、“それ”だった。

嵐を連れて、風を裂いて、叫ぶたびに雲が割れて、ちょっと息を吐いたら、ビルがふたつ、ぐにゃって折れた。

 

ああ、なんて気持ちよかった。

もう何もかも、この街ごと──

 

「すみません」

 

小さな、小さな声。

……けれど、その声は嵐よりも鮮明で、

私のすべての“感覚”に届いた。

 

“私”に話しかけたやつがいる、って思って見下ろした。

そこにいたのが、あの人だったの。

海堂晴臣。

 

黒いコートを着て、傘もささずに、私を見上げて立ってた。

あの風の中で、ぐしゃぐしゃの髪のまま、気まぐれに目の前に私が降りても、震えもせずに。

 

そして……こう言ったんだ。

 

「この辺、住民が避難してないんで……もうちょっとだけ、待ってくれませんか?」

 

──意味、わかる?

ねえ、“殺されるかもしれない”って目の前に立ってる存在に、

「ちょっと待って」って言える人、いる?

 

怒りとか、興味とか、恐怖とか、いろんなものがぜんぶ混ざって……よくわからなくなって。

気がついたら、私は地面に叩きつけられてたの。

 

……ドロップキックと、ジャーマン・スープレックス、ジャイアントスイングもされた。

 

どうして私が、そんなことで動けなくなったのかは、今でも謎。

 

でも、確かにその時、私は思ったの。

この人──とても、とても、面白い。

よりにもよって、私が、“そんなもの”で。

 

落ちたのは高架の上。

ぐしゃっと潰れたガードレールの中で、私は仰向けになって空を見てた。

雨が顔に当たるの、ひさしぶりに感じた。

 

不思議だった。

 

だって、こんな風に誰かに倒されるなんて、もう何百年もなかったから。

力も、耐性も、空間構造も、質量すら違う私を、

たった一人の人間が……「物理」で倒すなんて。

 

しかも、理由が「避難が済んでないから」?

本気で言ってたんだよね。あの人。

 

──馬鹿みたい。

でも、可笑しくて、

でも、胸の奥が……ちょっと、

ほんのちょっとだけ、くすぐったかった。

 

私は変身を解いて、“ある姿”になる。

ぐしゃぐしゃの髪、雨に濡れた服、

これは“彼”の世界の“女”の姿だった。

彼がよく目を向ける、映像や雑誌や通勤電車の窓広告に出てくる“女性像”──

それをベースに組んだ、私の「仮のかたち」。

 

本当の姿なんて、彼には見せるつもりない。

まだ、ね。

 

あの人の前では、ちゃんとした「個人」でいたい。他の人と違って、壊すでも、逃げるでもなく、私を見て、考えて、話してくれるかもしれない──そんな人だから。

 

……でも問題があった。

彼がこの出来事を覚えていれば、「私を見た」として、処理されてしまうかもしれない。

 

あるいは、恐れられるかもしれない。

排除されるかもしれない。

拒絶されるかもしれない。

 

それは、いやだった。

 

だから、ちょっとだけ、彼の脳をなぞった。

ほんの少し、記憶を薄くして、

“私との出会い”をぼかした。

 

私は特別でいたいのに、

私が何者かを知られたくないなんて、矛盾してるよね。

 

……でも、そういうものなの。

恋って。

たぶんね。

 

ふふ、恋、か。

 

そんな大層なもんじゃない、って笑われるかな。

でも、あの瞬間、

確かに私は「心臓みたいなもの」が動いた気がしたんだよ。

 

──だから、見ていようって思った。

彼の生活、彼の言葉、彼の選択、彼の毎日。

誰より近くで、

でも、知られないように。

 

それが今に繋がってる。

 

……ねえ晴臣。

君はまだ、私をちゃんと見てないけど、

私は、あの日からずっと──君を、見てるんだよ。

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