案内人!
応接間の奥に据えられた、豪奢な天蓋付きソファ。
その中央には、誰かが静かに腰かけていた。
晴臣がゆっくりと歩み寄る。
相手の顔はまだはっきりと見えない。部屋の照明はやや落ちていて、火の灯る暖炉の光が影を濃くしていた。
──と、その時。
「やっほー、晴臣くん」
くす、と笑うような声がした。
すっと視線を横にやると、そこには──
真琴がいた。
ソファの背にもたれかかるように立ち、晴臣にひらひらと手を振っている。
彼女はこの夢の街に似つかわしくない、
現実と同じ姿──ウルフカットの女の子の姿をしていた。
「え?……なんでここに」
「えー、変なこと言う。会えないなんて、退屈でしょ?」
「いや……そうじゃなくて……」
晴臣は顔をしかめた。夢だからいてもおかしくはない──それは分かる。
だが、夢に入る枕を調査していたのは自分だけのはず。真琴は、少なくとも現実では“使っていない”。
「あれ? 調査って言ってたじゃん。だから一緒に来たんだけど?」
「それで…どうやってここに?枕を使って?」
「さぁ~?夢の中、得意だから?ふふっ」
真琴は相変わらず飄々とした様子で、
ソファに座る人物の背後から晴臣を見下ろしていた。
その瞬間、ソファに座っていた人物──
白い長髪を揺らす、どこか中性的な顔立ちの男性が、ゆっくりと目を開いた。
「おふたりとも、お揃いのようですね。ここは、“境界”。夢と現実のただなか。私は、この街の“帳”──名を、ヒュプノスと申します」
ヒュプノスと名乗ったその存在は、晴臣と真琴を交互に見て、穏やかに微笑んだ。
「さて。お話ししたいことが、たくさんございます──“現実の人間”として、あなたに」
ヒュプノスと名乗った白髪の人物が、話を切り出そうとしたその時。
「もういいですよ」
晴臣が遮った。ヒュプノスの言葉ではなく、その存在にじっと目を向ける。
「もうバレてます」
「……ほう?」
ヒュプノスの口元が緩む。だがその笑みは人間的というには少しだけ、歪んでいる。
「人間の直感、侮れないとは聞いていましたが……あなたは面白いですね、海堂晴臣さん」
「いや、そんな手の込んだ手品初めてみたから流石にタネはわかんないですけど」
その瞬間、ヒュプノスの目がわずかに見開かれる。
すぐに口元で笑みが深まり、視線がゆっくりと隣の真琴へと移る。
ソファに寄りかかる真琴もまた、晴臣を見たまま、バレちゃったとでも言うように、意味深に笑った。
そして──
ふたりの姿が、にじむようにして揺らめいた。
ヒュプノスの白い衣が、真琴の私服の上に溶けるように覆いかぶさる。
顔と顔が重なり、髪と髪が溶け合い、輪郭がぶれて、やがて──
ひとつの「虹川真琴」へと収束する。
その姿はいつも通りの、どこにでもいそうな女性の姿でにっこりと微笑んでいた。
「ほんっと、晴臣くんって変な人だよねぇ。普通の手段でじゃないのにこの夢の街に来たくらいだし」
「そうですか?結構わかりやすいですし、タネはホログラムとかですか?」
「うふふふ……そういうとこ、好き」
真琴は軽くスキップを踏むようにして、ソファから降りて晴臣の前へと立つ。
彼女の瞳は、夢のなかでなお、深い色をたたえていた。
「じゃあ、改めて。──“ようこそ、境界の夢の街へ”。ホントはもっとロマンチックに連れてきたかったんだ。ここはあなたが選ばれたから来られた場所──そして、わたしがずっと前から、君を待っていた場所なんだよ?」
* * *
「というわけで──」
真琴が腰に手を当て、胸を張った。
「この“夢の街”についての説明を、“あのアホ”から真琴が任されました!」
自信満々な声に、どこか晴れやかな笑み。
夢の街に溶け込んでいた不思議な空気の中で、そのテンションは妙に浮いていたが……それはいつものことだった。
胸を張ってそう続けた真琴は、得意げに胸をどんと叩いて──
すぐにむすっと頬を膨らませた。
「……ま、説明するつもりだったのに、さっきのシオマート店員と仲良さげに話してたじゃん。あの子、説明上手いし……」
ぷいっと顔を背けて、腕を組む真琴。
その態度はまさに、不貞腐れた少女のようだった。
「ていうか……なんであの子とそんなに仲良さげなの?『生活課の人だー!』ってすごいテンションで呼びかけてきたし……」
「いや、夢の中でも“ああいう声”だったから反射的に反応しただけで──」
「ちょっと嫉妬したんですけど?」
「は?」
「わたしの方が、晴臣くんと長い付き合いなのに……夢の中でまで、浮気とかやめてくれない?」
「どこが浮気だよ!?」
真琴は相変わらずぷいっとそっぽを向いていたが、口元には微かに笑みが浮かんでいた。
その態度は、冗談か本気か、晴臣にはいまいち測れない。
ぐちぐちと拗ねながら言葉を紡ぐ真琴だったが、晴臣は特に気にせず、ふとつぶやいた。
「まぁ……お前がいてくれた方が、俺は分かりやすいけどな」
「……なにそれ。ちょっと優しくしたら、許されると思ってない?」
顔を赤らめた真琴が、じと目で睨んでくる。
それがまた“怪異”の癖に妙に人間臭くて、晴臣は思わず笑ってしまった。




