ドリーム支店!
街を歩くうち、ようやく怪異たちの過剰な警戒も落ち着き、遠巻きながら「うっかり目を合わせなければ無害」くらいの評価を得始めていた晴臣。
触手の屋台で謎の汁ものを買い、魔眼が並ぶアクセサリー店を通り過ぎたときだった。
「いらっしゃいませー」
どこか気の抜けた、間延びした女の声が、唐突に耳に届いた。
「……ん?」
この異界の空気には、あまりにも現実的で、異様に馴染み深いイントネーション。
晴臣がゆっくり振り返ると──そこには、あった。
《シオマート・ドリーム支店》
淡い青色のネオンが、チカチカと揺れている。
店構えは普段と変わらず、自動ドアも稼働中。
商品棚にはうごめくクッション、鳴く牛乳パック、勝手に回転する割引札など、夢らしいラインナップ。
「……どこにでもあるのか」
完全に理解が追いつかず、目を押さえる晴臣。
その瞬間、ドアが開いて中からぬっと現れる制服姿の女性店員。例の、どこにでもいる“あの顔”の店員だ。名前札にはやはり「シオ」しか書いていない。
「え、うそー。生活課の人だー!」
晴臣に驚く店員シオ。
しかし目は笑っていない。
「ここ夢の中ですよー。なにしてるんですかー。夢でまで業務とかー」
「いや、こんなつもりじゃ……ていうかなんでシオマートがここに……?」
「さあ?でも夢にも出店してますよー。ドリーム支店はドリーム価格! 夢のまぼろし大特価ー」
そう言いながら、目の焦点が合ってないままキャンペーンPOPを渡してくる。
困惑する晴臣の背後では、買い物かごを持った一つ目の異形や、蟹の甲羅を持った女が静かにレジに並んでいた。
この街の住人たちは、この異常なシオマートを完全に受け入れている。
* * *
「生活課の人ー。どうぞどうぞアイス脳ミソ味冷えてますよー」
呼びかけを無視しつつ、晴臣は異形たちで賑わうこの夢の街を、改めて見渡した。
現実では到底考えられないような怪異たちが、子どもを連れて買い物をしたり、露店で値切ったり、ベンチで談笑したりしている。
──だが、どこかおかしい。
この街には、恐怖が一切ない。
それどころか、異形同士であっても誰も怒らず、争わず、ほんのりと笑みすら浮かべている。
晴臣がその異常さに気づいた時、横からにゅっと、制服の袖が視界に割り込んできた。
「夢の街、楽しいですかー?」
例のシオマート店員だ。
どこからともなく隣に立ち、さも当然のように話しかけてくる。
「……君たち何者なんだ?なんで夢の中まで出店してんだ」
「出店はしてますけどー、正確には“中継地”ですからー」
「中継地?」
「ここは“現実”と“向こう”の間にある場所でー、要は税関みたいなものなんですよー」
「税関……って、何の?」
「異界の存在が人間の世界に来るときやー、逆に人間が“向こう”に迷い込むときー。そのどっちも必ずここを通らなきゃいけないって決まりがあるんですー。お偉いさんの取り決めですねー」
店員はレジ横から飴玉のようなものを取り出し、晴臣に渡す。
中には星空のような模様が渦巻いている。
「これは夢の通行証ー。記念にどうぞー」
「……そんな大事そうなもん、簡単に配っていいんですか?」
「夢なんでー。それに、生活課の人なら特例ですー」
店員は笑いながら、ふとレジに貼られた紙を指差す。そこには、手描きの文字でこう書かれていた。
「この場では敵意・悪意・殺意を持つことは禁止されています」
「※すべての思考は自動的に無力化されます」
「……なんだこれは。法律か?」
「不戦条約ですー。ここの空気が自動で適用するんですよー。だから誰も争えないし攻撃もできないし怖がる必要もないー。怪異だろうと神だろうと人間だろうと“ここでは平等”ー」
晴臣はその言葉を聞いて、ようやくこの街の“異様な平穏”に納得がいった。
──ここは、どんな存在も“通らねばならない夢の税関”。ここを通ることで、存在が境界線を越え、別の世界へ干渉できるようになるのだ。
「呼んでますよー。こっちこっちー」
間延びした声とともに、店員が手をひらひらと振る。
「呼んでるって誰が?」
「そりゃあここを作った人ですー。一番偉い人ー。この街の有力者でー、でもまあ普段は引きこもりなんですけどー」
「夢の中で引きこもってるやつってなんなんだよ……」
晴臣は文句を言いつつも、なぜか足が勝手に前に進んでいく。道行く怪異たちが彼に一瞥をくれ、笑いながら道を空けていく。
──呼ばれている。
心の奥底で、そんな確信が膨らんでいた。
辿り着いたのは、街の中心部にある古びた西洋館のような建物だった。
夢の街にしては妙に現実的な外観で、木の扉には金属製のノッカーがついている。
「じゃあここでお別れですー。がんばってくださいね生活課の人ー」
晴臣が振り返るより早く、店員の姿はふっと消えていた。跡形もなく、声も残らず──夢だから当たり前だと言われれば、それまでだが。
晴臣は一度深呼吸し、木の扉に手をかける。
重たい音と共に、それは音もなく開いた。
中は、図書館のような静けさが支配していた。埃一つない廊下、壁にかけられた奇妙な絵画、暖炉の火が揺れる音だけが響く。
そして、その奥──
広い応接間のような部屋の中心、天蓋付きのソファに、誰かが座っていた。




